2004年5月8日号


堅拿道 キャナル・ロード

水もないのに運河通りとはこれいかに。 黄泥涌道同様、後方の山から流れてきた水は?馬地をへてビクトリア湾に流れ込む。1850年代に入ると入り江の埋め立てが始まり、運河が造られ当時の第四代イギリス総督の名をとってボウリングトン運河とよばれるようになる。 1920年ごろまではこのあたりも水がきれいで古い写真では釣りや水泳をする人たちが見られる。運河は後に蓋をされ、その上に出来たのが現在のキャナル・ロード。 山から流れてくる水は今はキャナル・ロードの地下を走る巨大な排水溝から海に放出されている。 キャナル・ロードの上には高架道路が走り、薄暗い高架下は高齢者の数少ない憩いの場であり、路上生活者のねぐらでもある。


キャナル・ロード

キャナル・ロードの東側は世界の一流ファッション・ブティックや高級デパート、シネプレックスも入ってトレンディーな若者に人気の高層ビル、タイムズ・スクエア。 しかし反対の西側は打って変わって超伝統的香港ローカル風景。 車の交通量も多いがそれ以上に人出も多く、市場や仏具用品店、漢方薬店、乾物屋、冷凍食材店、荒物屋、麺粥店等が軒を並べ非常に庶民的。豆腐屋の奥では豆腐のスナックやデザートの豆腐花を食べさせている。ファッショナブルな近代建築と超ローカル庶民の街が仲良く肩を並べるこのむちゃくちゃさが香港の面白いところ。高級ブティックで買い物する奥様も食材はローカルのウエット・マーケットで新鮮なものを吟味して買い求めるのだ。 生きた魚がぴちぴちはねる魚屋、大きなドリアンやマンゴ、パパイヤなど南国の甘い香りを放つ果物がうず高く盛られた果物屋など、汚くて猥雑だけど庶民の活気の溢れるこうした街を歩くのは結構楽しい。 



一見するとおもちゃ屋さんか装飾品店。 実はこの一角に3軒並んだ仏具屋さんの二つ。よく見ると入り口にキンキラキンの仏像、中にはインドネシア風のものやタイ風のものも。 それにお線香(日本のものに比べるとずっと大きい)、数珠(これも山伏が持っているようなゴロンとしたタイプ)、お経のCDなどが並び、奥には仏壇に飾る色石の彫り物や色とりどりの仏具用品が所狭しと並べられていて、まるでワンダーランド。中国の仏壇はまことに派手派手しい。亡くなったご先祖様もあの世でさぞかし景気のよいお暮らし振りなのでしょう。

高架下の薄暗い一角に靴磨きのような出で立ちのおばあさんが座っている。商売は靴磨きではなくまじない。それも白昼堂々人を呪う商売。 会社の上司とかライバル、商売敵などいろんな人がいろんな人を呪って欲しいとやって来るのだそうだ。 赤く塗った箱に観音さまのようなものや威勢のよさそうな神様らしい像を並べ、赤い紙を敷いた上に何かの葉っぱを並べ、さらに「白虎」という紙で作ったお面のようなものを地面に並べている。呪う相手の象徴なのだそうだ。ろうそくと線香を焚き、相手の名前を書いた紙きれをレンガの上に置き、呪いの文句を言いながら古い靴のかかとでたたくのだ。強くたたくほど相手に与える苦痛が大きいのだそうだ。特に春の始まり虫たちが騒ぐ啓蟄にすると効果が高いと言われている。しかし年々お客さんが減り、商売は上手くいっていないのだそうだ。 

そこへ来て最近区議会がこのあたりを美化して観光スポットにし、おばあさんのまじないの場にもスポットライトを当てようしている。ところがおばあさんにとってはありがた迷惑。考えてみれば人を呪う商売を観光客の目にさらすわけにはいかないだろう。そうなればおばあさんは他の場所へ商売を移さなければならなくなるだろうが、それではお客さんが途絶えてしまう。 オフィスを構えて予約制でやっているわけでないし、移転先を書いた看板を路上に掲げるわけにも行かないだろう。 区議会としては良かれと思ってのことだろうが、この顛末はどうなりますやら。 ひと昔のことを思えばこの辺もそれなりに綺麗にはなったが、この煤けたコンクリートだらけのごみごみした街に昔のきれいな川の流れを復元しよう、とかは思わないのかなぁ。





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