2004年7月20日号

フランス・イタリアの旅 9 ヴェルダン

ヴェルダン Verdun


ヴェルダン戦争記念館


 1914−1918 第一次世界大戦のあった年だ。
ヴェルダンはブリュクセルとの国境近くにある第1次世界大戦の激戦地。 昭和天皇が皇太子時代にこの地を訪れ、強い衝撃を受けたことから「明るい平和」を意味する昭和の元号を決めたという。平成天皇が70歳の誕生日を迎えた時そのことに触れ、日本が戦争に突入して行った時代を昭和天皇がどのような思いで過ごしていたのかに思いを致すと述べていた。


無名兵士を祭る納骨堂 Ossuaire de Douaumont


1916年から1917年にかけ10ヶ月間の戦闘の間にフランス兵、ドイツ兵ともにこの地で16万人の死者を出し、深い森と田園風景が続くこの地方には無数の墓地が散在している。 大規模な納骨堂があり、巨大な集団墓地を見守るように立っている。ガラス越しに見える建物の地下には夥しい数の無名兵士の白骨が埋もれていた。 


納骨堂のある丘の下に広がる墓地

左右に白くぽつぽつ見えるのは夥しい数の白い十字架。


塹壕に残された鉄製ベッド
。一つのベッドに4人寝ていたそうだ。

塹壕の内部はさながら一つの街のように広い。観光バスを仕立てて訪れる人たちの多くは中高年層でドイツ人も少なくなかった。私たちを連れて行ってくれた友人達は60歳台。ロベールの父は18歳で出征したといい、ボランティアの案内の話に聞き入っていた。ドキュメンタリー映画の上映がありイヤホンでフランス語、ドイツ語、英語のどれかを選べる。フランス、ドイツはもとより英国と米国も参戦していたので亡くなった兵士の墓参に訪れる家族が多い。 


ドイツ兵の墓地 

十字架に混じって幅広の墓標が見えるのはユダヤ人のお墓。

ところでドキュメンタリー映画のナレーションを聞いて初めて知ったのだがフランス兵士は非常食の他にぶどう酒を携帯していたのだ。そういえばドイツ兵も同様だったことを何かの本で読んだ記憶がある。イギリス人に聞くとイギリス兵はエール(ビールの一種)を携帯していたとか。


ここにも無名兵士の墓地が
ヴェルダン周辺の広大な一帯は少し移動すると次々に墓地が現れ、第一次世界大戦から90年あまりたった今でも戦争の爪あとを激しく感じる。


森の中のアート展
 この作品は無題

これは「ジェルメーヌが通った後」 もちろんウソです


この作品は「星への階段」



私達がお世話になったジャッケさんの別荘のお向かいさん御夫婦。
 実は1997年に当時13歳だった長男が2ヶ月の夏休み中パリのロベールたちのお世話になったことがあった。その時ヴェルダンにも連れて来てもらってここの家にも泊めてもらっていたのだ。その時のお礼を言いに行ったら、「まあまあ、とにかくお上がりなさいな」と取れたての甘いイチゴをご馳走になりながらひとしきりおしゃべりを。

というわけで2003年夏のフランスの旅はジャッケさんご夫妻のご招待を頂いてロベール夫妻にヴェルダンへ連れて行ってもらい大変真面目な締めくくりとなったわけである。 ジャッケさん曰く、「今度来たらイギリス兵とアメリカ兵のお墓に案内してあげるからね。」






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