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【3月26日号】【3月12日号】【3月6日号】
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3月26日号


ローマ・パリ10日間の旅 珍道中シリーズ 1


 んな訳で、無事ヨーロッパから帰ってまいりました。

お昼過ぎになるとモーレツな眠気におそわれ、レロレロ状態。
これは未だに時差ボケか、はたまた春眠のせいか、いずれにしても
片道一万キロを越える飛行も意外と安全なモノなんだと、のど元す
ぎれば思ってしまうお調子者の私。

思えば旅行の一週間前ぐらいから飛行機が恐くて、気分はブルーになり、
今生のお別れのような気分に陥り、雲の上高く飛んでいるときも
「今、ここで突然エンジンストップして落下するかも・・、そうすれば
私達の部屋を誰が片づけるだろう・・?」18から23ぐらいまでの
青春真っ直只中、魑魅魍魎な(パソコンは便利、こんな漢字書けるわけがない)
時代の書きなぐった私の日記数冊、「どうか何も見ないで焼き捨てて下さい」
と祈るような気持ち。

机の上の乱雑さ、たんすの中の混雑さ、思い浮かべて私の恥部が白日の下に
さらされる情景があらわになり、ギャッ!と叫びたくなる強迫観念。
でも整然と掃除をして旅立つとかえってその通りの結果になると思い、
あえてそのままにして家を出たのでありました。

春休みを利用して、京都、東京にいる大学生の息子2人と高校2年の娘
を連れて、団長兼ガイド役のダンナ、あわせて5人の家族旅行に発展。

3人の子供は海外旅行も初めてなら、飛行機に乗るのも初体験。
ヨーロッパに行くことよりも飛行機に乗ることにワクワクしている始末。
でも747のジャンボ機はあまりにもあっさりと浮遊してしまうので、
「なんや、こんな簡単なんか・・・・」とがっかりしているような感じ。

私が初めて飛行機に乗った頃は確かプロペラ機で、ブルンブルンと機体は
ふるえるし、旋回するときは斜めになって下の方に家や田んぼがユラユラ
グラグラと見えて、おそろしい気分だったのになあ。

関西国際空港からアムステルダムまで9千数百キロ。
そこで乗り換えてローマまで延べ1万キロを越え、トランジットの待ち時間
4時間を加えて18時間余りの旅となる。

さて、珍道中の第1発は、家を出て10分後に起きる。
JR阪和線の特急快速で行く我孫子の駅で、次男は目の前で電車のドアを
閉められ、ホームに取り残されてしまった。
小さい頃からマイペースの次男は5人の団体でもそのペースを崩さない。
ドアの向こうで、あわてる風もなく、彼はホームに立ったまま。
これからの10日間、先が思いやられる。いや、ここで1発かました方が
良かったのだろう。飛行機が飛び立つという取り返しのつかない事態になる
前に。

長男が次の駅で降りて弟を待つ、私達は特急快速に乗り換えのための堺市駅
までとりあえず乗る。
私は、一応駅長室に抗議に行く、「5人が並んで乗ろうとしているのに4人
乗ったところでドアを閉めるとは、これいかに?」
駅長は車掌がドアを閉めたということより、飛行機に間に合うかどうかを
心配する。15分や20分の余裕は持っているからそんなことはどうでも
いいのに・・・・。
駅長室に居合わせた他のお客も「日根野からバスが○分に出るからそれに
乗られたら・・・」と教えてくれる。
「ありがとう、時間は大丈夫、5人連れの4人でドアを閉められたから、
その失礼を抗議しているだけだから・・・」

空港での出国の審査。何もやばいものは持っていなくても、あのゼンサー
の門をくぐる時は緊張する。 何も鳴らない。「ホッ!」

次男の番、「ブーッ!」係官に止められてポケットの中のモノを出す。
金属製のオイルライターだった。
彼はこの旅行中の3月15日に20才になる。
きっとこの日を機会に禁煙の誓いをするんでしょう。

KLM867便、シートベルトを装着して「さあ、もうどうにでもなれ」
という気分。
思えば、家を出るとき、ちゃあちゃん(瓦井の母)はまだ就寝中。
「出かける時、起こさんといて、別れがつらいから・・」なんて言うから、
家族みんなでお別れの書き置きをしてきた。

手術後まだ3カ月だし、留守中は親戚の家に預かってもらうように段取り
してある。(この旅が実現したのは、ちゃあちゃんのおかげ。
ダンナの出張に便乗してみんなで行って来たらと言って、旅費のほとんど
を応援してくれた。)

週に1回訪ねている一人暮らしの実家の母は10日間が永遠の長さのように
ため息をつくので、東京の姉に泊まりに来てもらったりと、主婦の海外旅行
は、いつもこんなふうにみぐるみはいでいくような覚悟がいるんでございます。

1回目でまだ飛び立ったばかりなんて、これから10日間の旅、どれだけ
続くんだ・・・!

