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4月17日号


ローマ・パリ10日間の旅 珍道中シリーズ 8


パンと遺跡

「イタリアのパンはおいしくないゾ」とかねがねダンナが言っておりました。
ところがホテルの朝食のパンはデニッシュやバンズなどとてもおいしく
「何言うてんのん、昔のこととチャウ?」と腑におちなかったのですが・・。
残念なことにそれは実証されました。

コロッセオからコンスタンティヌス凱旋門と見物し、これから古代ローマ
の政治や祭事の中心地だったフォロ・ロマーノの遺跡を巡り歩こうと
入口のところまで来ました。時はちょうど12時頃、フォロ・ロマーノは
広い丘や谷の中に散在していてザッと歩いて廻るだけでも3時間ぐらい
かかるらしい。街のレストランまで戻る時間もないし、「しゃあない、
そこの屋台で何か買おう」ということになり、大型ワゴン車に厨房セットを
積み込み飲み物やおかし、おみやげなど満艦飾にぶら下げてピザや
ホットドッグ、サンドイッチを作って売っているにいちゃんのところへ
行きました。丸いパンからハムとチーズがにっこり顔を出している
おいしそうなハムドッグ、ソースがおいしそうに焦げているピザパン。
「これや、これや。みんなスナックで立ち食いしていたパンや!」
ローマの街角のあちこちに「Bar」と看板に書いた小さなお店があって、
そこにはチーズやピザ、ホットドッグ、ちょっとしたお総菜などが
売られている立ち食いやさんでした。朝やお昼に沢山の人が群がって
いたので1度食べてみたいなあと思っていたのです。

日本でもそうですが、観光地やお祭りの屋台は高くてイマイチの場合が
多いです。
期待どおり(?)チョー高くて、チョーまずかった。
丸いパンはパサパサ、中にはマヨネーズもバターもソースもついていない。
ピザパンも見かけだけ。これでハムドッグ800円、ピザパン1200円
スプライト500円、お水(200cc)350円也。
大型ワゴン車で調理するのは大変ヤヨ、でもネ、あんまりよネ。
私がブチブチ文句を言いながら食べていたら、「文句を言わんと黙って
食べろ!」と次男が一喝。
でも横にいたアメリカ人らしきカップルも、パンを半分以上小さくちぎって
群がる鳩にやってしまったぐらいの味なんヨ。
街の中のBarのパンはどうなのか、試す機会のないままローマを離れて
しまったのが心残りです。
娘曰く、「イタリアはピザが発達しすぎて、おいしいパンを研究する
ひまがなかったんとちゃう?」

フォロ・ロマーノはローマ帝国滅亡の後、18世紀迄土砂に埋もれたままの
状態だったらしい。
初代皇帝アウグスツスの豪邸跡のパラティーノの丘は、緑の草におおわれ、
小さな白い花が咲き乱れていました。初夏のようなさわやかな風、青い空、
ひばりのような小鳥が鳴いてなんと平和な気持ちのいいところ!
そしてそこかしこにはレンガを積み重ねた2000年前の壊れた建造物が
静かにたたずみ、ちぎれた大理石の柱が草むらの中に転がっていたり、
地下への深い階段を下りる穴ぐらがぽっかり開いていたり、まさに
「夏草や強者どもが夢のあと」の風景でした。

丘を越え、谷を下りるとそこは元老院や神殿、凱旋門、裁判所など
ローマ帝国の権力と栄華を物語る遺跡が建ち並び、「ブルータス、お前もか!」
と叫んだシーザーの声が聞こえてきそうな荘厳さ。
2000年前のものが今、目の前にある。世界中の現在ある建物は2000年後
にはどうなっているんでしょう?
不思議な気分にさせられる光景でした。
その間、真っ直ぐな黒髪、後ろから見れば「ゴクミ」に見えるわが娘「オクミ」は
イタリアの中高生男子の団体にちょっかいをかけられる。
「コラ! ちょっかいをかけるなら私におかけ!」

昼から4時すぎまで丘を上り、谷を下り遺跡の中を歩き通し。スニーカーを
はいていても、足の裏はジンジン、ふくらはぎはパンパン状態。
もう歩けないヨー。
なのにこれから「真実の口」のある教会へ行くという。
「ジャズダンスで鍛えているんとちゃうんか?」とふだん運動不足のはずの
ダンナは意外と健脚。あとでわかったことだけど、この旅行が決まってから
事務所のある駅より一駅前に降りて公園を散歩しながら足を鍛えてたんだと言う。
「クソッ、そんな裏ワザがあったのか!」

