似顔絵は三浦さんに描いていただきました。
似てるか似てないかはご想像にお・ま・か・せ。(^^)
「なにわの掲示板」に
ご感想、ご意見を書いていただくとうれしいです。
【5月27日号】【5月18日号】【5月10日号】【5月1日号】
バックナンバー目次
5月27日号
夢舞台「宝塚」
阪急宝塚駅にひさしぶりに降りると、私は全くの「浦島花子」だった。
宝塚に2年前から「ハマり」だしたという今は東京に住む友達に誘われて来たものの、
私は10年ぶりなのだ。
宝塚沿線で育ったので、小学生の頃から時折母に連れられて見に来ていたが、
結婚してからは、娘を1度連れてきただけだった。
宝塚温泉という土地柄のどこかひなびた駅舎は跡形もなく、高層の駅ビルに建て替わっていたし、
花のみちの両側の店も2年前の大震災で倒壊し、新たなビル建設が行われている最中だった。
ただ、花のみちの桜並木の緑だけが昔のままに青々と繁って、葉陰のトンネルを作っていた。
蔦が絡まって古いお城のようだった宝塚大劇場も、3年ほど前に改築されていて、尚一層絢爛豪華な、
きらびやかな夢のお城といった風情になっていた。
今回の花組公演は、男役トップスターの「真矢みき」の引退公演ということで、
ロビーには騒然とした空気がみなぎっていた。
フアンクラブの女の子達が、予約チケットの受け取りに行列していたり、
ダブルブッキングして余ったチケットを譲るために、あちこちで立っている。
私の友達のKちゃんも「真矢みき」のフアンクラブに入っていて、
10日前に始まったばかりの公演なのに、今日で観るのは6回目だと言う!
すぐ近くの関学を卒業したというのに、その頃は見向きもしなくて50近くになってから
「ハマッタ」と言っている。そういえば、知り合った頃は、クールで頭のいいキュートな
女の子というイメージだったので、彼女の変貌ぶりが信じらんな〜いっ!
それもこれも、みんな「真矢みき」のおかげらしい。
何気なく観ていた宝塚のTV番組に、その頃はまだトップではなかった彼女が、
ひとり光っていたらしい。もともとKちゃんはESSで英語劇などをしていたから芝居に興味を持っていて、
「真矢みき」の演技力に今までの宝塚の男役のスターにないものを見出したと言う。
ロックグループでもジャニーズジュニアでも何でも、まだ芽を出さないころの新人の才能を見出して、
応援してスターに育てていくというのは、フアン心理の中でもかなり「通」の醍醐味らしい。
かくて、二人の子供も大学生になり手は離れ、ダンナは今NYとかで、英語の塾の先生の
スケジュールをやりくりしながら、実家の里帰りをかねて東京・大阪間を飛行機で行き来して
宝塚通いをしているそうな。
彼女曰く、「真矢みき」は今までの宝塚の男役のような、端正な王子様タイプでなく、
型破りで、アドリブのきく、一枚目も二枚目も三枚目もこなす、本当の意味でのエンターテイナーだと言う。
そう言われてみれば、ポスターの彼女のメイクは青いアイシャドーに紅い唇といった従来の男役のイメージでなく、
黒い肌にナチュラルカラーのリップといった、よりリアルで不良っぽい男の雰囲気をかもしだしている。
確かに宝塚の男役は、大の大人の女でも錯覚を起こしてしまいそうな位美しくて、
男は女にこうあって欲しいと思うそのままの素敵な行動パターンを、目の前に繰り広げてくれる!
歌舞伎の女形やおかまちゃん達が女より女っぽい、女のエッセンスを演じるのと同じで、
宝塚の男役もそういった意味でとても男らしい。昔観た、「麻美れい」や「大浦みずき」も
最高にいい男を演じてくれて、ため息ものだった。
初めて観た「真矢みき」は、やっぱりとてもかっこよかった!
