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5月29日号


ローマ・パリ10日間の旅 珍道中シリーズ 20


パリ最後の夜

 パリ最後の夜は、シャンゼリゼの「ビストロロマン」の空振りが残念だったので、 今度はガイドブックでこの辺り、レ・アル地区のレストランを探しました。 (この本はさすがよく調べてあって、今までにハズレはなし!)

 「パリのノスタルジーを味わうならこの店へ・・」と言うふれ込みの「ル・ブラン・ドウ・ザング・エ・マダム」 なんて、10回言ってもらっても覚えられない名前のビストロに行きました。
昔ながらの雰囲気を残し、パリのビストロを紹介する本でも絶賛されているとか言う店らしく、 壁や棚には年代物の小物や絵、ペナントが所狭しと飾られ、にぎやかでアット・ホームな感じ。 テーブルもギュウギュウに並べられていて、席につくのに隣の人に「ゴメン、ゴメン」といいながら でないと入れないぐらい。

 店のメニューのその日のおすすめは、古い黒板にチョークで書かれている。 ただでさえフランス語がわからないのに、走り書きのチョークの字なんてさっぱり読めましえーん!  仕方ないので、ダンナはガイドブックに写真が出ている、フオラグアのデミグラスソース煮とか、 サーモンのメダイユソースがけとか書いてある、おいしそうな料理を指さして頼んだけれど、どうも今日はないらしい・・・。 とにかく前菜、肉、魚、サラダあたりを適当に選んで、ワインを頼むと、ワインはボトルじゃなくて陶製のデカンターで出てきた! ハウスワインという訳・・・? 未成年の娘が、「おいしい、おいしい」と、偉く早いピッチで飲んでいきます。 つられて私も急ピッチ。ローマやパリではお水が高いので、ワインのほうが値安感がして、ついつい飲み過ぎてしまいます。

 先日、友達が大阪ドームの中にある、有名な歌手がオーナーだと言うイタリアレストランに行って、 「お水がメチャ高かった!」と目をむいていました。いくらイタリアレストランだといっても、 お水がタダの日本でジュース並の値段にするのは、やっぱりネエ・・

 パンもおいしくて、バスケットが空っぽになると、小柄でキュートなボーイさんが お代わりを入れてきてくれました。隣に坐った息子の肩をちょっと揉んでいると 「Me,after!」とパンのバスケットを重そうにかかえて、肩がこったとジェスチャーしながらマッサージをねだったのは、 ここのボーイさんです。
 気さくで小粋なパリのエスプリが味わえたいい夜でした。

      すっかり出来上がった二人の酔っぱらい女が、いい気分で店を出ると、三人の男達は、 これからエッフエル塔へ行こう!と言います!!!「ええ? これからあ? 最初の日に行ったやんかあ!」 といやがったけれど、彼らの意思は石畳よりも堅い。パリ最終日の夜を最後まで味わいつくそうというのは 貪欲というか、貧乏根性というか・・・。今日は朝からどんだけ廻ったのよー! 「自然史博物館」「アラブ世界研究所」「ノートルダム寺院」「ポンピドーセンター」 「フォーラム・デ・アル」そして最後の締めくくりがパリのシンボル「エッフェル塔」という訳だ!

 前回はセーヌ河畔の散歩のひょんなところで出会ったエッフェル塔だったけど、 今夜は対岸の高台にあるトロカデロ広場から下って行くことになりました。
 やっぱり来て良かった!「ファンタスティック!」「ワンダフル!」「絶景!」 最高の賛辞はこういう時に使うしかない、素晴らしい「光と水」の饗宴!!
高台のライトアップされたシャイヨー宮のま正面にセーヌ河畔の夜の闇の中からニョッキリと光の塔、 エッフェル塔がそびえ立っている。その後方には街の灯りが小粒の宝石の海のようにさざめいているといった感じ。
シャイヨー宮の前のトロカデロ広場の噴水は消防車の放水のように、滝のように坂の下のエッフェル塔に 向かって何本もどとう逆巻く水煙をあげて落ちていっている。赤や青、黄色のライトが水煙にけむって・・・。
「ほんまにもう、憎い、憎い!」なんという素敵な演出でありましょう。 これでもか、これでもかと目一杯楽しませてくれるパリ。

 もう夜の10時近かったけれどエッフェル塔の下は展望台エレベーター待ちの人でいっぱい。
4本脚の塔の真下に入って上を仰ぐと、何だかエッフェル夫人のスカートの中に潜り込んだような、 エロチックでダイナミックな空間(股間?)が広がるのでした!
ムッシュかまやつことムッシュ千秋の言葉はその通りでした。「パリは最高です・・!」
アデュー パリ、楽しませてくれてありがとう!!
そして、いとしいローマ、又、会いましょう! もう恋人と別れる気分・・・・。

長らく読んでいただきありがとうございました。
めでたく、ローマ・パリ10日間 珍道中の旅が終了しました。

ほっ! また行きたい〜!