我が家の男連中はみんな背が高い、彼らが二歩歩くうちに私は三歩。
こまめに動かさなきゃ追いつけない。
やっとたどり着いた「真実の口」に手をつっこんだけど、別にどうってこと
ないョ。
娘は鼻の穴にも指をつっこんだけど噛まれなかった。
でもみんな手をつっこんで写真を撮りたいのよネ。
間一髪で私たちの後はアメリカ人の団体さんが100人ぐらい来て長蛇の列。

ヤレヤレ、今日の予定はこれで終わりかと思いきや、次男が川を越えて
西の方にあるトラステヴェレ地区、文字どおり“テヴェレ川の向こう側”地域
に行きたいという。
何でも大学の授業で「テンピエット」というルネッサンス期の小聖堂の建築図面
のトレースの実習をしたという。ローマに行ったらぜひ見てこいという先生の
話らしい。
「エーッ、まだ歩くの~」もう5時過ぎ、陽がだいぶかげりかけてきたというのに、
次男は「俺は行く!」という風情でスタスタと歩いて行く。
地図にもはっきりのっていない小さな教会を訪ねてウロウロ。私は二本の棒の足を
一歩一歩かわりばんこに出すしかありません。
突然目の前に大きな階段が出現。スペイン階段の二倍はありそうです。
私はここでエンストしました。「みんな行って来て、私はこの階段で待っているから」
ペタンと階段の中程ぐらいのところにへたり込みました。

静かなたそがれ時です。すぐ側にこぎれいなマンションが建っています。窓には
赤いゼラニウム、白いレースのカーテン。
古い寺院や遺跡ばかりを巡り歩いていましたが、ここはローマに現在住んでいる
人達のごく普段の生活があるんだなぁ~と夕暮れの風に吹かれながら、妙に
新鮮な感動を覚えました。
ボツボツ夕御飯の仕度だろうなぁ。ご主人は車で帰ってくるのかなあ、
子供は何人いるのかナァ。窓の中の生活にいろいろ思いを巡らせていると。
「オ~イ!上がっといでェ~」とダンナの声。
「もうアカン、歩かれへん・・」「すぐそこやから!」
階段の上に出るとそこは山の手の住宅街。花が咲き乱れる坂をぐるりと歩いて
いくと、落ちついた、さりげない教会がありました。
次男は、ここに来るのが今回の旅行の目的だったといわんばかりの感動の
面もち。彼はこの旅行で一回もカメラで写真をとらず、すべて自分の網膜に
焼き付けておこうという感じ。

教会の庭からローマの丘や市街が見渡せました。昨日、サンピエトロ寺院の
塔から見たときより、今日はもっとローマの街の風景がわかってきたのは
うれしい限りです。

あ~っ、お腹すいたョ~!




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4月14日号


ローマ・パリ10日間の旅 珍道中シリーズ 7


チャオ!ローマ人は大阪人。

とまあ、ローマ見物第1日目は、飛行機疲れと、歩き疲れとカルチャー
ショックで、全員夕食もとらないで、眠りこけたのです。
 そんな訳で、朝は5時過ぎに目を覚まし、JTBガイドのイタリア版
武田真治が教えてくれた、「朝市」へ行こうと、外国へ来るとやたら
張り切るダンナが言う。
息子等はまだ爆睡状態。よくもまあ、こんなに眠れるもんだねえ。
寝るのもエネルギーがいるとは、よく言ったもんで、低血圧で朝が苦手な
私でさえ、この頃は自然と目が覚めてしまう。こんなところで年を感じてしまう。

まだ気持ちよさそうに寝ている三人をたたき起こして、肌寒くもやの
かかったような、人通りの少ない石畳を歩く。早起きにどんな得がまっているかナ?

二〇分程歩くと、エマニエル二世広場横の通りに、ズラリとテントや
コンテナのような建物が並んでいる。水茄子のようなでっかい茄子、
赤、黄、緑のでっかいピーマン、色とりどりの果物や野菜。
いろんな太さの腸詰めや牛の足を沢山ぶらさげている肉屋。
見たこともない香辛料が篭いっぱいに並んだスパイス屋。チーズ屋。豆屋。
魚は、鯛、太刀魚、棒鱈はわかったけれど、後は変わった顔をしたのが、
所狭しとひしめきあっている。つま先が二つに分かれて、白い足が妙に
色っぽい豚足がズラリと並んでいたり・・・・。
カメラを持って、そんな店、店をひやかしながら歩いていると、
「チャオ!」「チャオ!姉ちゃん 何か買うて」みたいな感じで声をかけてくる。
大阪人と同じで決して「おばちゃん」とは言っていないと思う。
肉屋の兄ちゃん二人は「チャオ!写真とってぇ~」。
豆屋のおっちゃん、スパイス屋の兄ちゃんは「チャオ!こっち来て一緒に写真撮ろう!」
としきりに手招きするので娘と一緒に店の中側に入り、長男にシャッターを押してもらう。
写真出来上がって送りたいんだけど住所も名前もわからない・・・。