宝塚の男役の様式美にはまらないリアルな動きに、彼女独自のセンスが光る人だナアという印象・・・。
宝塚の舞台は生のオーケストラ、豪勢な舞台装置、きらびやかな衣裳と美しくて良く訓練されたスター達と、
観客が夢に酔えないわけがない位にうまくお膳立てされている。
フイナーレの大階段の演出は、小学生の頃からかわっていない。
どんな悲劇の演目であろうと、最後は大きな羽根飾りを付けた孔雀のごとく、きらびやかに華やかに
夢の世界をこれでもか、これでもかと十分に堪能させてくれる。
Kちゃんは明日の2回公演も観るそうだ。一回三時間の公演を観ただけで、私はくらくらして
しまったというのに、連日続けてみる元気は一体どこから来るのでしょう?
これが、フアンとスターの関係なのでしょうか?
スターの舞台のオーラを体中に受けて、元気を注入し、またその元気をスターに応援してかえし、
スターはそれをまたオーラにして輝く・・・。
Kちゃん!ダンナも大事にしたってや〜!!
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5月18日号
ああ、びっくり!「ぎっくり腰」
3週間前から腰をいわして「あっつつ、痛え!」なんて言ってたのは、まだまだ序の口だった。
ほんまもんのぎっくり腰・・・「魔女の一撃」を喰らった時は、銃か何かで腰を打ち抜かれたかと思うような、
今までに経験のない衝撃を感じた。
筋肉が硬直してしまったのか、曲げるも伸ばすも痛くて出来ず、「どうすればよござんすでしょうか?」と
聞きたいぐらい自分の思いどうりにいかない別の肉体になってしまった。
週に1回通う実家の母の世話をして、夕方事務所に戻ってちょっとひと休み。コーヒーでも飲もうと
冷蔵庫のフレッシュを取り出そうと屈んだその瞬間・・・だ。
痛くて横にも立てにも斜めにもなれず、幸い事務所だったので車で送って貰えたが、
これが公共の場所だったらと思うと、冷や汗がまた出てくる。
「こんな痛み」が世の中にあると初めて知った。
お産の痛みは何と言っても「産む」という希望の痛みだったし、産めば終わる物。
だがこのぎっくり腰の痛みは、どこから来るのか月光仮面(古い!)、なぜ? いつ終わるの?
何もかも納得がいかず、ただただ、油汗、冷や汗を流して、こらえているしかない・・。
ベッドで寝ていても、寝返りを打つのが一苦労・・。
まず右足を少し横に動かし次に左足を添えて、右手をついて腰を少し浮かし(このときが痛い)、
ちょっと右に方向転換し、左足を右足の上を越えさせて、右肩をついて支え、右腰をおろしてやっと寝返り完成!
しばらくするとその姿勢も痛くなり、今度は仰向けになろうと、また一から同じ順序で繰り返す。
腰に力が入らないものだから、腕で何事も支えなければならず、何回も腕立て伏せをやらされている感じで、
おしまいには腕がブルブルふるえてくる!
一晩中そんな繰り返しでとうとうぐっすり眠れずに朝になった。
この春から大学生になった娘は、「明日の朝は起きてくれなくていいよ」と
言うのが精一杯のせりふで、二時間近くかかる通学の為、六時頃起きて自分で朝食を作って出たようだ。
ダンナも「ゆっくり寝とけ・・・」という精一杯の優しいせりふを吐いて仕事に出かけ、
私は有り難くベッドからお見送りさせていただいた!
さて・・トイレに行きたくなった。
どうして起きればいいのかな? 第一起きれるのかな?
横を向いてから起きるのか、仰向いてから起きてベッドを降りるのか・・。
どうすりゃいいの?
