似顔絵は
三浦さんに描いていただきました。
似てるか似てないかはご想像にお・ま・か・せ。(^^)

「なにわの掲示板」に ご感想、ご意見を書いていただくとうれしいです。

【7月29日号】【7月17日号】【7月7日号】

バックナンバー目次

7月29日号



ステママは見た!

「♪ Shall we dance〜?
   軽やかに 踊りましょ〜  」
 
 タイの王様と、王子や王女の家庭教師をしたイギリス女性とが中心になって織りなす、 ミュージカル「王様と私」。
東洋と西洋の文化のぶつかり合い、タイの国の近代化など様々なテーマを内包した有名なミュージカルで、 アメリカでは初演のユル・ブリンナー(王様役)がスキンヘッドで好演して一躍スターになった演し物です。 日本では越路吹雪さんと市川染五郎(初代)さんが初演し、2年前から主演のアンナ先生役に宝塚を退団した ばかりの一路真輝さん、王様は高嶋政宏さんのコンビで復活しています。
今回3、4月が東京公演、7月大阪、8月名古屋と暑い盛りの公演が続きます。 高嶋さんは、大阪公演を前にしてスキンヘッドになるほど意気込んで、乗り込んでこられたそうで、 一路さんの上品で美しいアンナ先生も適役です。
タイの王朝を舞台にした物語なので、舞台装置も衣裳も絢爛豪華! 特にタイの民族衣装や踊りなど エスニックな香りがして、歌などもお馴染みのものが多く楽しい舞台です。 本場アメリカよりも日本公演の方がいい出来だ、という米記者の記事もあったとか。

 この大阪公演で、弟の子供・姪っこが王女の役で出演することになりました。 小さいときから物怖じしないお喋りな子だったのですが、特に芝居や歌のレッスンを続けているわけでもなく、 劇団にも所属していないのですが、たまたまオーディションの記事を読んで応募し、合格したそうです。 何かとしきたりの多い芸能界の楽屋生活に母子ともども、当初はとまどっていました。

 子役の母親は衣裳の着付けや、ヘヤーメイクなど、つきっきりの世話がいるのですが、 姪っこの母親は仕事を持っているため毎回つきっきりと言うわけにいかず、叔母二人が 助っ人ステージママに馳せ参じたと言うわけです。
スターに会えると私はルンルンで世話に行ったのですが、現場はそんな生やさしい世界ではなかった! 子役のお母さん達は、廊下や楽屋で会う人達全てに「おはようございます」「おつかれさまでした」 のあいさつはもちろん、子供達が出演者の方達にそそうのないようにと神経をぴりぴりさせていました。 子役の劇団で母子共厳しくしつけられているようです。
お母さん達の役割は忙しく、子供達の出番近くになると楽屋から舞台の袖まで引き連れていったり (大きな劇場なのでエレベーターで上がったり降りたり大変なのだ)、奈落の底で早変わりをさせたりと 舞台の進行表片手に、助監督ぐらいの働きです。 何せ12歳を頭に末は5歳まで、総勢12人の、人一倍元気でおしゃべりで芸達者で、自己顕示欲が強くて 感受性の鋭い子供達相手ですから、大人はもうくたくた! ステージママはちゃらちゃらした服は御法度で、黒い服に黒いエプロンと、黒子のような出で立ちで子供達の ためにくるくると立ち働くのです。

 せっかくショービジネスの舞台裏に潜入できたのだからと、子供達にくっついて舞台の袖まで上がっていると、 「この場所に入れるのは係りのお母さんだけです!」と劇団の子役のボスお母さんにクレームをつけられた・・・! 小さいながらも子供達はプロ根性がしっかりしていて、お母さん達が演出家顔負けの段取りのダメ出しをすると、 何度も繰り返して練習しています。さぞかし本番が始まるまでの2カ月間は、親子で一生懸命セリフを覚えたり、 踊ったりと涙ぐましい練習があったことでしょう。
映画やTVと違って大勢のお客さんを前にして、1カ月間毎日生の舞台を勤めるのですから、体調の調整や気分の テンションを上げ続けるのは、大変なことです。それでも子供達はライトを浴び、観客の拍手をもらって充実感や 達成感を毎日感じて舞台に出ているからいいものの、お母さん達は、狭い大部屋か暑い奈落の底でひたすら子供達 の舞台を見つめ続ける黒子生活。 我が子が無事、舞台を勤め上げることを祈って裏方さんで頑張っているのです。

