似顔絵は三浦さんに描いていただきました。
似てるか似てないかはご想像にお・ま・か・せ。(^^)
「なにわの掲示板」に
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【11月30日号】【11月16日号】【11月6日号】
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11月30日号
「最後の晩餐?」
先日、ダンナの仕事仲間でウイークデイは東京暮らしというN氏が、久しぶりに事務所を訪ねてきて話し込み、私も一緒に食事をお相伴させていただくことになった。
N氏は銀座やキタの新地で豪遊していた人で、食事中の彼の話によると、昨今の繁華街の凋落ぶりはかなりのものだという。
「タダで良いから、お店に顔をだしてくれ」と、ママやホステスから電話が入るそうだ。
要するに「さくら」になって、店が繁盛してにぎわっているように見せかけるらしい。
そりゃぁ、森閑としてヒヤッこくて、寂しい店には酔客も寄りつかないことだろう。
不思議とN氏が店に来ると客が混み出すとのことで、余計に重宝されているようだ。
そんなN氏の話に花が咲いている最中に、彼の携帯電話が鳴った。
「うん、今、外や。 え?今から? あかん。」
何やら誘いを断っている様子。
電話を切ると、「新地のママからや・・・」ですと。
現実にタイミング良くその証を目の前で見せられ、なる程、事ほど左様に深刻なのかと、納得。
そう言っているN氏の会社も、倒れかけ寸前で、彼は文字通り東京と大阪を駆けめぐり、
東奔西走している。
この12月が、踏ん張りどころらしい。緊張感が伝わってくる。
ダンナの話によると、ブルドーザーのように押しまくって仕事をして来た人なのだが、今回はかなりきつそうで、N氏らしくない弱気が出ている。
「もう50過ぎて、余計な金はいらん。穏やかな生活が欲しい・・・。」と柄になく、おとなしい台詞が口をついて出ている。
{こんな時に、私たち今晩ごちそうになっていていいのかしらん・・・?}と、美味しい鹿肉のステーキとほろほろ鳥を食べた胃袋が少し縮んだ。{ひょっとして、今夜は最後の晩餐のために、こうやって・・・?}なんてことには、ならへんやろねえ、と変な妄想が湧いてくる。
生活の起伏が激しいN氏の奥様は、高校の先生をしていて、こんな時も泰然自若として肝が据わっているとN氏。
今回つくづく感じ入った様子で、「こんな男には、そんな女がつくもんですわ・・・。
あんた、そんなこと止めてちょうだい!なんちゅうて泣く女には、手堅い男がつくんですわ。」と言う話だった。
この不況の波は、かってないほど深刻なようだ。わが事務所も木の葉船のごとく、不況の荒波にもまれながら、なんとか沈まずに漂っている。
そして、政府の無策は続く。
商品券配布などと言う目先の欲で人心を釣ろうとする、消費者をバカにした、失礼にもほどがある。
アメリカのクリントン大統領が来日した際に、大統領からテレビで一般の人たちと直接話をする機会を申し出たということらしい。彼の自信と積極性が伺い知れる。
下半身のスキャンダルで危なかったにしろ、やはり国民は彼の政治家としての手腕に信頼を置いているのだろ
中国の江沢民主席も来日した折りには、「歴史的認識」について我が国にはっきり言いたいことは言って帰って行った。
それぞれの大国の指導者として、実に見事な手腕だ。
それに比べて我が国の政治家はなんと歯痒いこと。
もぞもぞと生き残りばかりを画策してうごめいているだけのようで、ちっともはっきりした施策が見えない。
元気だった民主党の管氏も妙なスキャンダルで失速中。
もっとしたたかに泳げなくちゃあ政治家は務まらないのか?