結局ジグザグ立て横斜めに少しづつ動かしながら起きたものの、痛くて上半身を腰が支えられない・・。
すぐさま四つんばいになって二、三歩這ったが、左の腰から背中にかけて激痛が走る。
犬や猫、馬の歩く姿を思い出して、手や足を踏み出す順番をいろいろ替えてみたけれど、どれも痛い。
廊下に出ると、膝が痛い。
3メートル足らずのトイレまでが、遥か彼方の行軍。
ここでダーウィンの進化論について新しい発見をする。4本足から2本足歩行に進化したヒトは、
もう4本足歩行には戻れない身体の形態になってしまっているという事だ。なんというバランスの悪さ。
もう進化の逆戻りはできない・・・。
トイレのドアのノブを廻すのも、明かりのスイッチを押すのも4本足のヒトには難しい。
やっとこさトイレに入れたが、便座に座れない。
渾身の力を振り絞って便座にしがみついて、はい登る。
しばし至福の時を過ごすが、後がまた大変でここで事細かにお話しするのはさすが遠慮させて頂く。
さて、目的を果たし、いざ帰還と思えども、ここまで無理に体を動かせて来たせいか、痛みが究極状態に陥り、
トイレから一歩も出られなくなってしまった。涙と脂汗と冷や汗の三重奏でぐちゃぐちゃ。
「薬(やく)でも、モルヒネでも、なんでもいいから打ってくれ〜っ!」と辛抱しきれない痛みに叫びだしたくなる程で、
しばらくトイレの床で這いつくばって、嵐の過ぎ去るのを待つ。
少し落ち着いてから、再びトイレ脱出を敢行。
何も信心していないくせに、この世には神も仏もいないのかと、「おお、神よ!、なぜに我に、
かくなる痛みを与えたもうたのか!」とどこかにいる神を恨みながら、いざりながらやっとたどり着いたベッドだが、
もう這いあがる力がなかった。
少し寒いが、このまま床にうつ伏せ状態でいよう・・・。「Z、Z、Z]
「どない?」と言う義母の声で私は、救われた。
その日は完璧な寝たきり生活。
むかし見た映画で、たしか「僕の村は戦場だった」というのがあった。
両手両足、目も耳も口もなくして、身動きも何もできず、ただの肉塊のようになってベッドに横たわる
青年兵のとても悲しい物語だったが、その青年兵の包帯だらけの姿が眼にちらついて離れない。
彼の悲しい気持ちが今また襲ってくる。
寝たきりの生活を余儀なくされている人の、悔しい思いや悲しい思いが実感され、
何とも切ない気分で過ごした3日間。
それでも寝て起きる度、日に日に身体の機能は回復し、私は4日目には普通の生活に戻れたけれども、
年老いた人や、病を得た人の希望のない寝たきり生活のやるせない思いは、
いかばかりでありましょうや?
日頃の、神をも畏れぬ慢心、驕り高ぶる生活に、きつ〜いお灸を頂いた、
びっくり「ぎっくり腰」顛末記でございます。
笑っているあなた、きっとあなたにもこういう日は、やってくるのですぞ!
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5月10日号
「花咲き、花散る宵」
元女流棋士の林葉直子さんが、テレビのワイドショーやスポーツ紙、週刊誌などでもみくちゃにされている。いたましい・・・・。
7年ほど前、彼女がまだ22、3才の新進女流棋士としてはなばなしく活躍をしていた頃。
某交通会社のPR誌で彼女と社長の対談という企画がありました。
私はその際の司会をおおせつかり、2時間ぐらいのインタビューとその後の小宴まで、彼女と半日席を同じくしていました。
その当時の印象は「凛とした美人で、スキのない人」だなあという感じを受けました。
育ちと躾の良さが感じられる、若いのにしっかりとした人だなあという第一印象でした。出身地の九州を本拠地にして、仕事の度に上京したり上阪したりの様子でつきそいの人もなく、ひとりでボストンバックを下げてやってきた様子でした。
小さい頃から将棋ひと筋に研鑽を重ねてきた、頭のいい女の子という雰囲気をたたえていました。
インタビューのあと、その会社の腕におぼえのある将棋好きの大の男五人相手に、同時対戦してあっという間につぎつぎと負かせてしまった圧倒的な強さは、楚々とした外観とはおよそ似つかわない、何か得体の知れない不思議な力を持った人に見えました。
そんな彼女が小宴の席では、ウイスキーグラスにウーロン茶を入れてもらって、水割りを飲んでいるように見せかけていたのは、並みいる男性の中でか弱い小鳥が自衛をしていると言った感じでした。
そんな流されまいと健気に頑張っていた彼女が、何年か後、将棋のタイトル戦の対局を無断で欠席し、ロンドンに失踪したり、ヘアヌード写真集を出したりと奔放な行動がマスコミを賑わし、(あの彼女が?)と意外な印象を受けたものでした。
今回の告白で、彼女の一連の支離滅裂な行動も、何だか納得いくような気がしました。
将棋一筋に青春を燃やしてきた彼女にとって、中原名人は最高に強い人で、憧れの頂点にいた人だと言うのは、簡単に想像がつきます。将棋の世界で純粋培養されてきた彼女は、
その世界で一番ビッグな人に恋をしたとしても、当然のなりゆきだったかもしれません。
ただその恋が彼女の肥やしにならずに、彼女が一番大切にしていた将棋の世界を捨てる結果になってしまったのが、なんとも痛ましい気がします。
あまりに相手が強すぎたからでしょうか?
