しゃぼん玉の中から

山口のりひこ(世界征服実行委員会 総裁兼衛生兵)

 山口さんは、なにわのおねぃの仕事仲間です。
仕事場の掲示板での書き込みが、めっちゃ面白く、そして愛情深い眼差しに、正直、こんな人がこの世の中にいたんだ・・・と新鮮な驚きでした。
 カメラマン、絵本作家として、毎年空中庭園で個展を開催するなど活躍中の彼に、我がHPにご登場願いました。
 希有の大ペテン師か、はたまた地球防衛軍の星の王子様か、彼の正体はいかにや?さぁ、山口ワールドのはじまりはじまり!

シリーズ第14弾 (2000.11.30)



短編小説「壊れた鳩時計」
 


「ねえ、生きるってどういうこと?」
「えっ?」
 僕はてっきり、彼女はイベント雑誌に見入っていると思っていたのだが、どうやら さっきから、切り絵に熱中している僕をずっと見ていたらしい。
「なんだよ、いきなり」
「どうして生きてるの?」
 彼女は時々、突然こんなふうにどう答えていいのか少し考えてしまうような事を聞 いてくる。それでも僕はいつでも、きちんとそれに答えようとしていた。
「そうだなあ、山に登ったことある?」
「小学校の遠足で一度ね。でももう忘れちゃった」
 と、彼女はクッションをポンポン叩きながら言った。
「そうか、それじゃあ……、夏の暑い日に時々一瞬涼しい風が吹くだろ、〈ふぅ〉な んて言ったりしてさ。そんな感じじゃないのかな」
「ん――、言いたい事はだいたい分かるわ。私もそんな感じかな、って思ってた」
 それから彼女はまたイベント雑誌を読み始め、僕もいつ出来上がるのかわからない 切り絵に取りかかった。

 彼女と知り合って三年目のある秋の日曜日、〈サンドウィッチを作ったの、公園で 一緒に食べようよ〉という電話がかかってきたので、僕はオレンジ・ジュ−スとアプ リコット・ジャムのクッキ−を買って、彼女の家へ迎えに言った。玄関から出てきた 彼女の背中には大きなザックが、そして両手にはバスケットと二脚の折りたたみ椅子 を下げていた。
 僕は驚きとともに、花火のように笑ってしまった。
「そんなに荷物を持っていったいどこへ行くんだよ」
「公園て言ったじゃない、あなた聞いてなかったの?」
 彼女はそう言うと僕に二脚の椅子を渡し、
「行きますよ」
 と、スタスタ歩き出した。
 二本の国道に挟まれた公園は、その広さのせいかほとんど車の音は聞こえず、池を 飲み込むようにして覆い茂る木々はその紅葉を少しずつ散らしていた。
 僕たちは、陽が当たるベンチに座り、そして彼女のザックからは色々な物が出てき た。
 緑色のブランケット、魔法瓶、トランジスタ・ラジオ、文庫本、オペラ・グラス、 マウンテン・パ−カ−、ウェット・ティッシュ、小さなポ−チが五つ、なぜか日傘、 等々、まだまだ出てくる。
「二・三日はここに住めるね」
 と僕が言って開けたバスケットには、どっさりと四人分はあると思える程のサンド ウイッチが並べられ、僕たちはそれを熱いコーヒーと一緒に食べた。
 風のない日だったので、目の前に見える抹茶ようかんのような池の水面には、鴨と アヒルが立てる小さな波しかなかった。
「水鳥って案外泳ぐのおそいのね」
 どうやら彼女はオペラ・グラスで、鴨とアヒルを見比べている様子だった。
「それでも水面の下では、必死で足を動かしているんだよ」「ふーん、のんびりして るように見えるけど結構頑張ってるのね」
 と、彼女は僕を覗き込んで言った。
「それって、僕のことかい?」