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5月26日号


ローマ・パリ10日間の旅 珍道中シリーズ 19


パリの古着屋さん

 シテ島(大阪で言えば、堂島川に浮かぶ中之島みたいなもん)にあるノートルダム寺院は、 ちょうど芽吹きだした新緑のマロニエの木に囲まれていました。

 礼拝堂の中は、古いお寺の本堂と同じように薄暗く、ろうそくの灯がゆれていて、 教会だと思わせるのは、ステンドグラスが外の光を透して美しく輝いていたことでした。
日本人の団体ツアーのガイドさんが、何やら説明しています。ツアー客ににじりよって、 紛れ込んで聞いていると、このステンドグラスは800年前のもので、現在作ってもこのような 美しい色合いにならないとか。と言うのも、800年かけて酸化したり、細かいひびが入ってきて この様な風合いになってきたのだそうな!

 薄暗い壁際に、半畳ずつ位の広さで仕切られた小さな部屋が二つありました。
たぶん懺悔室なのでしょう。神様、私も懺悔することがいっぱいあります! この罪深き迷い子を、どうぞ、おゆるしくださいませ・・・・・。

 ポンピドーセンターへ行く予定があるので、残念ながら、「せ○し男」(放送禁止用語だから使えない) がいた鐘楼には登らず。娘が言うには、最近、デイズニー映画で「ノートルダムの鐘」を封切りしていたとか。
アメリカ人が描くと「どんなんかな〜?」と少し興味ありって感じです。

 外に出ると、又霧雨が煙のように降っている。ノートルダム寺院の軒先で高校生達と しばらく雨宿り。少したつとケロッと止んでしまう。

 シテ島を出てセーヌ北岸に渡るとそこはパリ市庁舎前。石造りのどっしりとした宮殿のような建物。 ローマの荘重な建築に比べて、パリは同じ石造りでもかなりきらびやかな装飾がついていて、 バルコニーには美しい曲線の柵が並んでおり、見た目がずいぶんと華やかです。建物には何本も フランス国旗がはためいて市庁舎は普段からおまつりのようなにぎやかさ。

 市庁舎の裏を抜けてポンピドーセンターに行く途中、見つけてしまった古着屋さん。
ひやかしのつもりで皮のコートをひっかけてみると、なかなかいけるやんか。それからが大変、 とっ替えひっ替え、着替えては脱ぎ、脱いでは着て、これだけ試着するとひやかしで「ハイサヨナラ!」 という訳にはいかず、店のニイちゃんもいやな顔ひとつしないで脱いだコートをハンガーにかけたりする もんだからいよいよ意地になってどれか買わんことにはこの場のおさまりがつかない。ようやっと、 表皮のひざ上ぐらいまでの黒の半コート、比較的新しくて、ラインもなかなかというやつをみつけて 5000円也で買う。外で待っていたダンナの目ん玉は怒りの為、2倍にふくれあがっていたような・・・。
彼は新しいもん好きだから古いもんには興味がなく、(カメラは別)ましてや誰かが着た古着なんか とんでもないといった感じ。「ええやんか、パリの古着やでパリの、しかも皮やんか、皮は着古さなええ味出えへんやんか!」 パリの古着がどう違うのかわからんけど・・・。

 とにかく雨上がりで寒かったこともあって、着ていたジャケットを袋につめてもらって、 私は皮コートでパリジャンになった。

 ポンピドーセンターが20年前に建った頃は、古い建築の街並みを見慣れたパリ市民は アッと驚き、賛否両論に分かれたらしい。
ガラスの壁面にむき出しになったパイプが張り巡らされている建物で20年前なら、 やっぱり日本でもアッと言ったかもしれない。設計は我々関西人には縁のある人で、 関西国際空港のターミナルビルを設計したレンゾ・ピアノ氏の若かりし頃の作品という訳だ。

 ポンピドーセンターは地上6階、地下2階に図書館、美術館、音楽センター、フィルムライブラリー などが入った総合現代芸術センターで、その日はジャパンデーか何かで、日本映画特集を地下の映像ルームで やっていた。ポスターを見てみると黒沢明の「羅生門」や小津安二郎の作品など、1週間ぐらいの予定で上映 しているようだ。ロビーにはパリのインテリが集まり、なにか難しそうな話をしている様子だった。

 4、5階の国立近代美術館では、ピカソ、マチス、ロジェ、ブラマンク、ジャコメッティなど、 現代アートの祖といった作家の作品など3万点もあるという。

「何でこれがええのやろ?」と思うようなものや、奇をてらった感じのや、最初にしたもん勝ち のようなアイデアものや、とにかく「何でもあり」のエネルギーの爆発を見ました。
見る者は当然、その爆風にあおられる訳で、ルーヴルやオルセーでの疲れとは又ちがった疲れが おそってきて、私しゃ途中でとても寝心地のいい皮のソファに坐って壁一面の大作を前にして しばしうたた寝をしてしまいましたョ。