男と女の世界でも、同じ土俵の上なら力関係がやはり左右するのでしょうか?
クリントン大統領と元研修生とのスキャンダルも、女優ならかえって勲章にでもできたものを、研修生で政治という同じ土俵の上であったため、将来の芽をつまれたように、彼女も将棋の世界での勝負では、勝ち目がなかったということでしょう。
名人との恋で彼女はボロボロになり、女流棋士としての矜持も何もかもかなぐり捨ててしまった哀れを感じます。
名人と決別すべく、「週刊文春」で関係清算の告白をしたかと思うと、テレビでニューヨークからの生中継のハシゴをして「中原名人、ごめんなさい。奥様、不倫をしてごめんなさい。」なんていっている・・・。
自分をボロボロにした相手なら、失脚しょうが、追放されようがおあいこなんだから、あやまることはないのに、ここにいたって公器のテレビを使っての、海の向こうからの大騒ぎの生中継!
していることが支離滅裂で、これは未練いっぱいの女心かそれとも、マスコミを振り回してのギャラ稼ぎか?
とにかく名人との五年間の恋は、22、3才当時の凛とした美しかった彼女を、なにをしたいかよくわからない、モザイク模様のくたびれた女にしてしまった・・・。
名人の方はというと、将棋という実力の世界の人だから、サラリーマンのようにあっさり首になったりはしないと思うけれど、多少のリスクは当然でしょう。
自宅の前でインタビューを何度も受けて、自宅に入るやいなや奥様にしばかれているの図かもね?
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5月1日号
「成人式のお振り袖」
娘が18歳になった頃から、「成人式のお振り袖」とやたらあちこちの着物の展示会のDMが、
我が家に舞い込んで来ています。
着付けの先生をしている友達が関係している振り袖の展示会に、断りきれずというか、興味半分というか、
まっ、冷やかし半分ということで娘と出向いてみました。
TVのCMも流している、14階建てのビル全館が展示会場という、おったまげ大衆路線の着物販売会社で、
5000着の振り袖を品揃えしているとか・・・。
娘はつねづね、成人式の若い娘さんの振り袖姿は「みんな満艦飾で個性がなくてイヤ!」と言っていたので、
どんな着物を選ぶのかと側で見ていましたが、案の定すごく渋い色目の振り袖に眼がいっていました。
80歳になっても着れそうな、「利休鼠」とか「濃い芥子」「炭色」、そんな一連のムズカシイ色目ばかりを
取り出して貰っているのです。
日頃、着物を着慣れているならいざ知らず、七五三やお正月にちょろちょろっと着ただけの娘には、
明らかに荷の重い、おしゃれな、個性的なものばかりです。
洋服の感覚で着物を選んでいるらしく、そう言った新しい味付けの着物も沢山ありました。
人形師のジュサブローさんのデザインした着物などはほんとに渋い色目で、私達の年代でも
ヨダレのでそうな粋な逸品です。
娘があれこれ着せて貰っているのを見ていて思うのは、振り袖の着物は、裾まで引きずるような両袖も入れると、
生地自体のボリューム感が相当あるし、洋服では考えられないような、色とりどりの大胆な文様が全身を飛び交い、
その上、胴を横切る太い袋帯の、金糸銀糸の織り込まれた重厚な色柄、背中で大きく羽を広げて蝶が留まっているの
図を計算に入れると、どれが良いのか、どれも良いし・・・となってほんと、難しい。
それに加えて、襟元の半襟の色合い、帯揚げ、帯〆などの小物の組み合わせなど、洋服の数倍ものモチーフが
いっぱいあって、色使いもすごく大胆にできて、コーディネートを考えるだけでも着せ替え人形遊びをしている
ようで心浮き立つものです。
これに襟足をきれいに見せる髪型、髪飾り、ぞうり、かばんとなると振り袖のトータルコーディネートは、もう大変!