おいしそうなおみかん(日本での冬みかん)を1kg買って2200リラ
だったので(180円ぐらい)こぶりで種が入っていたけれど、香りが
みずみずしく、甘酸っぱくてあまり品種改良されていない野生味がおいしかった。
日本においては、りんごは、むつ、サンむつ、ジョナゴールド、王林、
ゴールデンデリシャス、紅玉など、色とりどり、味もさまざまなのが作られて
いるけれど、ここでは、サンむつのこぶりな感じの赤玉のと、青りんご
しか見あたらなかった。

梨もいわゆる洋梨が一種類、(日本はなんと沢山で贅沢なんだろう。
20世紀や幸水、豊水、長十郎、新高山・・いっぱいある。
いちごも酸味がきつくて日本の方が甘い。
こうしてみると、日本の果物はいたれりつくせりでおいしく、美しく育て
られたお坊ちゃま、お嬢ちゃまのよう。ローマの果物は「元気で育てよ!」と野性的。
花屋さん通りも店を開け始めてきた。
早起きは、気持ちがいい得。

それにしても夕べから何も食べていない。みかんがみるみるうちにみんなの
お腹の中に消えていく! ホテルに帰って朝ごはん早く食べよう・・・・。

ローマ見物2日目は地下鉄Bラインでテルミニ駅から南へ2つ目コロッセオ駅へ。
古代ローマの円形競技場は2000年前に建てられたとは思えないぐらい、
がっしりと雄大で、しかもれんが一枚一枚が繊細に焼かれコツコツと積み上げ
られたことがまざまざと偲ばれました。
日本ではまだ弥生時代末期頃に、ここローマはすごい文明を持っていたということ!
すごい権力だ。こんな巨大なものがその時代につくれるなんて。
ライオンと奴隷との闘いや剣闘士同志の殺し合いがここで見せ物になっていたなんて。
甲子園球場が満員で五万五千人というのに、このコロッセオは八万人もの観客が
入って熱狂していたんやて!
そういえば、マイケルダグラスのお父さん、カークダグラスが主演した映画で
彼はローマの奴隷になってコロッセオで闘うというシーンが確かありましたネ、淀川さん。

コロッセオの入口ではローマ戦士の衣裳を着たおっちゃん二人が記念撮影の
モデルをしていました。誰彼となく声をかけて一緒に撮るとあとでモデル代を
要求していたので、もめている人もいましたよ。
柱の陰にかわいくてかしこい猫がいました。(ローマは猫が多い)キャット
フードの缶詰に前足をつっこんではなめ、つっこんではなめしている白と黒のブチ猫。
みやげ物屋の猫なのですが、通る人みんなそのかわいい仕草に笑っていました。
すると高校生ぐらいの二人連れの女の子がその缶詰をひっくり返して残っている
キャットフードをぶちまけてやりました。白黒ぶち猫はもちろん大喜びでガツガツ
食べ始めたのですが、戻ってきたみやげ物屋のジプシー風のおかみさん、
「誰がこんなことしたのよ!」てな感じでわめきながら、キャットフードを缶に
戻して棚の上に隠してしまいました。コロッセオのぶち猫、つかの間のごちそうでありました。

コロッセオの側にあるコンスタンティノス凱旋門で少し休憩。
人通りも少なく、芝生の上でのんびりポカンとしながら長男の肩を揉んでやっていました。
するとそこへアメリカ人の老夫婦が通りかかり、マッサージ風景を見ていたかと思うと
奥さんが笑いながら「STOP LINE?」と順番を待つ仕草をするのです。

今回の旅行でよく出くわしたのですが、マッサージをしている風景にとても興味を示し、
必ず誰かが声をかけてくるのです。
パリのホテルのロビーで時間待ちの時娘の肩を揉んでいると外国のスチワーデスが
通りがかり、「Me next!」と笑いかけてきたり。最終日のパリのビストロで次男の
首根っこを揉んでいるとボーイさんがフランスパンの入ったバスケットが重いョと
いった仕草をして「Me after!」。

ヨーロッパでは日本のいわゆるハリ、マッサージというものがないのかしらん。
「ツボ」を揉むなんていうのは東洋医学の神秘、すごくうらやましいテクニックなのかしらんね。

こんなことを話していると長男は次回はヨーロッパ放浪の一人旅をするのに五分間
100円のマッサージをしながら日銭をかせいで行こうと計画。
作務衣を着て、ちょんまげファッションで行けばミラクルオリエンタルの雰囲気バッチリ!

