7月13日号


香港散歩 - 油麻地(ヤウマティ)旺角(モンコック)界隈



九龍半島、名門ペニンスラ・ホテルやスター・フェリーのある尖沙咀(チムシャッチ ョイ)から目抜き通りのネイザン・ロードを北上、地下鉄で2つ目、油麻地(ヤウマ ティ)とその一つ先の旺角(モンコック)。昼夜、曜日を問わず何時訪れても夥しい 人で溢れ返り生活の匂い溢れる究極の下町。夜ともなると通りの両側から張り出した 看板にけばけばしい照明が灯り、裏道では今日は何のお祭りかしらと思うほど夥しい 数の屋台の裸電球が一斉に発光、目がくらむ。

古くから市場があり、南北に走るネイザン・ロードに並行して一つ東側に。西洋菜街 (サイヤンチョイガイ)。西洋野菜のレタスを最初に売り出した通りなのだろうか。 今や安い化粧品、アクセサリー、バッグ、時計、カジュアル・ウエア、スポーツ・ウ エアの屋台がひしめく女人街が有名。 隣の通菜街(トンチョイガイ)は茎に空洞が ある中国ほうれん草の名前から来ている。更に東側に花園街(ファーユンガイ)と洗 衣街と続く。洗衣街には昔洗濯屋が並んでいたのだろう。今は水道局と食物環境衛生 局が軒を連ねている。どの道も生活に密着した名前のようだ。これらの道は地下鉄油 麻地駅付近から東西に伸びる亜皆老街(アーガイル・ストリート)、太子道(プリン ス・エドワード・ロード)を突き抜け、界限街(バウンダリー・ロード)まで続く。 アヘン戦争後に南京条約で香港を、アロー号事件後に北京条約で九龍を清から割譲し た英国だが当時の九龍と中国との境界線が界限街(バウンダリー・ストリート)。そ の後英国は更に欲を出して新界の割譲も試みたが1898に新界の99年間の租借権 を手にするにとどまった。その期限切れに香港・九龍と共に返還されたのが1997 年7月1日だ。

洗衣街と太子道の交差点から一つ北に入ったところが花墟道(フラワー・マーケット ・ロード)。花の問屋がずらりと並ぶ。最近では日本の園芸用品やしゃれた寄せ植え の鉢などを置く店が増え、かつてよりはずっとこぎれいになった。小売もしてくれる し冷やかして歩くのも楽しい。フラワー・マーケット・ロードの西端は雀鳥花園(バ ード・ガーデン)。モンコックのどこかにあったバード・ストリートが再開発のため 取り壊しになったためそこにあった小鳥屋が一斉にここに引っ越してきたのだ。真新 しい建物には屋根や壁に中国の瓦やタイルが使われレトロ調中国情緒があり、お役所 仕事にしては上出来。

地下鉄旺角駅からアーガイル・ストリートを東に進み、西洋菜街、通菜街、花園街、 洗衣街を越えると九龍広東鉄道KRCの旺角駅が現れる。ある日この近くにあるビルに用 事で出かけたのだが早く着きすぎたので時間調整のためウロウロしてみた。裏道を物 色してみたがこの辺りにはまだ喫茶店らしいものは出現していないようだ。仕方ない ので裏道に何件か並んでいる「茶餐店」の一つに入った。ちゃんとしたコーヒーは置 いていないが、ぶっ掛けご飯、焼きそば、汁そば、サンドイッチ、紅茶、ソフトドリ ンクなど朝から晩まで庶民の台所代わりとして香港に欠かせない庶民食堂。 暑かっ たのでアイスレモンティーを頼む。 「茶餐店」のように超庶民的な店ではシロップ がティーの底にたまっている。しかし分厚く切ったレモン・スライスは豪勢で少なく とも一つのレモン3分の一(時にはもっと)ぐらい気前よくどさっと入っている。そ れをスプーンでレモンジュースを絞り出してかき混ぜ具合で甘味を調整する(のかな ?) 朝食を家で取る人は少ないから朝から繁盛している。これから仕事に向かう人 たち、引退したご老人、幼稚園に子供を連れて行く母子連れなどが何故か全員のんび りとそれぞれの朝食に臨んでいる。

下町の活気で圧倒される界隈なのにちょっとずれるとガラッと様子が変わるのが香港 の面白いところ。交通量の多いアーガイル・ストリートに沿って旺角駅を過ぎたとこ ろでこぎれいな教会が現れ、そこから唐突として鬱蒼とした緑の茂るなだらかな丘に 続く道がある。後日歩いてみた。 古くからのお屋敷街で通りにも鬱蒼とした木が並 ぶ嘉通理嘉道(カドゥーリ・アヴェニュー Kadoorie Avenue)。19世紀に中東から やってきて香港で財をなしたユダヤ系のカドゥーリ氏にちなんでつけられた。もとも と旧啓徳空港に近かったので九龍の建物には高度制限があり高層ビルは存在しなかっ たのだが、九龍側の最高級住宅街であるこのあたりには香港では珍しい庭付き一戸建 ての邸宅ならぶ。貸家のひとつ、3000平方フィートの月額家賃HK$6万3千という のは香港島の相場と比べると安いような気がする。カントー-ポップスのスーパースタ ー、劉徳華(アンディ・ラオ)やレスリー・チェンも住んでいたそうだ。香港の住宅 ビルというのは残念ながらあまり鑑賞に堪えるものが多くないのだが古きよき時代に 開発されたこの辺りのアパートは古ぼけてはいるもののすっきりとした品のある外観 でゆったりと広いバルコニーが緑の並木道を臨んでいる。

L字型に伸びるカドゥーリ・アヴェニューの真中辺りから三日月状に派生しているのが 布力架街(プラガ・サーキュイット)。1920年代後半ポルトガル人として初めて 香港の立法議員に任命されたホセ・ペドロ・ブラガにちなんだものだそうだ。その息 子、ジャックは歴史家になり1955年の著「チャイナ・ランドフォール」で中国や アジアにおけるポルトガル人の活躍を著した。

アーガイル・ストリートに戻り更に西に進むと窩打老街(ウォータールー・ロード) と交差する。その少し手前、なだらかなカドゥーリ・ヒルの麓にカドゥーリ氏の富の 秘密が現れる。 3階建ての古びた校舎のように地味な建物だがこれが九龍と新界に 電力を供給する中華電力公司(チャイナ・ライト&パワー)の本社。設立は1901 年だが、目の付け所のよいカドゥーリ氏が1920年に買取し財を成したのだった。 ちなみに香港島とラマ島は別の電力会社、香港電燈有限会社(ホンコン・エレクトリ ック)が電力供給している。こちらはホンコン・フラワーで大儲けし、その資金を活 用して不動産で大金持ちになった李嘉誠(リー・カシン)氏の会社の一つ。



これはカドゥーリ・アヴェニュー中ほどにある一軒家。丘の上にあるのと高層ビル群 から少し離れているため香港の街中にしては珍しく空が広がって見えます。一見ヨー ロッパ風家屋ですが窓に防犯用の鉄柵がついているところが香港風、というか中国的 。
プラガ・サーキィット(布力架街) どの道にも必ず英語と中国語で表記してあります。
夕方少し暗くなっていたのでフラッシュが反射して字が見づらくてすみません。
カドゥーリ・ヒルをプリンス・エドワード・ロードに降りたところの角にある古いアパート。
バルコニーのデザインが昔風。建物の全面が道なりに湾曲しています。歩道の木の高さがこの辺りの住宅地の古さを物語っています。





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