この大変は、着付けも大変なら、それらを揃える先立つものはもっと大変ということですよ!
西洋の王室の正装であるローブデコルテ以上の、総絹のもつ荘厳さ、豪華さ、綾なす金銀の織物、
色とりどりの染めの絵付け模様など、これはすごい芸術品なのだと思いました。
伝統美を担った、世界に誇る民族衣装なのだと!
いわゆる古典的な色模様を見ていると、鶴や亀、おしどり、松竹梅、宝づくし、御所づくし、花づくしと、
吉祥を招く縁起物が多く、古代の昔から娘の健やかな成長を祈った親の心そのものが、着物の柄ににじみ出て
いるようでした。
「19の、女の厄年のお守りの意味も込めて、振り袖を求められます。」とは係りの人の言葉だけれど、
いかさま、そうもあろうという気がいたしました。
改めて、着物の持つ美しさ、華やかさに眼を洗われたのですが、ふと愕然といたしました。
私は振り袖を娘に着せてやれない・・・。私が振り袖を着たとき、母が結んでくれたあの華やかな蝶の様な
帯の結び方も知らない・・・。結婚したらしたで、着物の手入れも義母まかせで、時たま虫干しを手伝う
ぐらいできちんと管理できない・・・。
たとえ振り袖を買ってやったとしても、母から娘へ、娘からまたその娘へと連綿と続いてきた、着物の伝統文化は、
私の代で途絶える・・・。何も娘に伝える物を持っていない・・・。これは悲しいことです。
今までずっと受け継がれてきたことが戦後の生活が変わったといっても、それを私の代で、私のせいで、
娘に伝えることが出来ないなんて・・・。これはいけません。
これから私もせいだい、着物を着ましょう。日頃ジャズダンス等をしていても、着物は好きで、
改まった会などある時は、義母の手を煩わしながらも着ているのです。
虫干しで見つけた、義母の若い頃の着物なども、今ではとうてい織れないような素晴らしいもので、
タンスの肥やしになっている物にもう1度息を吹きいれてやれば、着物も喜ぶというものです。
着物の素晴らしいところは、その誰にでも着れる融通性です。どんな体型の人にも、どんな年代の人にも、
小物や帯で個性を出せば自由自在に対応してくれることです。
新しい振り袖もそれなりに心華やぐものですが、「おばあちゃんが着ていた着物よ・・」といって、
若い娘さんが着ていたりすると、なおさらその方がゆかしく、値打ちがあるような気がします。
義母の元気な内に、いろいろ教えておいてもらわなくっちゃあ!
振り袖の展示会は、「見てるだけぇ〜」「着てみるだけぇ〜」で、あれこれ着散らかすだけ着散らせて、
「どうも、ありがとう」で帰ることができました。
展示会で勧められるとすぐその気になる私にしちゃぁ上出来です!
というのも、
現金も小銭だけ、カードも全部家に置いて、決死の覚悟で行ったんやも〜ん。
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