ちなみに長男はこの旅行の前までヘアスタイルが、宮本武蔵のようなちょんまげだった。




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4月10日号


ローマ・パリ10日間の旅 珍道中シリーズ 6


革手袋屋さん

きれいな男の子達が半袖のTシャツ一枚になって、階段に寝ころんでいる。
こちらにはぞくっとするぐらいかわいい長い髪の女の子が、お腹を出して
彼の膝にもたれ掛かっている。イタリア人て、男も女もとても官能的。
白い透き通るような肌に、黒い瞳、グルンと巻いたとっても長いまつげ。
この階段には、生きた彫像のようなそんな若い子達がびっしり鈴なりにすわって、
昼下がりの太陽とたわむれている。

スペイン階段を左に降りたところに、革手袋の専門店があった。
ショーウインドウを覗くと、一番シンプルなのが29500リラとある。
ローマに来たら革手袋を買おうと心づもりしていた。
というのも、以前にお義父さんから貰ったイタリア製の革手袋がとても柔らかく、
ぴったりと手になじんでいたのに、片方をなくしてしまっったのだった。
日本で探すと、10000円~15000円ぐらいした。
ちょっともったいないなあと思っていたので、ヤッタア!って感じ!

2階にはいろいろ取りそろえているというので上がると、店の女の子が
手の大きさを見てくれて一くくりした色とりどりの仔ヤギのなめし革の
手袋を出してくれた。
裏側がシルクやカシミヤのものは4~5000円ぐらいしたけれど、
裏なしのは2600円ぐらいだった! 革の色が手に移らないかと
身ぶり、手振り、カタコト英語で冷や汗をかきながら尋ねる。
「ノ、ノ なんとかかんとか」と店員。ためつすがめつ着けたり
はずしたりしていると「ニセンサンビャクエン!」と女の子が言う。
「えっ!マケテくれるんだ!」これはよほど日本人が沢山買い物に
来てるんだろうな。(後でわかったけど結構有名なお店らしい)
よしマケテくれるんなら、こっちも考えよう・・・
「I want 3 globes, so, more discount please!」
「ロクセンロッピャクエン!」と店の子。
「そんじゃ6500円!」と私。
こんなしつこい日本人は初めてなんだろうなあ、下の階のボスに
聞いてくれと言う。
下のレジで打ってもらうと定価どおりの29500リラX3。
あれっ話が違う。『上の女の子がマケてくれると言った。』と苦しい英語。
『上の女の子は関係ない』とボス。
だんだんこのボスと他2名のイタリア男がマフィアに見えてきた・・・・
『彼女が3つ買うならマケてくれると言った。』私も意地になって言う。
『わかったわかった』とボスはレジをもう1度打ち直し、「I'm poor」と
肩をすくめて笑う。
「I'm poor, too!」私も言ってやった。

結局のところ29500リラを27500リラX3にしてくれただけで
円に換算するとしめて7000円ちょっとだ。日本で買うことを考えると
メチャクチャお買い得だったんだけど、なんだか後味が悪い。
上の階の女の子は円の値段を言って「ああ、安い」と思って日本人は
買ってしまうのが、下のレジではリラで定価のまま打っているし・・・
円やらリラやら計算に弱いし、言葉もしっかり通じないし、初めての
イタリアでそこまで駆け引きできる訳ないもんネ・・・・・。
せっかく頑張って交渉したのに何だか煙に巻かれたのでトボトボトボ・・。
「そういう時は上の女の子に金額をメモに書いてもらえばいいんや。」
と交渉の達人のダンナ。

その後、一流イタリアンブランドの店が並ぶコンドッティ通りを我が家族は
誰も興味を示さず、素通りし、ポポロ広場に出る。
「さあ、地下鉄でホテルに帰ろうか?」と言うと元気な子供達は
「地下鉄の駅2つぐらいやから、街を見ながら歩こう・・」やて!
またまた石畳の上り下り、ローマの太陽の残照を背に受けて私はおいてきぼり
にならないようテクテクついていくのでありました。

朝の9時すぎから夕方の5時ごろまでローマ中を歩き廻り、おまけに
日本を発ってから2日間で合計5、6時間の睡眠です。
「もう あきまへん!」
ホテルにようやっと着いて、ちょっと1時間ほど休んでから夜の食事に
出かけようという段取りになりました。
「しんどい!」「つかれた!・・・」
ベッドに倒れ込むように休んだ5人・・・・。
全員、目が覚めたら翌朝になっていた!




