2004年4月14日号

(Happy Valley)その1

地下鉄銅鑼湾(Causeway Bay)駅付近は香港きっての繁華街。日系デパートや大小の店舗、レストラン等が所狭しとひしめき、朝から深夜まで一年中買い物や飲食に集まる人たちでごった返す。しかし英国の植民地になる前は黄泥涌(Wong Nei Chung Road)つまり山から流れてきた水と泥が混じった黄色い泥水がビクトリア湾に流れ込む入り江だった。銅鑼湾から?馬地(Happy Valley)に入った競馬場沿いのトラム通り「黄泥涌道」にその名が残っている。 競馬場を挟んで反対側の山道「黄泥涌狭道」(Wong Nei Chung Gap Road)にも名残があり、こちらは島の南側浅水湾(Repulse Bay)に続く。


かつての泥の湿地帯、(Happy Valley)の全景。

 植民地初期には英国軍隊の宿舎があったがあまりの湿気と蚊の多さに疫病で倒れる兵隊が続出し、仕方なくセントラル地区に移転したという話を何かで読んだことがある。 中国語名はこの競馬場(中国語で?馬場)から来ている。レース・コースの真中は公共のスポーツ施設になっており、ラグビーやサッカー、ホッケーの練習場、ジョギング・コースがある。 街中でこれだけのスペースを郊外に移転することなく固守しているところがエライ。 私たち家族が1985年銅鑼湾から?馬地に越したのは当時1歳になったばかりの長男をここの土の上で遊ばせたかったという理由もあった。香港生活が落ち着いてきた頃で、今となっては懐かしい。


トラム通り「黄泥涌道」樹齢80年を超えるバンヤンの大木が並ぶ。


東蓮覺苑

 のはずれ、山光道を登ったところに突然びっくりするほど派手な尼僧院が出現する。この近くに住んでいた頃はこの極彩色とそっくり返った何重もの屋根に何とまあ悪趣味のお寺と思っていたのだが、慣れとは恐ろしいもので今では抵抗なく受け入れられる。お寺の名前はこれを建てたロバート何東(ホートン)の第二夫人クララ東覺蓮から来ている。敬虔な仏教徒だった。 ロバート・ホートンは甘裳第を建てた何甘裳の兄。ビジネスでも社会的貢献でも慈善事業でもロバートの方が有名で英国女王からSirの称号を与えられている。 クララもロバートも共に西洋と中国の混血、いわゆるユーレイシアン。 その中途半端な位置付けから白人社会には入れず、かといって中国人社会でも有利なことばかりではなく、それゆえに独特の中国志向がこうしたエキセントリックなスタイルになって表れているのだろう。厚かましくも中に入ってみると尼さんがやさしく声をかけてくれた。「どうぞゆっくりお参りしていってください」

寶覺小学校

 東蓮覺苑付属の小学校。当初は貧しい家庭の娘たちに無料で教育を施し、中学校では針仕事など家政科などを教えていた。植民地初期の時代、手に職のない貧しい女性が自立するすべは無かった。 しかしこれが学校に見えようか。 遊園地だってもっと地味だよ。




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