今日、N氏が来所した。良かった。まだ、生きている。
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11月16日号
「お陰様で・・・25周年」
先日の11月11日で、結婚25周年を迎えた。
〜思えば遠くへ来たもんだ〜と、感慨もひとしお。
夫婦でお互いに「よく持ったもんだ〜」と、それぞれ自分が「できた人間」だからだと恩の着せあいをした。
大学時代同級生だった男友達が、「きっと君の旦那さんは良くできた人やろう・・」と、しみじみいったぐらい、私は生意気な女らしいので、ダンナが言うのが当たっているのかもしれない。が、ダンナの前ではしおらしい女になっていることや、ダンナは結構わがままな人間だということも同級生は知らないのだから、これは五分の引き分けにしてほしい。
ふり返るに、3人の子供は4歳を頭に、2歳、0歳という時代があり、この頃はまさに髪振り乱しての子育ての時代だったと思う。
自転車の前と後ろに男の子二人を乗せ、末娘をおんぶして雨の日はそれに傘を差して、あたかもサーカスの自転車の曲乗りのような出で立ちで、買い物に出かけていた。
そんな子育ての大変な時期でも、休日ダンナと一緒に出かける際、私の服装や髪型が気に入らないとケチを付け、「一緒に歩かへんゾ」とおどして、私が母親役だけにかまけてしまうことを許してくれない厳しさがあった。
何て非人情な奴だと悲しくなったが、やっぱり外からみると身をかまっていなかったのだろう。それなら「僕が子供を見ていてやるから、安心して美容院へ行っておいで・・・」ぐらい言ってくれればいいのだけれど、「見ていてやる」というのはほんとにただ見ているだけで、おむつさえ気持ち悪がって替えてくれない。そんなので安心して行けやしない不器用な若い父親だった。
まっ、義母がいてくれたので、若い父親としての役回りも訓練されずに来てしまったということもあるが、核家族でそのような状態だったら、私は空中分解していたかもしれない。
ダンナの方が一足先に単身赴任していて、長男の小学校入学を期に、来年早々には東京に引っ越そうとしていた年の暮れ、義母がメニエルで倒れた。
母親を一人置いて東京では暮らせないと、さっさと会社を辞めて彼は帰阪した。すべて、事後承諾だ。
35歳で自分で会社を興したが、辞めた商社は2年後に倒産したので、人生なにが良いやら悪いやらわからない。
広告の企画会社を始めた頃は、企画立案の業種の草分け的な時期で、徹夜、徹夜の毎日で事務所に泊まり込んだり、家で夜明けまで仕事をしたりの連続だった。
熱い紅茶の入ったポットと夜食を盆に載せて「じゃあ、お先に」とさっさと寝てしまう私は、これから夜明けまで企画書を練る彼をタフだと思ったり、かわいそうと思ったり、いろいろ心は千々に乱れたけれど、安眠熟睡の毎日だった。
子供が小中学校の間、彼は、若さの勢いもあって仕事に忙殺され、合間には視察取材と称して海外を飛び回り、ほとんど母子家庭状態だった。
春休み、夏休みの家族旅行も父親抜きの時が多く、私の兄の家族旅行に便乗させてもらった。仕事が大変なのを見ているので、感謝こそすれ、彼を家族の仲間外れにはしなかった。(今、思うと心の広い嫁やなあ〜)
彼も心得たもので、運動会、学芸会、父親参観などのイベントは皆勤で、「来てるゾ〜!」と大アピールをするので、子供たちは照れる反面、うれしそうだった。
こうして書いていくと、映画「清く、貧しく、美しく」の灯台守の夫婦のようにけなげで心温まる夫婦のようだが、現実はそうではない。
人並みに、夫婦の危機も迎えた。
「女房妬くほど、亭主モテもせず。」とタカをくくっていたら、やっぱりモテていた時期もあり、文字通り「雨降って地固まる」経過もあった。
この25年はおもしろかった。
妊娠出産の大事業も経て、3人の子供たちと共に、ワイワイにぎやかに夫婦共に一緒に大きくなり、泣き笑いの豊かな人生だった。
細胞の増殖期の活気がみなぎっていた。先日、京都に下宿している長男から祝いの電話をもらった時、「今までの25年は、おもしろかったけど、これからの25年はおもんないやろなあ〜」と言ってしまった。
細胞の終息期に向かっての25年なんか、思うだに旅枯れていくようでむなしい。
なにわの夫婦、これからも悟りなどひらかず、不惑にもならず、あいもかわらずハチャメチャ、オッチョコチョイでいきたいものだ。
只、終息期に向かっての訓練がいる。若い不器用なダンナは、義母がいたのでなんとかクリアできたけれど、老人になったダンナは、身の回りのことが自分で何もできないようでは不安が募る。安心して病気もなれないし、お先に逝くわけにもいかない。
この間、柿を剥いてもらった。結婚して初めてのことだ。リンゴや柿の皮がむけるかどうか心配だったが、上手に剥いて切ってくれた。やればできることが分かって一安心!
