1月25日号


フランスの旅 Day - 12 (Tue)01/08/2000 サン・マロ St.Malo




イボンヌと彼女の二男、ローラン、三男のクロードとともにアニエスの運転 する車で総勢5名一路サン・マロへ75km。 ブルターニュ北東部のこの あたりではモン・サン・ミッシェルと並び屈指の観光名所だ。 地名は6世 紀の終わりにウェールズからキリスト教を伝道した聖人マロに由来するのだ そうだ。 ブルターニュは英仏海峡をはさみコーンウォールのすぐ南に位置 するため昔から英国の侵略をたびたび受けてきた。 16世紀に入りサン・ マロはスペイン、カナダや遠くは南米フォークランドの植民地などとの海運 の国際港として栄え、富を築いていたがその間も英国からの攻撃から守るた め沿岸に要塞を築いて防衛にあたる必要があった。 サン・マロは海に突き 出た半島をぐるりと要塞で囲み、その中に古い家々がびっしりと並ぶ。 

日本で城門というと普通天守閣へ至る門をさすが、ヨーロッパや中国では異 民族からの攻撃から守る高い城壁に囲まれた市街地への門をさす。 城門を 入るとホテルや店舗の古い建物だけでなく、広場にもみやげものの露店が並 び観光客でにぎわっている。 ちょうど昼食時になったのでたくさんあるカ フェの一軒に入る。 その名はル・ビヌウ Le Binou 。 スコットランドで 見かけるバグパイプそっくりの楽器はこの辺りでそう呼ばれているそうだ。 
 飲み物は勿論土地のりんご酒、サイダー。 口の広いティーカップによく 似た陶器のカップに注ぐ。 750cc入りでF35は安い。 そしてそば 粉で作ったクレープ、名物のガレット。
 ハム、チーズ、卵、ソーセージなどめいめい好みの中身のものを注文。 
バタ臭いなかにも確かにそばの味がする。デザートには改めてクレープ、そ してコーヒー。

お腹もくちたところでサン・マロ探索。 海に突き出した広場にロベー ル・シュルクフ Robert Surcouf の像が対岸の英国に向か っていざ突撃という姿勢で立っている。ここから海を前に左右に伸びた要 塞と後ろにびっしり建物が並ぶ街並みはなかなかのもの。 海運業盛んなり し頃、英国とフランスの商船はこのあたりでお互いに掠奪しあっていたので ルイ14世の宰相コルベールのもとでは政府公認の海賊、コルセール Co rsaires が敵の船を追っ払ったり乗っ取ったりしてサン・マロに莫 大な富をもたらしたのだそうだ。 なかでも英国東インド会社の商船 Ken t を乗っ取ったシュルクフはフランス人にとっては英雄だとか。 この後 今はサン・マロ歴史博物館となった LeGrand Donjon du Chateau に行くと当 時の海賊船の「活躍ぶり」などが模型や絵などで詳しく展示されていた。 
敵の船に捕らわれた当時の船員達は船底で何年も奴隷として酷使され悲惨な 思いの一生を終えた人たちも多かったようだ。

城壁内は迷路のような石畳。 今にも崩れそうな古い石造りの建物はブルー がかった灰色のスレート、御影石で縁取りした窓とブルターニュ特有だが、 ここでは軒下にゴーゴイルgargouille(ノートルダム寺院の屋根などにある 怪獣)やアイルランドのいたずら妖精を思わせるビヌウを抱えた小人、窓の 横に聖人の彫り物、重々しいドアにアカンベーとふざけた顔の妖精の彫り 物、ドアの石の縁取りには家が建てられた年が彫ってあったりしてどの家も 見所がいっぱい。 そんな家の一軒から犬の散歩に出てきた紳士に道を尋ね たらシャトーブリアンの墓に案内してもらった。 普段はリヨン大学でフラ ンス語を教えているがバカンスはサン・マロの家で過ごすのだそうだ。  シャトーブリアンは18世後半サン・マロの貧乏貴族に生まれその後アメリ カ、イギリスで大使を歴任した経験などを記した作家。 このあたりの海は 干満の差が激しい。 要塞を下り浜辺に出ると干潮時に歩いて渡れる島があ る。 グラン・ブレ Grand Ble。 海にせり出した断崖の先に墓はあった。
 円柱をクロスに組んだ意外とシンプルなデザイン。 冬は風が強く海が荒 れて海鳴りの音もさぞかしと思わせる。18歳で故郷を後にしたシャトー ブリアンは懐かしい風の音に抱かれて眠っているのだろう。 


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