2002年10月14日号


スタンレー(赤柱)−2 マレー・ハウス

スタンレー・メイン・ストリート(赤柱正街)の突き当たり、天后廟のすぐ隣、海に張り出した岩場の上に突如ヴィクトリア時代の総御影石作り3階建ての西洋建築物が現れる。それがマレー・ハウス。

英国陸軍兵舎は最初ハッピー・バレーの湿地帯にあったがマラリアや風土病に悩まされていたためセントラルの現在中国銀行タワーが建っている場所に移転し1844に新しく建てられたのがマレー・バラック(兵舎)と士官用クラブのマレー・ハウス。

日本の占領下では日本軍が司令部として使い、戦後英国軍の手に戻り、1961年には香港政庁に譲り渡され1979年まで役所として使われてきた。しかし傷みが激しく取り壊しが決まったが、その際4,000個に及ぶ建物の石材一つ一つ番号を振って解体し、スタンレーで復元工事が始まる1998年までタイタムで保存されていた。工事は2000年に完成、香港の新しい観光名所の一つとなりつつある。

外観はヴィクトリア時代のコロニアル建築によく見られる様式で、グラウンド・フロア、1階、2階の各階ぐるりとめぐらせた回廊にはドリス式円柱を多く用い強い外の陽の光を遮り、冷房はもちろん照明も十分でなかった当時、自然の通風と自然光を取り入れ高温多湿の香港を少しでも快適に過ごせるよう工夫されている。 

太平洋戦争時には空襲にあい、バルコニーの柱などあちこちに被弾した跡が見られる。それとは別にどの柱にも決まった高さのところに四角い穴が開いていており、この穴に手すりが埋め込まれていた。しかし復元する際に傷ついた古い石材にかかる負担を少なくするため新しい手摺はコンクリートの床に埋め込まれている。 屋根の煙突は傷みが激しすぎたのか、ほぼ同時代の別の建物のものを利用している。

グラウンド・フロアの真中あたりにマレー・ハウスの歴史や隣の天后廟を説明や写真、それに当時のセントラルの様子を復元した模型が展示されている。完成してすでに2年経っているが不況のせいか1階にスパニッシュ・レストランとタイ・レストランが入っているだけで残りのスペースは空いたまま。 建物正面の海に面したスペースは広々として頬をなでる海風を感じ、ヨットや船を眺めながら散歩するのが気持ちいい。

週末ともなればすごい人出になるがスタンレーに集まる人種とは以前となんだか違うグループもみかけられる。隣に出来たショッピング・モールのバス乗り場に新界の元朗(ユンロン)からの貸切りバスが止まっていた。新界のご町内の皆さんが団体で見物に来ているのだ。



スタンレーの海に張り出した岩場に復元されたマレー・ハウス
マレー・ハウス、グラウンド・フロアの回廊。鎧戸が閉まっているのはまだテナントが入っていない店舗スペース。柱の下の方に四角い穴が。



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