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4月8日号


ローマ・パリ10日間の旅 珍道中シリーズ 5


ひょうきんヤーパン
次男は小さい頃からいつもゴーイングマイウェイ、海に行けば迷子に
なり、デパートに行けばまたしかり。でも人のことは言えない。
4人兄弟の3番目だった私もいつも迷子になっていた。

彼はサンピエトロ寺院に入る前から家族のことは頭になく、自分の見たい
場所へ一直線。行方不明はしかたないのでサンピエトロ広場に戻ると
ど真ん中で1人待っていて、5人はなんとか巡り会えた。

サンピエトロ広場から東に向かって歩く。10分程でローマ市内を
南北に流れるテベレ川のほとりに出る。大阪で言えば堂島川程度の
大きさ。葉を落とした高い並木の通りが沿い、とても眺めがいい。
どこを見渡しても近代建築が1つもなく、淡いピンクやベージュの
どっしりとした石造りの建物が並び、車がなければ中世の時代と変わら
ない風景。

エマニエル二世橋を渡ってさらに東へ歩く。
下町の石畳の狭い路地がくねくね曲がる中を家族の最後尾で付いて行く。
ローマの女性はピンヒールのパンプスははかないだろう。なぜなら、
石畳の継ぎ目があちこちで割れ目になっていてピンヒールならそこら中
はまり込んで歩けないもの。

道の両側はお店であったり、作業場だったり。
ドアノッカーの製作所。大きな扉にライオンの顔などがついたノッキング
ノブがあるけれど、今でもこんなにいろいろと装飾を施して製作してる。
ローマの建物の扉にはまだまだ需要があるのだ。
両側の店先をのぞいて歩く、こちらの仕事場は大理石を電動ノミで削って
彫像を作っている。その上から少し古ぼけた感じに着色して時代物の
ように見せている。庭に置いたり、部屋の飾りに使われるのだろうか。
アンティークな小物やアクセサリーの店では娘と二人、ショーウインドウ
にはりついてしまうので、前を行く男達はじれてしまっている。

「ローマの休日」に出ていたように、今でもスクーターの二人乗りが
石畳の坂道を縫って走り回っている。
もちろん、後ろには長いカーリーヘアをなびかせた女の子がしがみつい
いる。
少し広い道路に出るとズラリと両側に車が路上駐車している。
どの建物も駐車場なんて持っていない。
かわいいデザインの小型車が多く、色も黄緑や紫色など思い切った色が
街の壁によく似合っている。
(ヨーロッパフォードの“Ka”という小型車がぴかいち)

狭い路地を抜けて目の前が開けてナポーナ広場に出る。
真ん中の大きな噴水には、またまた筋骨隆々の男像達が思い思いの姿勢で
水を浴びているの図。
いったいローマ市内にはどれだけの彫像があるやら、2000や3000
ぐらいはあるかも知れない。

広場の周りには、レストランがテラスに椅子を出して思い思いの趣向を
こらしている。広場の1等地のせいか、メニューを見ると結構高い。
路地を少し入ったところにもテラスを出している。ここらあたりは手頃そう。
カルボナーラやラザニアあたりはポピュラーだが、あとはどんなものが
出てくるかスリル満点。
こういう場合、おいしさも分け合い、失敗も分け合うという精神で、各々
違ったメニューを注文。たいした失敗もなく無難なものが出てきたけれども
本場のピザやパスタメニューというほどの味ではなかった。
さらに、お水はジュース並の値段。日本での「タダ」の感覚に慣れきって
いる身にはレストランでお水に高いお金を出すのにどうも抵抗感があり。
そんなわけで、ジンジャエールやアメリカーナカフェ、を注文。
少しは安いだろうと思って入ったレストランだけどしめて70000リラ、
約6000円。ピザが300円ぐらいとテレビで紹介していたのを見たこと
があるけれど、ローマの物価からするとこのランチは結構高い。
それとも観光客目当てで、一般のローマ市民はこんなところでは利用しない
かもしれない。ともかく第1日目なので、地元の人のようにはいかない。
授業料だ。
東京見物に来たアメリカ人の団体があまりの物価の高さにお昼は「ホカ弁」
を買っているという話を聞いたことがあるけど、ほんと、観光客にはやさしく
してほしい。

ナポーナ広場からさらに東に歩く。汗ばむ初夏のような陽気の中、紀元前25年
古代ローマの水道建設を行ったアグリッパが建て始め、120年後に完成した
というパンテオンに出会う。
サンピエトロ寺院のように華麗ではなく、どっしりと落ちついた風情。ドーム
の天井はすっぽりと青空がのぞき、そこから真昼の日差しが大理石の床に
スポットライトのように光を落とし、舞台の様。長男はその雰囲気に芸術的
才能を触発されたのか、突然、バレエもどきを踊りだした。
「白鳥の湖」かはたまた「ジゼル」のプリマか。なかなか華麗なターンも
きめている。
ああ、いつものオチョケだと私たちは意にも介さなかったが、びっくりして
いるのは遠足か何かで来ているイタリア人の中学生の団体。
ポカンと口を開けてみんなおったまげている!
イタリア人の家族連れもニコニコ笑って見ている。

入口のところでさあ記念撮影をしようとカメラを向けると長男は今度は
「シノハラ」みたいなポーズを連発する。
外にいたドイツ人(?)の中学生ぐらいの団体は口々に笑い、はやしたて、自分たちも
ポーズをまねて「ヤーパン?」「ニッポン?」なんて騒いで話しかけてくる。
彼のせいで「ヤーパンは不思議な人種」だと彼らは課外授業の成果を頭に
こびりつけることだろうネ。(イタリア人中学生かもしれない?!)
すいません、ニッポンの皆さま!

