●埼玉県羽生市の「我孫子」について
「我孫子」のいわれについては不明


■我孫子沼

埋め立てられてしまった我孫子沼

我孫子沼は、藻やよし、まこもなどが生え、多くの掘割に囲まれ、鯉や鮒、なまずなどが豊富で、太公望にとって絶好の沼地であった。
昭和3年頃までは、沼の真ん中あたりまで、毎年蓮の花を咲かせ、付近の農家では、これを取り、食用にしていたという。
昭和18年から同26年までの井泉村耕地整理事業(大字今泉分の小字我孫子)と同50年から開始された神鳥、荻島土地改良事業(大字喜右衛門新田分の小字我孫子)によって、我孫子沼およびその周辺は一変し、同56年南部に市立東中学校が建設され、区画された田に生まれ変わった。
(羽生市 平井辰雄さん)(1985 「THE アビコ」より)

  

残念ながら、我孫子沼はとっくの昔に埋められて、一面の水田でありました。
池のように写っているのは休耕田に水が溜まったものです。
東中学校がそのエリアの南端にあるだけで、付近の農家は、我孫子エリアを外れて立っていました。
その農家の住居表示も、小字名はもう用いておらず、今泉○番地で整理されていましたので、やがて、我孫子の名も地図からも、人々の記憶からも、消えていく運命にあるのでしょう。
(取材 "After the Rain"の山下さん)(1996年8月)

あびこ百科ホームページに戻る「あびこ」な地名に戻る