メグミさん夫婦は、なにわのおねぃの関学大・社会学部時代の友達夫婦です。
2003年の秋から、シアトルのトリニティ・ルースラン大学の留学生として、夫婦で渡米されました。
シアトルには、次女がアメリカ人と結婚して近くに住んでおられます。
ご主人は60歳の定年3年前に市役所の仕事を退職し、家も全部引き払っての、夫婦で第二の学生生活へのチャレンジ!です。
ご主人のケンゾーさんはキリスト教学研究、奥様のメグミさんはマルチカルチュラルミニストリー(いろいろな文化・国を超えたところでのキリスト教の働き)の研究を始めました。
人生の大半を過ぎて、目標を失いかけている我々中年にとって、メグミさん夫婦の生き方は、心強い希望を投げかけてくれるような気がします。

<なにわのおねぃ>


2005年11月29日号


シアトル便り〔熟年夫婦のやじきたアメリカ旅行記 その3.ワシントン編)

こちらシアトルはかなり寒く今朝は雪だと言われてましたが、幸い 雨になってよかったです。憲三(と私)は去年の冬は大学内の寮に住んでましたので通学は車を使う必要がなく楽でしたが、 また 天候に左右されることもなかったのですが、今年は車での通学となり天気のことが一番気になります。もうすでに一週間前頃から朝大学に出かけるときは車が凍結していますのでヒートアップに時間がかかります。これからは道路の凍結も怖いですね。

憲三はやっとフォールクオーターもあと2週間を残すのみとなりました。アメリカの学校のフォールクオーターはたいてい9月から始まり、途中サンクスギビングのお休みが4日あってそのあとまだ2週間授業があります。クリスマス休暇が3週間と少しあり冬学期は1月2日か3日に始まります。憲三はこのフォールクオーターも相変わらず 死ぬほどしんどかったようです。連日 夜中1時、2時まで勉強し、タイプを打ち、週末の休みも全部勉強勉強でした。去年まで私も学生でしたからそのしんどさはよくわかります。この歳でアメリカに留学したのが間違いではなかたか?と愚痴をこぼしています。単位を落としても気にせず 宿題もいいかげんにする レイトワークは日常茶飯事という学生に比べ 日本人学生は生真面目過ぎます。律儀に宿題は完璧にし、提出日には寝ないで食事もしないで出し、本もきっちりと残らず読まなければ気がすまないという日本人気質が余計にしんどくさせているのかもしれません。

お話は変わりますが、サンクスギビングホリデーも終わり、各スーパーでは大セールがはじまりました。朝7時から開店するスーパーなどもあり大勢の買い物客で大賑わいです。皆 クリスマスギフトを安く買うのが目当てです。私たちも昨日クリスマスギフトを買いに行きました。アメリカでは各百貨店やスーパーがクリスマス用に包装してくれるという習慣があまりないのですべて自分で包装紙やリボン、テイッシュー、クリスマス用のネームカード、そしてクリスマスカードを用意し 包装してクリスマスツリーの下に置き クリスマスの日(12月25日)家族が寄り集まったときに一緒にデイナーを食べ、皆でにぎやかに 一つずつそれぞれの人あてにプレゼントを開けていくというのがふつうのクリスマスの過ごし方です。

それでは今日はこのやじきた旅行記の最終回をお送りします。
3月26日(土曜日)
AM 8時起床。朝食はホテルの1階の水が流れている明るいレストランで取る。たくさんの人たちが並んでいた。歩いて近くのバンクオブアメリカのATMで残高を確認する。めぐみの残高はホテルPからりファンドされていた。これはロブがホテルPへ”旅の途中でかなりの額をホールドするとはとんでもない”と抗議してくれたからだと思う。

今日はスミソニアン博物館めぐりをする予定。まず 農林省の近くの歩いて15分のところにあるホロコースト記念博物館に10時頃着く。ものすごい人の列。整理券をくれたが午後2時15分の券だったので、それまでの時間の間 スミソニアン博物館を一つずつ訪ねていこうとしたが、、、結果的にはアフリカンミュージアム、西洋美術館、航空宇宙博物館などを見てまわり時間的にも体力的にもへとへとになる。しかしながら西洋美術館ではレンブラントやモネ、ルノアールなど印象派の作品を数多く見ることが出来た。特にめぐみは印象派の作品が好きで 何回かパリを訪れた時ルーブルはよくみたが、印象派美術館はいつも改築中とか何かの理由で閉まっていたので見る機会がなく”モネの睡蓮”にスミソニアンで出会って感激していた。それとアメリカのスゴクいいところはスミソニアンという名の付いているすべての博物館群が入場無料でその規模がトテツモナク大きいこと、内容が豊富であること、などである。とても短期間ではすべて見れない。