 楽屋の廊下の一番奥まった所に一路さんの楽屋はありました。 淡い桃色の絹の縮緬地に名前と花や鳥が染め分けられた、見るからに上等そうな華やかなのれんが入口に かかっていました。 その手前に高嶋さんの楽屋があります。萌黄色のさわやかな麻地に高嶋さんの名前が染め付けられた、 これもきっとフアンの方から贈られたと思われる素晴らしいのれんです。

 一枚看板のスターと端役の違いは、楽屋の中でも歴然と見て取れます。 一路さんや高嶋さん、主だった脇役の方達の廊下や部屋には胡蝶蘭などの高価な花々の鉢物がズラリと並んで、 人気の凄さがありありです。

 子役の子供達は目の前で毎日、こんなスターの華やかな楽屋を見て、舞台を支える演技や歌を聴いて、 「いつか私も、僕も・・」と秘かに闘志を燃やしていることでしょう。
TOPに戻る


7月17日号



ジャンコ

 「夏は嫌いやわあ」と思い始めたのは、ここ2、3年。それもこのところ街の夏しか過ごしていないからと、思い至った。
「ギラギラ照りつける太陽に溶けそうにな、ベタベタするアスフアルトの道路。
その上を自動車の排気ガスが、火吹き竹から吹き出されるかのようにもうもうと渦巻いて暑さを余計に煽っている。
路地裏の建て込んだ店のエアコンの騒音と熱い排気。
立ち小便の匂いのこもった電信柱と、昨夜誰かが吐いたラーメンのひからびた切れっぱし・・・。
汗と脂で浮いたオヤジの顔が目の前に迫ってくるラッシュアワー・・・。」

都会の夏はろくなことがない。
そのくせ、ビルや電車、列車の中は、冬物のコートが必要なぐらい底冷え状態・・・。
「あ〜ぁ、夏なんていや! まだうっとうしい梅雨の方がマシ! 梅雨よ、明けないでおくれ」と思っていた・・・。

 ある朝突然、「ジャンジャン、ジャンコジャンコ・・・」となつかしいセミの声が聞こえてきた。そうだ、セミが鳴くともう梅雨明け。
大事なものを忘れていた。夏はセミが鳴くのだった!
大阪市内のこの辺りは、なぜかジャンコ、いわゆる熊ゼミしか見当たらない。
子供時代育った大阪の北の郊外・池田では油ゼミが主流であとはニイニイゼミがチラホラぐらい。兄や弟達とセミ取りに行って、熊ゼミを捕まえようものなら、一躍ヒーローになったものだった。黒い大きな胴体と透き通った羽根は王者の風格で、鳴き方も辺りをヘイゲイしているかのような大きな割れ声だった・・・。

 もう朝の6時過ぎからそのジャンコが「ジャンジャコ、ジャンジャコ」と鳴き始めて、「こらーっ! 早よ起きんか〜い!」と大合唱である。
でも、この猛々しくて暑い鳴き声が「やっぱり、夏〜」と思わせてくれる。
緑の木立もザワザワと深い緑で光を放ってくるし、空もズドーンと青い。
夏ってこんなに元気で、勢いがあったんだ!
そういえば、以前は結構夏が好きだったのに、どうしてかなあ・・と振り返ってみる。

 海や川やプールで泳いだり、水辺でカニを捕まえたり、ザリガニをおどかしたり・・。 セミやトンボを採ったり、糸にくくりつけて飛ばしたり・・・。 よしず張りの影でカキ氷を食べたり・・・。
夏って刺激的だったんだ!
キャンプやバンガローでフアイヤーストームを囲んで歌を歌ったり、寸劇したり、花火をしたり・・・。 私が子供だったり、また子供達が小さかった頃は、夏はこんなに楽しかった・・・。

 と思い始めると、この2、3年ですね、夏がつまんなく、ただただ暑い暑いと思いだしたのは・・。 3人の子供達も大きくなり、一緒にプールや海へ行かなくなってしまった。 第一、私が水着を着たいと思わなくなってしまった。室内プールで泳ぎこそすれ、灼熱の太陽のもとで、「泳ごう!」と思わなくなってしまった。
服もノースリーブはいつの間にか着なくなった。
海辺に行っても、パラソルのかげに隠れているだろう。
要するに、真夏の太陽と真っ向から勝負できなくなっている自分がいる。
今日もジャンジャコ、ジャンジャコ暑苦しいぐらい元気にジャンコが鳴いている。
たった7日間の地上の命に、健気に鳴いている。盛大にぎやかに鳴いておくれ!