石畳の道をゆっくり上り下りしていよいよトレビの泉に到着。
泉の縁は鈴なりの人、人、昼下がりの日差しが泉に反射して、もう水浴び
したいぐらいの陽気。
泉の中には日本の5円玉や10円玉がいっぱい。私たちもそうするものだと
ばかりに後ろ向きになって投げたけれども、帰国後案内ガイドを読み返すと
泉の保護のため、コイン投げは自重するようにとのことでした。
ゴメンナサイ!

何だか足が棒のようになってくる中、今度は北の方に向かって上っていく。
そしてかの有名なスペイン広場の前へ、ここでも人、人が階段に坐って
おしゃべりしたり寝そべって日光浴したり。
ヘップバーンがジェラートを食べていた階段だ!!
(今、ここではジェラートを食べるのは禁止されている)

歩き(書き)疲れたので、このあとの話は次回に続く。




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4月4日号


ローマ・パリ10日間の旅 珍道中シリーズ 4


カルチャーショックは木と石の違いか

ローマの街は埋まった遺跡の上に建てられているようなところなので、
やたら地下を掘れないらしい。
そのため、地下鉄もA-LINEとB-LINEの2本がX印に2本走っているだけ。
そういえば、コンクリートとガラス張りの近代建築は皆無と言っていい。
大理石と石造りの重厚な建物ばかり、で、工事といえばそれらを修復
しているところしか見あたらない。

サンピエトロ寺院へはテルミニ駅から地下鉄A-LINEで15分、「終点の
オッタビアーノ駅で降りるといい」とダンナ。
丁度、9時過ぎの朝の通勤ラッシュ時。一般鉄道と地下鉄のターミナルである
テルミニ駅はビジネスマン風の男性、女性がかなり行き来している。
もちろん、日本のラッシュ時ほど殺人的ではないですョ。
イタリア女性のカッコいいこと。今年のローマファッションの主流は、
黒い皮のジャケット、黒い細いパンツ、黒のブーツと見たり。
大股にサッソウと石畳を闊歩している。
黒かブラウンの長いカーリーヘアを風になびかせながらラリルレロ音が
やたら多いイタリア語を力強くしゃべり合っている。
イタリア人ってみんな声が大きい。腹の底から声を出して歌うオペラや
カンツォーネももちろんイタリア語。声を大きくしないとイタリア語
の発音ってできないのかなあ。
イタリア語に鍛えられてイタリア人の肺活量はきっと平均値が高いと
思うョ。

奇妙な風体の5人連れが乗っているものだからみんなからチラチラ
視線を投げかけられる。
地下鉄の切符は75分間有効で1500リラ。1リラ約0.09円なので、
およそ135円。75分以内なら何処まで乗っても、どこで途中下車
しても良い。
大阪の地下鉄がこの7月から1区(だいたい3駅ぐらいまで)200円
になることを思えばかなり運賃は安い。
奇妙なことに改札で自動的に乗車時間は切符に打ち出されるけれども
出口はフリー。チェックをするシステムはないけれども、ときどき
検札があり、不正乗車していると高額の罰金をとられるそうだ

オッタビアーノ駅から南にサンピエトロ広場へ10分ほど歩く。
街の道路を走る車は小型、中型車が多く手荒な運転で、その間を縫って
バイク、スクーターが縦横無尽に走り回る。クラクションがけたたましく
鳴り、排気ガスがすごい。街がすすけて見えるのもこのせいかナ。
信号が少ないため、車の合間を縫ってそれっとばかりに横断する。
巨大な列柱群に囲まれたサンピエトロ広場。
正面になだらかな斜面を上ってサン・ピエトロ大聖堂がデーンとかまえる。
列柱の上には140体の聖者像が思い思いに石畳の広場を見おろしている。
広い! 広いから広場って言うんでしょうが・・・。

