似顔絵は
三浦さんに描いていただきました。
似てるか似てないかはご想像にお・ま・か・せ。(^^)
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【1月14日号】

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1月14日号



「願と欲望」

 年末、例年の如く大掃除と買い物、お正月のお節作りでバタバタ過ごし、紅白をチラチラ横目で見ながら、ようやく年を無事越えようという時、か、越えた時か。
今となっては記憶はおぼろだけど、ほっと一息、トイレに入ったわけです。
ふと横の壁を見ると、ありました。トイレ用日めくりカレンダー・・・。
相田みつをさんの書とことばの、タイトルも「ひとりしずか」。
31日のページがまだ出ていました。(毎朝、娘が日めくりしているようです。)
「わずかなお賽銭をあげて
 それも年一回の初詣の時ぐらいで
 家内安全、商売繁盛、お金がいっぱいできますようになんてネ
 こういうのは個人的、私的欲望です
 世界が平和でありますように
 山や海や川が人間のせいでこれ以上汚れませんようにと願うのが願で、
 願と欲望は根本的に違います・・・・うんぬん」

と、ありました。そういえば・・・。
大晦日の昼頃、忙しい私は娘にお墓詣りを頼みました。
義母がまだ若い頃は、家族総出で最後のお墓詣りをしたものです。もう喜寿を終えた義母は年末の忙しい中、寒い中をおしてまで墓参りに行くとは言わなくなったのを幸い、手すきな娘に頼んだわけです。そしてお墓を掃除してお花を添え、しっかりお願い事もすることを頼みました。
それが全く、相田さんの言っていることとよく似ているわけで・・・。
さすが、お金がいっぱいできますようになんて、あからさまなことは申しませんでしたが、家内安全、商売(仕事)繁盛、学業成就ぐらいだったでしょうか・・・。
一般の神様よりやっぱりご先祖様の方が、きっと自分達の分身である私達のことを、寝ても覚めても心配してくれていると思うので、しっかり墓前でお願いしてくるように娘に言い聞かせたのでございました。
これは、単なる欲望だったのか・・・? でも、心底みんなが願うことですよね。
相田さんのことばが、気に掛かっていたのか、元旦の初詣で地元の大依羅(おおよさみ)神社でも、我孫子観音でも、21世紀が平和な年でありますように・・・と一言添えておきました。(とってつけたよに・・・)
もちろん、たった50円で、家内安全、商売繁盛、学業成就、家族健康、乱世を乗り切る力をお与え下さい・・・etc,etc,願いはつきることなく、本殿前は同じように願う人並みで、ごった返しの有様。
もちろん、平和あっての家内安全だけど、家族の安全を守るということは、同じく平和を願うことでもあるわけで・・・と苦しい言い訳が。
あ〜あ、今年も高邁な願にほど遠く、ジコチュウーな、なにわ事始め。
神様、おゆるしくだせえまし!

そして元旦の夜だったか、平山郁夫さんが描いた薬師寺・玄奨三蔵院の「大唐西域壁画」完成の筆納めの式が中継されていました。
壁画には長安、西方浄土、ヒマラヤ等の風景が色鮮やかにくっきりと描かれ、特にヒマラヤの雪を被って陽を浴びた霊峰の美しさに、はっきり、感動したのです。
そして思いました。お寺の歴史は千年単位。この壁画も、千年後の人達が、古さびて色の落ちた霊峰を見て、わび・さびのきいた素晴らしい絵だと、ときめくのでしょうか?
千年後の絵を私は見ることが出来ない。いやそれどころか、百年後、50年後も確実に見ることはない。
そう思うと急に、私はこの世にいなくなると言うことが実感として感じられたのです。
人はいなくなって、絵が残る。
現在、各地に残る建造物や美術品も、作った人達は今を知らない。
千年後に、この絵を見てみたい。すすけて色もはげ落ちたヒマラヤを見てみたい。
私の遺伝子に、しっかりと言い伝えておこうか。何十世代の後になるのだろうか?
突然その子が薬師寺に行きたくなって、三蔵院の壁画を見て、「う〜ん、すすけてよくわからんね〜。出来上がった頃は、めっちゃあざやかなヒマラヤやったんやけど〜・・・」等と言い出したら、周りはきっと狂ったと思うかも知れない。うふふ、面白そうっ。

この後千年、薬師寺がこのまま無事に建っていられるということは、地球も滅亡しちゃいけないし、人類も生きていなきゃいけないし、人の心も、昔の美術を財産として大切に思う心が変わらずにあることが条件だし、やっぱり、平和であることなんだよね。
「大唐西域壁画」を見て、やっと痛切にずっと平和であって欲しいと実感した私は、やっぱりどこか、抜けているのでしょうかね?



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