わたしゃあ、木陰で君たちの夏の声を聞かせて貰おう!
TOPに戻る


7月7日号



「王女メディア」

 近鉄劇場で今上演されている「王女メディア」の観劇のお誘いが、ありました。
この演し物は、毎日地下鉄の駅のポスターを見ながら、ヨダレをたらしていたモノなので「超〜ラッキー!」と言うほかありません。誘って下さったY子さんに後光がさしていましたよ・・・。
 「王女メディア」は女の嫉妬の情念を、激しく、狂おしく描いたギリシャ悲劇が題材で、蜷川幸雄演出、平幹二朗主演、衣裳は辻村ジュサブローと言う面々で、20年前に初演されました。それ以来国内はもとより、ギリシャ、イタリア、フランス、アメリカと世界各地で上演され「ブラボー!」の嵐を受け続けたということです。
途中、平幹二朗さんの病気で嵐徳三郎さんが続演されていて、今年は上演20周年ということで、再び最初のコンビ「蜷川演出・平幹主演」の舞台が実現されたらしい・・・。

 「王女メディア」は、男への愛のために兄を殺し、故郷を捨ててまでついてきたのに、その夫は彼女を裏切り新しい領主の娘と結婚しょうとしている・・・と言うところから始まります。テレビや印刷物で断片的にこの舞台の凄さを見聞きしていたので、私の中での期待はもう、パンク寸前でした。

 近鉄劇場のキャパも、大きすぎず小さすぎず丁度頃合なのも、舞台との一体感を持つ上でぴったりときて、うれしいかぎりです。
この舞台で衝撃的なのはポスターなどでもお馴染みの、京劇か歌舞伎のような隈取りのメイクと衣裳。特に衣裳は和洋ごちゃ混ぜのジュサブローテイストがギラギラで、私はメチャクチャ気に入りました。衣裳がこのドラマで表現したいモノを象徴していて、見る人を無条件でその世界に誘い込んでしまいます。

 一幕ものの舞台の単調さにうまく変化をもたせたと思うのが、モゴモゴうごめく村の女の集団です。舞台の幕の役目にもなったり、王女の心象風景を代弁したり、進行役になったり、音楽になったり、いろんな役目を変幻自在に豹変させて、とても面白い黒子役でした。「おいしい役」とはこんなのをいうのでしょうか? ギリシャ悲劇の題材に日本的な 津軽じょんがらの三味線をベンベコ、ベンベコやりながら、マーチングバンドのように舞台を縦横に駆けめぐるのですから・・・・。

 型にはまらない、何でもありのこの舞台の世界は、高度にシステム化された現代に住む我々にとって、思う存分腹の底から息を吸ったような昇化作用があって、気分をスカッとさせてくれました。

 出演者全員が男性のこの舞台は、女性役をことさら女形風に演出しておらず、性別不明の超現実的世界が繰り広げられていました。蜷川氏の演出で評判なのが、王女や村の女達の口からトロトロと繰り出される赤いリボンです。嫉妬の炎が口の中から燃え出しているのかあるいは、心の傷の裂け目から溢れ出している血の色なのか。
呪いの言葉を吐き出しながら赤いリボンは延々と、舞台にトグロを巻いて折り重なっていきます。女の嫉妬と怨念がたらたら滴り落ちているようです。

 自分の育った故郷や家族をすべて捨て去って、男との愛に賭けて生きてきた王女が裏切られ苦しむ思いは、女であればだれしも理解できること。

 男の身勝手に嫉妬の炎を燃やす様は、能舞台であればたおやかな女人の面が、カーッと紅い口を裂き開いた般若の面にとり変わるところです。
トルストイの「アンナ・カレーニナ」においても夫と子供まで捨てて駆け落ちした若い愛人に裏切られ、鉄道自殺をしてっしまったアンナの様に、洋の東西を問わず、男と女の間には分かり合えない深い川があるのでしょう・・・。

 女にとって愛は唯一の男に捧げられる大切なものであるのに対して、男には数ある内の一つに過ぎないということは昔も今もずっと解決されないテーマです。
男に一人の女に対して永遠の愛を誓わせることは、不可能に近いことなのでありましょうか?

 「王女メディア」の嫉妬が、我が子を殺すにまでいたるさまを見れば、世の男達も浮気をするときは、「お覚悟めされい!」ということですゾ。 

 女の嫉妬はほんまに「こわっ!」
TOPに戻る


ご感想をいただけたらうれしいです。
kuniko@tecta.co.jp
内容によってはゲストブックに入れさせていただきます。よろしく。


極楽とんぼホームページへ