大聖堂の中の壮大な壁画、彫刻、建築。これらを制作した人達のものすごい
エネルギーに圧倒される。
中学、高校の世界史の知識は千々に乱れて、混乱。
ヘレニズムなのか、ロマネスク、はたまたルネッサンスか・・・
訳わからないけど、彫刻の男はすべて筋骨隆々、獅子やへび、風変わりな
獣たちとのたうち廻って絡み合っている。
とにかく人間技と思えないような、気の遠くなるような空間。
130メートルの高さにある大聖堂のドームの天井画はどの様にして
描いたのでしょうか?
クレーンもない時代、足場を組み立てて、仰向けになりっ放しで
何年もかかって描いたのでしょうか?
絵はすべて小さなタイルを埋め尽くして描かれたモザイク模様。
何億ものタイルを焼いたことでしょう。
1つ1つ埋めていく作業を思うと、頭がクラクラしてきました。
仏像に小さな千体仏が周りに彫られているように天使が彫刻の周りに
まぶりついているのは、洋の東西を問わずです。

大聖堂のてっぺんに上れるエレベーターが裏口にありそうという。
お一人様6000リラで途中の屋上まで。あとは灯台のような狭い階段
をぐるぐる廻って塔の見晴らし台まで登る。寝不足とカルチャーショック
でクラクラしている頭がもう昇天しそう。

ローマにお上りさんしたらしい老夫婦や、太ったおばちゃまたちが、
あまりのきつさに、階段の途中の小さなくぼみに座り込んでしまっている。
てっぺんに登るとそこからはローマの市街が見渡すかぎり一望の下。
緑の丘と薄茶色の壁と煉瓦色の屋根のコントラストの建物群。
“これがローマだ!”

それはそうと、
次男坊がいない・・・・・・。




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4月3日号


ローマ・パリ10日間の旅 珍道中シリーズ 3


なにわのおばちゃんの「ローマの休日」の始まり

 映画「終着駅」に出てくるテルミニ駅のすぐ近く、クラシックな建物、
メトロポールホテルに夜11時頃(日本時間翌日の朝7時頃)到着。
私たちは、すべてフリータイムなので、現地のJTBの係員がこれから
説明してくれると言う。
そんなのもういいから早く寝かせてくれえーっ。
イタリア版武田真治が上手な日本語で、地下鉄のラインや、見所、
注意事項などペチャクチャとシャベタリーノ!私はもうろうとして、
上の空。5人のうち、だれかはしっかり聞いているだろう・・・・。

息子二人が相部屋。私たち夫婦と娘が3人部屋・・・と言っても
ベッドが2つしかない。「さすがイタリア人だ、用意ができていない」
とダンナは怒ってフロントにTEL。
娘が壁の棚のあたりを触ってみて、エキストラベッドを発見!
組立式だったのだ。
若い子の方がこんな場合柔軟なんですよね。

係りのおっちゃんが夜中にゾロゾロベッドを運んできた。
その前にダンナはあわてて拡げたベッドを元に戻しておいたので、
係りの人が、エキストラベッドを発見し、組み立てた後、持ってきた
ベッドを持って帰っていった。かわいそう!
「ちゃんと拡げておいてくれへんからわかれへんやろ。」とぶつぶつ
言いながら反省を込めて、今夜はダンナがエキストラベッドで寝るこ
ととなった。

1万キロ以上の旅をしたあと、ベッドがあるから「ハイ、おやすみ」
と眠れる人はすごい才能だと思う。
世界を股に掛けて飛び回っている人達は、きっとこの才能の持ち主
なのだろう。
メチャクチャ疲れているのに眠れない。酔っぱらうしかないとワイン
を飲んでも眠れない。ベッドメイキングしたうすい毛布とベッドカバー。
軽いのに何だか隅々が窮屈で余計眠れないのよね。

それでもうつらうつら三時間ぐらいは寝ただろうか、お互いに
「あんたの方が良く寝てたよ」と眠れなかった方がえらいかの様に
寝不足を自慢してしまう不思議。

朝食にダイニングルームに出てあっと驚き。JTB御用達のホテルの為か、
7割方が日本人だった。外国に行って、日本人に会うと顔を背け会う
とはこのことだったのか。

優雅な立ち居振る舞い、姿勢のいい、にこやかな笑顔でテーブルについて
いる西洋人に比べて、日本人の集団は何と暗くて、のっぺらぼうな印象
なんだろう。お互いに自分自身の姿を見てしまった様な気分で知らんぷり。

ダイニングルームのマネージャーが日本人と見ると「ハイこっち」という
感じで粗略に扱ったとダンナはまた立腹。「犬や猫に餌をやってるんと違うぞ!」
とブツブツ。中年男はプライドが高くて大変ネ。
旅の後のJTBのアンケートにもこの件を書いていたから、メトロポール
ホテルのダイニングルームのマネージャーはご用心!
(わかるわけないから用心のしようがないか)