衣食一通りできれば、卒業証書をあげよう!
「若い女が列を作って次の順番を待っている」と言うダンナの口癖も最近聞こえず、振り向いたら誰もいなかったんだ、きっと!(^O^)
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11月6日号
「けったいな奴」
毎日乗っている自転車を、私は愛してる。エメラルド・グリーンの明るい色で、ブリジストン製。チャリチャリとペダルを漕げば、爽快に走ってくれる。
毎日使っているご飯茶碗を、私は愛している。古びて柄に傷がついているけれど、気持よくおいしくご飯を食べている。
毎日履いている靴を、私は愛している。かかとが太くて、高さも丁度いい。こっぽりと足首まで深く入って、カッコ良くて歩きやすい。
こんな風に、私の周りの道具達は、私になじんで、深く関わり合って暮らしている。
壊れたり、傷んでもう使えなくなってしまったりすると、寂しい思いをして、別れる。
これだけ気に入った物を、今度また探せるかなあ・・・と不安な気持ちになったりさえする。事実、深く気に入るものを探し出すまでに時間がかかりすぎ、間に合わせで買ってしまった物がやっぱり気に入らず、邪見にしてとうとうお払い箱に・・・と、本当に気に入ったものに出会うまで回り道することもある。
最初はどうってことなくても、毎日つきあって情が移って大切な物になる・・・ということもある。
そんな、こんなモノたちの中に、けったいな奴がいる。
お互いに信頼関係で成り立っている世界の中で、平気で裏切る、何やら訳のわからん奴がいる。
その名は、“マック”。四角い箱のなかに、いっぱい脳みそをを詰め込んでいる奴だ。
とにかく、頭のいい奴。・・・数学的にはネ。
とても太刀打ちできない。尊敬している。
でも、文学的には駄目ネ。
ひどい文章変換を、見せてくれる。・・・でもこれもウイットに富んでいると思えば、許せる範囲だ。
私が許せないのは、道具なら道具に徹してご主人さまの言うとおりに動けばいいモノを、どこかで自我を出して言うことを聞かない。
「あなたはこうしろと言っているが、・・・なのでそうは出来ない。」「なぬ?」
かと思えば、突然理由もなく唐突にフリーズしたり、押し黙ったり・・・。
とにかく、気ままなことをしてくれるので、道具としての、100%の信頼がおけない。
道具に信頼して貰うために、こちらが必死に勉強して、あちこち調べてご機嫌を取らなくてはいけない。こんなのは道具じゃない。道具は馬鹿なご主人には馬鹿なりに従順につきあってくれるものだ・・・。
それならパソコンは、友達や愛人、家族になりうるか?
数学的才能、博物的才能を愛する人にとっては、とてもビュウティフルな愛人になることだろう。
ネットでパソコンを利用していると、正にいろいろな人間模様そのままが、リアルに画面で伝わってくる。 人間そのものがこの箱の中から現れてくる。ある意味でパソコンはとても人間に近い。
しかし、似て非なるモノに人間は余計にシビアな感情を持つ。
アフリカの民族同士がよく争ったり、東欧諸国間でもめたり、中近東の国々で諍いを起こしたり、日韓がすこし気むずかしい関係にあったりするのも、お互いに似ていて、やっぱり違うからだ。まるっきり違うとかえって安心して仲良くなれる。私が自転車や靴を愛するように。
今日電車の中でデジタルスモーキングというまったく新しい“タバコ”なるものの車内吊りの広告を見た。火を使わない、煙がほとんど出ないタバコ・・というお題目のフィリップモリスの新製品らしい。
これは、受けないと思う。これはタバコだけれど、タバコじゃない。似て非なるものだからだ。火をつける一瞬、煙を吐いてその行方を追うひととき、そんなこんながタバコを吸う人がタバコを愛する理由だからだ。似て非なるモノにはかえって腹が立つ・・・・。
パソコンが道具なら道具に徹して、100%ご主人の命令通りに動いて、信頼を勝ち得なければならない。道具じゃなくてパートナーなら、また違った付き合い方があると思うよ。
馬鹿なご主人なら一緒に馬鹿になって対応してくれなくちゃ〜!
このけったいな奴、かしこすぎて付き合いきれないよのネ!!
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