ダンナの声 先が思いやられる・・。




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3月12日号


女の旅支度


人生の達人は旅路の荷物はできるだけ軽くして生きるという。

煩悩から解放されない私の今回の10日間の旅には、何と細々とした
身の回り品を必要とするのだろう。
男の旅支度に比べ、かなりのものが多い。

まず忘れてはならないのは生理用品。
いつもの生活のリズムが変わると狂いやすい。
いつやってくるかわからない為、女は必ず1つや2つは持ち歩く。

そこでいつも思うのだが、何日間もテントで野営する女登山家や北極
縦断の和泉雅子さん、砂漠をラリーするレディーレーサー達はどうして
いたのだろうか。
肉体的にはもちろん、神経もタフでなきゃとてもできたものじゃない
ことは容易に想像がつく。

男より余計なものはまだまだ続く、
例えばメークアップ用品。
ブラやガードル(私はあまり必要としない、美しい?ラインだが、世間
一般では結構必需品)のボディメークアップの品々はもとより、洗顔
クリーム、化粧水、乳液、美容液、下地クリーム、ファンデーション、
まゆずみペンシル、アイライナー、アイブラウ、ほほ紅、ノーズ、
アイシャドウなど入れると最低4、5色はいるカラーシャドウ、リップ
スティック、はてはビューラー(男の人、わかりますか、まつげを
くりっとカールするヤツ)まで、さまざまな化けるための小道具が
ポーチの中にパンパンに詰め込まれることになる。

それにこの頃はヘア商品もいろいろあって、ツンツンに立てるための
ハードムースや、ジェルやローションなどもやっぱり要る、と又別の
ポーチにどっさり詰め込まれる。

私の荷物はまだまだある。
長い機中暮らしに肩こりの貼り薬、ヨーロッパはまだ寒かろうとホカロン
と風邪薬、水が違うと下痢をすると正露丸、疲れたときにビタミン剤、
頭痛の時にバッファリン、胃痛にチャアチャンおすすめの太田漢方胃腸薬、
整腸剤にビオフェルミンとエビオス、低血圧に養命酒。

私の生活はこんなに細々としておびただしいモノに支えられているのかと
情けない気がするがやはり置いては行けない。
毎日の普段の暮らしと同じように過ごそうとする私ってめちゃくちゃ
適応力に欠けているのかな?

枕が変わると寝られない。
ミスドのおまけのミニクッションも持っていこうかナ。まだまだ寒いらしい
から半コートもいるかナ
ちょっと気取った夜のレストランにはスニーカーじゃいけないからヒールの
ショートブーツ、ロングのスカートもいるだろう。そうなると短めの
ジャケットもいる。
ああ!私の荷物はどんどんふくれるばかり。

遠くでダンナが叫んでいる。
引っ越しするんと違うぞ!


PS:3月12日から21日までダンナの出張に便乗。
ローマ&パリを巡ります。どんな珍道中になることやら。
乞うご期待。

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3月6日号


三橋節子美術館


行って参りました。三橋節子美術館。
京阪電車かJR、どちらで大津方面へ行こうかと迷ったあげく、
久しぶりにJRに乗ろうということで、丁度大阪駅ホームに滑り
込んできた新快速で一路大津へ。
1時間ほどの乗車ながらロマンスシート(進行方向に向かって2シート
づつ両側に並んでいるやつ)は何やら旅心を誘うと言うか、
ワクワクしてしまう。

思い出すのは、何年か前、ジャズダンス公演のレッスンの為に、
毎週JRで大阪駅から伊丹まで通った20分間足らずの車中、
堅いロマンスシートの鈍行列車、お茶と駅弁を買って、メンバーと
ペチャクチャ、ムシャムシャ。旅行気分は満点。
ああ、なんと楽しい列車旅行でありましたことか。
そういえば、あの駅弁のお茶、以前は本当の土瓶に入ってたんだよね。