ビュッフェスタイルの食事は大好きなのに、やっぱりイヤ!
私のいやしい根性がみるみる増幅して、コントロールがきかなくなる。
あっ、コレもおいしそう、アレも食べたい、コレも飲もう、アレもつけよう・・・。
ハーレムの中で一人の女を愛しつづける男がいるでしょうか? 「否」。
かくして、私のテーブル上は色とりどりのメニューで超華やか、残すと
ダンナや子供達のブーイングがすごい。
体重計はこのホテルの部屋にないことをいいことに、しっかりといただくのだ。

朝食後早速、市内へ。私たちのツアーには市内観光はついていない。
ローマが4回目のダンナは、ガイド役をかって出てやたら張り切っている。

ローマの第一日目はやっぱりカソリックの総本山、バチカン市国の
サンピエトロ寺院だ。
テルミニ駅の地下鉄の駅からいざ出発。

この調子だと何回シリーズになることか




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4月1日号


ローマ・パリ10日間の旅 珍道中シリーズ 2


747は飛んでいく。
私たち5人の席は、窓側の2人、3人の2列。前に長男とダンナ。
後ろに次男、娘、私と窓から順に坐る。子供達は、初めての飛行な
ので窓にくぎずけ。

瀬戸内海上空で、アムステルダムまで9525キロ。時速350キロ。
高度8000メート。外気温マイナス3度。
シベリア上空で、5875キロ。時速877キロ。高度9600メートル。
外気温マイナス63度。テレビ画面にコンピューターのデータ表示がでる。
すごい寒い、すごい高い空中を、すごい速度で飛んでいるらしい。
飛行機がよく凍らないこと!

今頃は夜の8時頃だと言うのに、
行けども、行けども、太陽は沈まない。太陽を追っかけて西へ向かって
飛んでいる。何度も食事や飲み物やおやつのサービスがくる。
じっと12時間半も坐ってるなんてもう苦行そのもの。折りを見ては
最後尾の窓側で柔軟体操をする。
もう正気ではいてられなくなる。ワインをもらって酔っぱらって寝ちゃおう!

ダンナの方はというと、武蔵野美術大学出身という美人で若いM社の
車のカラーデザイナーの女性が隣に坐ったということで共通の話題もあり、
うれしくてしかたない様子。夢中になってしゃべくっている。
(ダンナは武蔵野美術大学で特別講座の講師としてここ何年か講義して
いる。ムスメにはバチモン講師と言われているが・・。)
彼女はジュネーブで開かれるモーターショーの視察に行くという。
テレビや映画のドラマに出てきそうな、絵になるキャリアーウーマンってとこ!

肩がこって頭がズキズキしていたのが、ワインで酔っぱらって血の巡りが良く
なったのか少しましになる。

私、思いまするに、皇室の方とか総理大臣、芸能人など、飛行機の
タラップから降りながら手を振らなきゃいけない人達、ほんとうにえらい
なあと思います。
長時間の飛行と時差で目はとろん、髪はバサバサ、足はフラフラ、肌は
乾燥してカサカサと言いたいところをにこやかに笑って手を挙げて迎えの
人達と握手してあいさつして、ああ、えらい!
(もっとも、奴隷船みたいなエコノミーの席と専用機の設備は違いすぎるけど)

アムステルダムのスキポール空港に着いたのは日本時間で夜中の12時頃、
ここで3時間の待ち時間。
側にオランダ人らしき双子の女の子が乳母車に乗せられている(双子用)。
男前のパパが2人をあやしている。ひまつぶしに2人と遊ぶ。ティアラとナディラ。
青い眼がほんとまるでお人形さんと同じ。ママはお買いものをしているみたい。
キアヌ・リーブスに似た若いパパ、まめに世話を焼いていますねぇ。
双子をダシに私はハンサムなパパとお喋りをする。
年齢は15カ月とのこと、ガラガラのおもちゃ、かわりばんこに放り投げるんだから、
こっちもフラフラ。ママが帰ってきたのを潮にバイバイして、ソファに倒れ込む。

日本時間夜中の3時頃、ローマ行きの727に乗り込む。747と比べると
何だか頼りない。また食事が出る、夜中の4時頃に(日本時間)食べていること
になる。あまり欲しくない。
やっとこさローマのレオナルド・ダヴィンチ空港日本時間で朝5時頃に到着。
入国審査の係官、パスポートもろくに見ずに「いらはい、いらはい」って感じ、
「せっかくイタリアに着いたのだからパスポートにはんこぐらい押してくれても
ええやんか!」
皇帝ネロのようなもみあげからあごまでぐるりと髭をたくわえたローマ人が
ワゴン車で迎えに来てくれている。
ローマ時間で夜の10時頃なので、よくわからないけど、ローマ市内に入ると
石畳の道路のがたがたとした振動と、コロッセオムがライトアップされていて
闇の中に浮き上がっている。
ああ、来たんだ という感慨。長かったョ・・。ここに来るまで。

ヨーロッパは遠すぎる!




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