9月17日号


フランスの旅 - Day 7 (Thu)27/07/2000 モンマルトルの丘

パリに住むレモンドが朝わざわざ郊外の駅まで迎えに来てくれた。 今日は二人でパリ見物。 行き先はモンマル トルの丘。 サクレクール寺院、ユトリロが描いた寂しげな街並み、ロートレックが愛したダンスホールの踊り子 たち、コラ・ボケールのシャンソン、そして多くの名画の舞台であまりにも有名。

レモンドに教えてもらったのだが郊外電車を都心で乗り継ぎ、駅の外へさえ出なければパリのどの地下鉄の駅へも 同じ料金の切符で行ける。 つまりメトロの分はおまけなのだ。 郊外から出かけるとき往復切符を買っておく理 由は他にもある。 メトロの駅では郊外までの切符は売っていないので帰る時は乗り換えの駅でいったん降りて買 い直さなければいけないのだ。 これをしくじって検札にひっかかったら面倒なことになる。

パリ旧市街地は19世紀半ばナポレオン3世の命により建築家バロン男爵が明るく機能的な近代都市に大改造し た。 凱旋門、エトワール広場から放射状に広がるシャンゼリゼ大通がその代表的な例だ。 しかしパリ市街地北 端の片田舎で急勾配のモンマルトルの丘はこの再開発をのがれ、今でも古い街並みがそっくりそのまま残ってい る。 私たちが降りた地下鉄の駅Lamarck Caulaincourt (ラマルク・コランクール)はパリの中心から言うと モンマルトルの丘の裏側でいかにもひなびた下町風情。 丘を登り始めるとすぐに墓地がある。 ここにユトリロ やマルセル・カルネなどこの地にゆかりの人が多く眠る。 さらに進むと鍋から酒瓶を片手にウエイター姿で飛び 出しているウサギの看板が見える。 Au Lapin Agile(ラパンアジール)は崩れそうになりながらも健気に立って いた。 貧乏画家だった頃のユトリロやピカソ、ブラック、詩人のアポリネールなどがたむろしていた酒場だ。  今も営業を続けているらしく昼間は閉まっていたが夜はシャンソンなどを聞かせる酒場。 入り口の料金表に学生 割引料金があった。 学割ありのキャバレー、フランスらしい。 

ラパンアジールを眺めていると向こうから遊園地で見かけるような天蓋つきの小さな車両をいくつも繋ぎ合わせた 観光バスがやってきた。 通り過ぎた後の道の向こう側はパリ市内で唯一残っているブドウ畑だった。 猫の額ほ どの畑だがよく茂った緑の葉っぱの間に葡萄が育っており毎年10月第一土曜日の収穫祭りを待つばかり。 もち ろんちゃんとワインにされ収益は地域の高齢者の福祉に当てられているそうだ。

ブドウ畑のさらに上にモンマルトル・ミュージアムがある。 狭い石畳の道に面して見逃してしまいそうな小さな 入り口を入ると芝生の上に木々が茂る可愛らしい庭の先にひっそりとした小さな屋敷。 17世紀後半に建てられ てから何度も修復され持ち主も変わってきたがルノアール、ゴッホ、ユトリロ、デュフィ、エリック・サティなど 多くの芸術家を迎えてきた家だ。 現在モンマルトルの歴史ミュージアムとして永久保存されている。 あいにく とお目当てのモジリアニ作品の展示は終わってしまっていたが、入ってすぐのミニ・シアター「黒猫」でユトリロ の絵についてのビデオをしばし鑑賞。 三階建て最上階の窓のすぐ下に今しがた通って来たブドウ畑、ラパンアジ ール、サン・ヴァンサン墓地が続いている。 古きよき時代のモンマルトルの様子がロートレックなどの絵や古い 写真を通し往時の様子をしのぶことができる。 ゆかりのあるしもた屋風建物も楽しめる。

表の通りをぞろぞろ歩いている観光客につられて出てきたのは丘の反対側にある Place du Tertre (テルトル広 場)。 サクレクール寺院はすぐ横。 かつてのひっそりした広場は今や回りのカフェが軒並みに張り出したテン トでびっしりと埋め尽くされ、お土産や昼食を求める観光客でごった返していた。 古きよき時代のイメージは無 残にも消え去っていたがこれだけ押し寄せる観光客をさばくには致し方ないのかもしれない。 テント張りレスト ランの外側では今日の無名の画家たちがずらりと並び観光客目当てにせっせと作品作りに励んでいた。 私たちも その中の一軒に入り昼食を兼ねて休憩。

モンマルトルの丘を下る長い階段の下は下町色の強い繁華街。 途中いかがわしげな通りに迷い込み大急ぎで突っ 切って目指すは Musee de la VieRomantique (ロマン・ミュージアム)。 バカンスで死んだように静か な古いオフィス街の路地突き当たりに突然鬱蒼とした木々に囲まれた屋敷が現れる。 19世紀の女流作家ジョル ジュ・サンドを始め当時の貴族、ブルジョア層の絵画や衣装、家具、宝飾品などが展示されている。 女だてらに 物を書いたりタバコを吸ったりするのがセンセーショナルだった当時、ジョルジュ・サンドは新しい女性の時代を 先取りしていた。

次に目指すは Musee du Cristal deBaccaratバカラ・ミュージアム。 言わずと知れたクリスタルの名門バカラ 社の豪華絢爛たる作品を展示している。 現在一般的に出回っている同社の商品はどちらかというと肉厚でシン プル、男性的なデザインのものが多いが、ヨーロッパ諸国の王族や貴族からの注文を受けて作り続けた展示物は繊 細でディテール溢れるため息の出るようなデザイン。 ロシア皇帝ニコライ2世の注文で作ったというペアの特大 置物が圧巻であった。 ミュージアムに入るにはバカラ社のブッティックを通っていかなくてはならない仕組みに なっており、金持ち日本人の観光客が多いとみえ日本人スタッフが応対にあたっていた。

このミュージアムのある通りはrue deParadis さしずめ「天国通り」といったところ。 バカラやサン・ルイなど のクリスタル、リモージュなど陶器、クリストフルの銀器等を置く高級ブティックが並ぶ。 もう少し行ったとこ ろにエディット・ピアフのミュージアムがあるが時間もないし歩き疲れたので諦める事にする。 ロベールの家ま で直行で行けるRERの北駅までどうやって歩いて帰ったかも覚えていない。 レモンドの案内で一日存分に遊ばせて もらった。 お礼を言うと「あら、こちらこそ。 パリにはずっと住んでいるけど今日訪ねた所はどこも初めてで あなたのようなゲストと一緒でなければ知らずに終わるところだったわ。もっとちょくちょく来てもらわなくて は。」 とやさしいお言葉。 でもそんなものかもしれない。灯台下暗し。


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