2004年4月6日号

甘棠第 Komtong Hall その2

 あわや甘棠第、であったが保存運動に火がつき、間もなく香港政府がのりだして交渉が始まった。 甘棠第を買い上げ、オーナーのモルモン教会には再開発用の替代地を提供するということで最近話がまとまり、甘棠第は孫文生誕140年にあたる2006年11月孫文記念館として生まれ変わることになった。 ちなみに売却価格はHK$5千300万。(邦貨にしておよそ7億5千万円) 香港の土地は植民地時代はすべて英国女王のもの、返還後は香港政庁が所有しているからこの価格は建物のみということになる。 それにHK$3千800万をかけて博物館にするのだ。 なぜ孫文かというと甘棠とつながりがけっこうあったのだ。 二人とも1866年生まれ、この近くにあった学校では同級生だったのだ。 孫文はその後これもまたこの近くにあった香港大学の前身である医学校で医学を修めており、甘棠第のある辺りは孫文ゆかりの場所が多い。 そうした場所を訪ね歩く孫文歴史散歩コースがあるが、長く望まれてきた記念館は今回初めて実現することになった。 もちろん孫文だけでなく甘棠をはじめとした何家の歴史も扱われることだろう。



足場が外されすっきりとしたファサード。
 
 1階から3階まで広く取ったバルコニーはゆるく弧を描き南国情緒たっぷり。 エアコンはもちろん照明も十分でなかった昔の香港の建物ではバルコニーが重要な役割を果たしていた。強い日差しを和らげ屋内にたっぷりと自然光と風を送り、それ自体もくつろぎの場でもあった。甘棠第ではさらに甘棠お気に入りの越劇の舞台になることもあった。


 保存が決まり博物館工事着工前の3月末にモルモン教会の好意でオープン・デイがあった。 ひっそりしたイメージを抱いて出かけてみると、とんでもない計算違いだった。 パトカーやお巡りさんが出動して入館を待つ人の行列と周辺の交通整理にあたっていた。 行列の長さを見てひるんだがお巡りさんも機嫌よく、「45分待つのがイヤなら2年後にゆっくり来たらいいよ。」 そう言われると待ってもいい気になる。 行列している人たちもなんだか嬉しそう。


交通整理のお巡りさんも親切だった


中に入ると広東語と英語の小グループに分かれモルモン教会の有志の人たちがにこやかにガイドをしてくれた。 内部はふんだんに木を使いドアやステンドグラスの窓の周りや階段の手すりに手の込んだ彫り物が施され、バルコニーのタイルやアール・ヌヴォ調の美しい銑鉄の柵もすべて当時のまま保存されており大切にされていたのが分かる。 玄関に続くバルコニーのドアノブが面白い位置に付いていた。 異様に低い位置なので大人だとかなり屈まないとドアを開けられない。 訪問客や家族を家に迎える時に召使がお辞儀をしたかっこうでドアを開けるようにという意図らしい。 こうした歴史的な建物が次から次へと取り壊されたなか、甘棠第がほぼ当時の姿のまま奇跡的に残っていたのはモルモン教会という特殊な団体が所有していたお陰だろう。 これから更に復元作業をへた2006年11月のオープンが楽しみだ。



保良局(中国系の慈善団体)の設立者たち。何甘棠は左から4人目。 



バルコニーを望むリビングルーム。 天井に往時の装飾がそのまま。



暖炉の周りの豪華な彫り物を施した内装は当時のまま。






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