ランチを国立美術館の地下のカフェテラスで取ろうとしたが人が多すぎて無理。航空宇宙博物館をみたあと近くの歩道で売っていたホットドッグで簡単に済ます。
このスミソニアン博物館群は国会議事堂があるキャピタルヒルと昨日訪れたリンカーンメモリアル前の広場のベトナム戦争記念碑 朝鮮戦争記念碑のあいだの広大な地域に散在している。

スミソニアンのあとキャピタルヒルの国会議事堂を訪ね、写真を撮る。警戒がきびしくて白亜の殿堂のテラスにも上がれない。ここからオベリスク、リンカーンメモリアルが一直線上に並んでいるのが解る。リンカーンが目を見開いて国家の行く末が決まる国会議事堂をにらんでいるのはアメリカの政治のお目付け役を暗示しているようで興味深い。

2時 再びホロコースト博物館に戻る。2時15分の入場予定だったが、約30分並びやっと中に入る。ユダヤ人迫害の歴史、写真、映画やアウシュビッツをはじめとしたユダヤ人強制収用所の有様など内容が豊富であった。ここまでできる人間の罪の大きさにゾッとした。記念にささやかなお土産を買う。

ホテルまで歩いて帰る途中もう一度ホワイトハウスに立ち寄る。たくさんの人が裏側の芝生の前に集まりホワイトハウスの中を見ていた。午後5時 ホテル帰着。これでニューヨーク ワシントンの全行程が終了した。

夕食はホテルのデリでお寿司 果物 デザート 水を買い部屋でクツロギながら取る。結構ゴーカな夕食となる。

午後9時就寝。明日は午前4時起床。目覚ましをセットしウエイクアップコールを頼む。

フランスで 見れずじまいの ”睡蓮”に スミソニアンにて 会えて感激(スミソニアン西洋美術館にて)幾万の ユダヤ人への 犠牲者に 平和の今こそ 深い哀悼(ホロコーストミュージアムにて)意味深し 議会と塔と リンカーンと 一線上に 並びし墓地(キャピタルヒルからアーリントン墓地まで眺めて)

3月27日(日曜日)
今日はイースターサンデー。午前4時起床。憲三は3時に起床。目覚ましは鳴らなかった。ウエイクアップコールを頼んでおいて正解だった。この歳になるとシャープさがなくなってるので一つ、二つの押さえが必要である。
4時30分 フロントで清算する。ロブが取ってくれたこのホテルはチョー高級ホテルでしかも安くしてくれて明朗会計だった。

気分よくホテルを出る。4時45分 ダレス空港行きのタクシーに乗る。約30分で65ドル。前の晩にホテルのコンシェルジェで聞いていたのは45ドルプラスチップで50ドルと思っていた。運転手は早朝なのと荷物の量、人間が1人増したからと言っていたが、予想よりも高かった。運転手はあまり質がよくない。もっと高い料金を要求していたが断った。

ダレス空港はかなり大きい空港だ。セキュりテイが厳しくてめぐみはかなり調べられた。
7時35分発。5時間25分の飛行中ほとんど寝ていた。午後1時頃シアトル着だと思っていたら3時間の時差があり午前10時であった。

シャトルバスにて大学の自室に戻る。娘がお昼ご飯を持ってきてくれて一緒に食べる。今日はイースターサンデー。無事に楽しい旅を終えて感謝でした。あーあ 明日からはまたあわただしい春学期がはじまる、、、

夢のよう 9日間の 旅終えて 明日からはまた 勉学の日々(シアトルへ帰る機中にて)

というわけで我々熟年夫婦のやじきたアメリカ東部旅行記はこれにて終了しました。

この旅行記をお送りしはじめたのは確か10月の頃だったように思いますが、いつの間にか季節が変わり最終回は冬になってしまいました。もしも読んでくださっている方たちがおられましたら長い間つたない旅行記を読んでくださりありがとうございました。私自身もこの旅行を思い出し、楽しませていただきました。我々の旅行記がニューヨーク、 ワシントンへ初めて行かれる方の何かの参考になれば嬉しく存じます。

それではまた。お元気で ごきげんよう。
                                 草々
      11月29日                          
      めぐみ





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