 ブランケットを芝生の上に敷いて寝転んでいると、横にいた彼女が突然笑い出し、 〈見て見て!〉と指さすのでその方向を見ると、ジョギング姿のおじさんが白い犬に 追いかけられているのが見えた。
 そのおじさんは、これが短距離競争だったらいいタイムが出るだろうな、と思える ほどのすごいスピードで走っていた。
「犬ってやつはあれだからヤダね。自分よりも弱そうな相手を見るといつも吠えた り、追いかけたりする。女々しいよ」 
 僕がそういうと彼女は、両手にサンドウィッチを持ったままきちんと座り直し、片 方にかぶりつきながら、
「私ん家のディランは違うわよ」
 と、僕を見た。
「どの犬も一緒だよ。だいたい君ん家の犬の名前はボランじゃなかったかい?」
「変えたの」
「犬もいい迷惑だなあ」
 それでも犬はちゃんと返事をするのだろう。彼女の犬ならありえる。
「ディランはやさしくて、とっても可愛いの。私が家に帰ると、それはもう狂ったよ うに跳びはねて迎えてくれるの。こんなふうに」
 そう言って彼女が、両手にサンドウィッチを持ったまま犬の真似をしたもんだか ら、タマゴやトマトやらが四方八方に飛び散り、サンドウィッチはほとんどパンだけ になってしまった。
 僕はこんな彼女が大好きだ。
 彼女は子供っぽさを残しているというのではなく、ただ単に自然体と言えるように 生きていた。
「私が五つの時にもらわれて来たのね、だからもうおじいさんなんだけど腰なんか全 然曲がってないわよ。あれはきっと、杖をついて歩いたりできないから、いつも曲が らないように努力してるんだわ。なんてけなげなんだろ」
 と、彼女は眉をひそめながら、散らばったタマゴやトマトを広い集めた。
「ずっと一緒だったのよ。寝る時もご飯を食べる時も、テレビを見たり、お風呂に
だって時々入ってたわ。羨ましい?」 
 僕は、冷めてしまったコーヒーを飲みながらそんな彼女の唇を見てた。
「私、結婚しても新しい家にはボランを連れて行くの」
「ディランだろ」
「ね、いいでしょ?」
 彼女のその言葉で、彼女は僕と結婚するつもりでいるんだという嬉しさと、犬付き は嫌だなという思いが、僕の頭と心を行ったり来たりした。
「でも、家の中では飼えないよ」
 と言うと、彼女は眉を上げて、
「だめよー、今までずっと家の中にいたのよ。それをいきなり外へ出しっぱなしにし たら、『あー、さむいなぁ、どうしてぼくはこんなしうちをうけるんだろう。しらな いあいだに、なにかわるいことしちゃたかなぁ』って、狭い小屋の中でシクシク悲し んじゃうわ」
 と、犬が話す真似をしながら空を見上げ、両手を合わせた。
「でも、そんな大きな家には、多分住めないよ」
「大丈夫、私、大きな家に住む人と結婚するから」
 魔法瓶のふたをクルクル回しながら、彼女が言った。その時、僕の頭と心を行った り来たりしていた二つの思いは、その間でピタリと動かなくなってしまった。
 僕と君は、まるで時計の針のようだ。君は僕を追いかけて来たり、離れてみたり。
 やれやれ……。

 そんなふうにして僕たちの付き合いは四年程続いたが、ある時プツリと音を立て、 そのまま終わってしまった。それは本当に呆気ない別れ方だったが、その理由を話す 事は、僕には少しつらい。五年たった今でも。
 友人が聞いた噂によると、彼女はその後少しして、誰かと結婚したらしい。
 それを聞いた夜、僕は姉の前で泣いてしまった。姉は大人びた顔をしながら、〈あ んた、また同じような恋をしようと思ってんじゃないでしょうね。いい加減、同じ映 画を繰り返して見るような事はやめなさい〉と言いながら、僕のタバコを何本も吸っ ていた。
 誰かの名前になってしまった彼女とは、こんな小さな街でも会うことはない。
 彼女は新しい家でも、あの犬を飼っているのだろうか。主婦業なんてものを、ちゃ んとこなしているのだろうか。今でも突然おかしなことを言って、自分の夫を困らせ ているのだろうか。
 そんな事を知る術もない僕は、一人あれこれと想像しながら、なにやら彼女は鳩時 計に似てたな、と思った。
 そうやって、彼女の事を思い出しながら昔の写真を眺めていると、
「サンドウィッチ作ったよ! さあ、行こう」
 という、今の彼女の叫ぶ声が玄関から聞こえてきた。
「了解しましたあ――!」
 僕は大きなザックを背負い、折りたたみ椅子と小さなテ−ブルを抱えて、玄関に飛 び出した。するとそこには、僕よりももっと大きな荷物を体中にぶらさげ、両脇に犬 を抱えた彼女が立っていた。


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山口さんのオリジナルHP「Baby Baby」


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