●兵庫県飾磨郡夢前町山之内小字我孫子/取材レポート1(1996.11.10)
reported by KAWARAI

夢前川沿いを北上して12番目の我孫子へ


大阪市立大学の情報図書館の資料から12番目の我孫子を発見して、居ても立ってもいられず早速次の日に現地へと走りました。
夢前町(ゆめさきちょう)は兵庫県の真ん中に位置し、大阪エリアの人間にとってゴルフ場が近辺に多いため、結構なじみのある地域です。
大阪から中国縦貫道路を走って約1時間、福崎インターを降り、高速沿いに西へ10分ほど行くと夢前町の中心部。
そこから北へ約20分、日本三彦山の一つとして有名な雪彦山(せっぴこさん)の麓を目指して、夢前川沿いに走り、自動車道路としてはほとんど突きあたりぐらいに位置するところが山之内地区で、その北中心部が我孫子です。
静かな佇まいの小さな集落で、茅葺きの家など、純日本建築の立派な家が多いようです。


夢前川の源流近くにかかる我孫子橋と我孫子の集落の一部。
我孫子の文字が少なく、自治会名として表示されている。

夢前川を包み込む様に我孫子の集落は形成されている。

我孫子地区にある山之内幼稚園、木造で花壇に花がいっぱい。

早速、地元の方に我孫子について聞いてみたところ、近くの薬上寺の住職さん(正確には息子さんが住職なので、山主さんと呼ばれている)がこの地域のことは詳しいという情報を得て、早速飛び込みで取材。
最初は留守でしたが、夕方に戻られ、突然の訪問を快く迎えていただきました。
早速、「あびこ百科」の主旨を説明しましたところ、「2年ほど前に、千葉県我孫子市の教育委員会の方が来られました」とのこと。
12番目の我孫子を取材して、教育委員会に報告しようと意気込んでやってきたわけですからショックでした。 そして、さすがに「THE アビコ」のみなさんは調査が行き届いているなと感心しました。

ご住職さんは、兵庫県飾磨郡誌という大正時代にまとめられた本の復刻版をお持ちいただき、その中に書かれている「我孫子」のいわれを説明していただきました。

★兵庫県飾磨郡誌に書かれている「我孫子」についての要約

我孫子 あびこと読む、その名は奈良朝の時代に阿彦という人がこの地に、流されてきた(落人)と伝えられている。
しかし、我孫子と言う人も、地名も全国にあり、どこの誰がこの地に来たかは定かではない。
強いて言うと、続日本紀延歴九年條に登場する播磨國明石郡大領の葛江我孫馬養とあるがこの一族ではないだろうか。
元禄郷帖の頃には独立した一村であった。
我孫子と読むことは、ちょっと見ると大変おかしな読み方であるけれども、決しておかしくない。
すなわち、あは我なので、孫の子は曾孫すなわち“ひこ”である。だから、我孫子はあびこと読んで当たり前なのだ。
唯、我彦と書けば良いのを我孫子と書いて洒落たのに過ぎない。(歴史地理五の一〇)

瓦井の私見ですが、阿比古考には、越国に阿彦という朝廷に謀反を起こしたものがいるという資料もあるため、この可能性も考えられます。この地の近辺には落人と思われる姓名が残る人の多い村がいくつかあるそうです。
ご住職のお話では、現在の木戸ダム(2Km南)のあたりは絶壁の峡谷であったため、近世まで里からの道はなく、山越えで入る修験行者の地となっていたということです。

高野山真言宗
播磨八薬師第三番霊場
鹿谷山 薬上寺 薬師堂(春の写真・・ご住職提供)



この薬上寺の薬師さんは行基開祖で歴史も古く(奈良朝時代)有名で、大阪の「あびこの観音さん」と並んで、飾磨の「あびこの薬師さん」とあがめられてきました。眼の病に霊験があるとのことです。春と秋のお彼岸の日には丁度山の谷間の間からご来光が拝めるため、山越えで多くの方がお参りになったということです。
この地で行基さんが野営をしたときに夢の中でこの地に薬師堂を作るようにというお告げがあり、その前を流れていた川を「夢前川」と名付けられたと伝わっています。




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