2002年11月15日号


台北の旅ー八里

マカイ博士像から河に出ると水際の遊歩道には土産屋や食べ物の店がびっしり並んでいる。ここから渡し船に乗り向こう岸の八里(ぱーりー)まで短い船旅。八里の船着場付近の路地では両側に「孔雀蛤」の看板を掲げた店が並びどこも店先にムール貝を小さくしたような貝を並べ中で食べさせている。八里の名物料理らしい。淡水河、台湾海峡からの海の幸に恵まれてこのあたりの漁民は裕福だという。屋台ではミニトマトに胡麻ペーストを挟んだものや酢漬けの果物も。台湾の人はひっきりなしにこうしたおやつを食べているのだろうか。

短い路地を出たところにお寺があった。このお寺は淡水で見た福祐宮よりずっと豪華。壁や柱、扉などの彫り物、左右にある二重の塔の欄干、屋根の飾りなどどれも本当に凝っている。屋根の上で跳ねている龍は空へ飛でいかんばかり。よく見ると小さな人物像もそこここにあり、椰子の木影や庭園などで宴の最中。台湾の人はお寺に天国を映しているのかもしれない。

渡し船から見えていたひときわ高い楼閣のような建物の麓は墓地だった。道路沿いのお墓を見てみるとカラフルで楽しそうな絵のタイルが張ってある。厳かに死者の魂を弔うといった暗いお墓のイメージではない。あの世に旅立った人が生前の望みをかなえ、ひらすら天国での幸せを願うといった感じだ。謎の中国風建物は意外とモダンでお寺兼お墓管理事務所のようだ。ここから淡水河を臨むとその向こうに淡水の街がひろがっている。 淡水側からの夕陽が見もののはずだったがあいにくのお天気で空は一日中どんより。はるかに見える河口付近には新しい大きな橋がかかっている。

17世紀の昔からヨーロッパの列強が次々とその河口から入ってさまざまにからんできたのだろう。スペインの後入ってきたオランダ時代では重い人頭税に暴動が起こり6000人の中国人が殺戮されたとある。鉄道、教育、医療、農業など台湾の近代化に努めた日本の統治下でも併合当初の暴動では1万人の抵抗勢力の流血があったともいう。それでも日本との関係は中国大陸や香港でのものよりおだやかなようで街のそこここで静かな日本が息づいているのを感じさせ、また日本の新しいものにもいち早く影響されているようだ。 Ilha Formosa! 16世紀のポルトガルが日本に向かう途中見つけた「麗しの島」は豊かな自然に恵まれ、時間もゆったりと流れているようだ。そうした風土と控えめでありながら人懐こい人々に心地よい4日間を楽しませてもらった。



八里の渡し船
淡水船着場 八里に向かう船から
八里のお寺。メチャクチャ派手。屋根には椰子の木の下や岩陰などで楽しそうな宴の人たちが。
屋根の龍は空へ飛んでかんばかりの勢い。
八里の墓地 丘の上にそびえる楼閣のようものにつられてここまで歩いてきたがお寺のようでもあり墓地管理ビルのようでもあり。
八里お墓の一つ なにやら楽しそうな絵が描いてある。
八里の墓地から淡水河を望む。対岸の水際にうっすらオレンジ色に見えるのが淡水駅。対岸から見る夕陽が素晴らしいらしいが、この日はあいにくのお天気で。


台北の旅ー市内散歩へ(2002/11/01)

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