で、京都、山科を過ぎて「次は西大津」と言うアナウンス。
「あれっ?」「大津じゃないの?」といぶかりながら下車、なんと
湖西線にまちがって乗ってしまったのでありました。
西大津駅から歩いて5、6分のところに京阪電車皇子山駅があり
、 そこから逆行して、やっと上栄町の駅に到着。
古い街道筋にあたるため、縁格子の家並みが続く静かなたたずまい。
何かなつかしい感じがする街。
琵琶湖を下方にながめて、小高い長等山(ながらやま)の石段を登って
いった中腹の木立の中に三橋節子美術館がありました。

先月25日の深夜のTV番組の感動を引きづりながら来たので、
ドアを開ける前は恋人に会うみたいにドキドキ。
湖の伝説シリーズは青い湖色の絨毯のフロアに浮かび上がるように
ひっそりと待っていてくれました。
TVで見たモノにくらべ、本物の迫力は違いました。
描いてある草花一輪づつの姿から作者の心が伝わってきます。

同じく日本画家であるご主人の鈴木靖将氏になる母子のスケッチや、
安らかに眠る彼女の遺影を走り描きした小さな手帳などを見ると、
当時の彼の深い愛と悲しみが生々しく迫ってくるのでした。
若い命と引き替えに描いた絵のすさまじさはここで百回話しても伝わ
らない、百聞は一見にしかずです。滋賀県にお越しの節は一見してみ
て下さい。

この美術館を訪れた人の感想を書くノートが置いてありました。
そのなかに、定年退職後全国の美術館を巡っておられる方が、ここで
一人だったことを幸いに、心のままに号泣なさったことが書かれてい
ました。
母親が一人で見に来て感動し、翌週家族8人で来られた方もいらっ
しゃいました。

早春の湖辺の街、大津。
小さな美術館が多くの人に言い知れぬ感動を与え続けています。

美術館を出て湖伝説を生んだ三井寺に行きました。
三橋さんの絵の中によく出ている三井寺の鐘は「日本の音百選」の中に
も入れられ、平等院、神護寺とともに日本三名鐘とも言われるぐらい
音色で有名なのです。

ダンナは鐘の作者の銘を鐘の外側に刻まれた文字の中から探していました。
銘は摂津住吉、大工杉本某(なにがし)。
そして「やっぱり」とうなづいています。
と申しますのも、我が家のホームページを開設してから俄然、ダンナは
にわか郷土史家になっているのです。
地元住吉区あびこにまつわる歴史の本を読み漁り、近所にある大阪市立
大学の情報センターにも入り浸り。
(これは多分、女子大生とお友達になりたいからだと私はにらんでいる)
各地の「あびこ」を巡り歩き、その地の古老の話などをうかがって廻っても
いる。

千葉県の我孫子(あびこ)市にお住まいの「夕陽のアドマン」山下氏の
ホームページと姉妹ページの盃(?)をとり交わし、ともに「あびこ」の
研究に取り組んでいる!?。<あびこ百科>

そしてそのお勉強の成果として、住吉、我孫子付近には鍛冶、鋳物師が
集まり住んでいて、全国の鐘を作っていたという情報を彼は得ていたのです。

はるばる滋賀県に来て、地元のその昔の鋳物師の仕事を眼にしたという
訳です。

一打ち300円也はチト、世知辛い気はしたものの三橋さんや、湖の龍、
はては住吉の鋳物師の供養に思いを込めて「ゴ〜ン・・・」

三井寺から大津歴史博物館を見てトロトロと坂を下りて京阪電車の駅方面
に出る交差点を渡ろうとした角の呉服屋さん。
入口に「鈴木靖将 塩瀬帯制作展」とあるではありませんか。
モチ、あつかましくも2階の座敷にあがって見せていただきました。

ひょうひょうとした河童やかえるをモチーフにしてユーモアにあふれた
軽いタッチの絵が帯に描かれていました。

展示の着物の影に百号ぐらいの絵が3、4点。
奈良時代の大津京の頃の女の人のモチーフだと思うのですが、とても
華やかな流麗な感じの作品でした。その女の人の顔はなぜか節子さんの
臨終の時の手帳に描かれたスケッチと二重にダブって見えたのは、私の
思いだけでしょうか?


久しぶりに感動の日曜日でした。


今年こそ絵画教室頑張るぞ!

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