 ポンピドーセンターの近くのこれもパリの新しい顔と言われたフォーラム・デ・アルの 地下4階のショッピングセンターは、我々、世界一広くてきれいな地下街を見慣れている大阪人 にとっては特に感動ということもありましぇ〜ん!
(中央市場跡を改装して出来たらしく約15年前にここに来ているダンナに言わせると 当時のテナントは1流のブランドショップが多く、今は、当時に比べ相当すさんでいるとのこと)

 大きなカメラ店(fnac)の中にミノルタやパナソニック、ビクター、ソニーなどのカメラや ビデオムービーがたくさん棚に置かれていて、パリの男達のため息と羨望の的になっていました。
私が作った訳でもないのに、なぜか誇らしい気持ちになったのは愛国心か、それともさんざんフランスに ため息をついてきて、最後にちょっと仕返しができたからなのか。

    
さあ、これからパリ最後の夜、どこへ繰り出しますか?

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5月22日号


ローマ・パリ10日間の旅 珍道中シリーズ 18


フランス国立自然史博物館

 パリ4日目の最終日は、ダンナの今回の出張の目的の1つである、国立自然史博物館視察のお供です。  この博物館は、以前は動物館だったのを4年前に全面改装して、従来の博物館の常識を破った画期的な博物館として、 世界中から注目されている所とか。カルチェラタン地区の広くて静かな植物園のなかの、宮殿のような建物です。 中は、3層の回廊に周りをぐるりと囲まれた4階までの吹き抜けで、その広さと豪華さにびっくり!

 まず、1階のフロアー中央を横切って、アフリカの動物達の大移動の大群が目に飛び込んできました。 ゾウやキリン、シマウマ、サイなど大きなモノから小さなモノまで、ぞろぞろと移動して今にもこちらに やって来そうな感じです。天井からは、モザイクのような光が流れ込み、あたかもジャングルの中から 空を見上げたような雰囲気です。音響も、古代のジャングルに迷い込んだらさぞかしこんな風に、 しじまの中から木々の呼吸や、鳥の声が響いてくるだろうナ、と思えてくるような深くて遠い時代から音が聞こえてきます。 模型や剥製や採集物が単に陳列されているだけでなく、光と音と空間の総合的でダイナミックな演出は 古代からの動物達が演じる舞台のようで博物館は劇場と化した感じです。 ダンナは資料収集ということでビデオをまわし続けています。
あるフロアーでは小学校の先生らしい人が12、3人の生徒を前にして熱心に説明しています。 子供達も身じろぎもしないで聞き入っている光景は、机の前では実感できない、百聞は一見にしかずの 授業でフランスの子がうらやましいなぁと思いました。

 フランスという国はこういうことにすごいお金をかける国なんだなぁ。 そして、この国もかっては世界中に植民地であって世界各地からの動物、植物を鉱物を集めて 研究する博物学が発達しているんだぁ。

 日本じゃ江戸時代の幕府は国内を統一することだけに汲々としていて、世界にまで眼を拡げる 余裕なんてなかったもんネ。
こんなに文化の厚みが違うヨーロッパの国々に対して反対に言えば極東の小さな島国がテクノロジーの部門 だけでも一流のレベルにあるというのは、よく頑張ってきたと言えるのではないでしょうか? だから、それを勘違いしない方がいいということでしょうネ。文化の面では、とてもとてもということを。 まだまだ子供ということを!

 この国立自然史博物館はガイドブックにも載っていないし、殆どのツアーにも組み入れられていないと思うので、 まさに超穴場のスポットです。ガリ版日記を読んでくださっているあなただけにお知らせ!

 博物館のロビーには、蝶ネクタイをしたボーイさんがサービスしてくれる格調の高いカフェレストラン があったりして、こんな公共のところに一見むだにみえるようなお金をかけるフランスは大人だなぁーと思ったりします。

 日本の公園など散歩していると、園内に安普請のお店や簡易食堂などはあってもちゃんとしたレストランなど お目にかかれない。ダンナがいつも言っている「公共のこういうところにおざなりじゃないいいものがほしい」 という言葉がこの眼で見てなるほどと実感できたのです。
 庭園内にたぬきのシッポみたいな長くて大きい松ぼっくりを拾って自然史博物館をあとにしました。

 カルチェラタン地区をウロウロしていると、コミックの専門店「Blood Mary」というお店に出くわしました。 この辺りはソルボンヌ大学やパリ第6、7大学が周りにあって学生街といったところ。まず長男目を輝かせて入って行きました。

 ドラゴンZやうる星やつら、セーラームーン、宮崎駿、大友克洋の作品など日本発のコミックやアニメも フランス語の吹き出しになって置いてありました。長男はディズニー本とはまったく違う“ピノキオ”の ハードカバーアニメ本(有名な作者の絵で、純粋の絵画作品としても価値があるらしい)、 娘はフランスの有名なキャラクター“TAN TAN”(?)のシリーズを購入していました。 でもフランス語の内容を理解できるようになるのかナ?
別の店の前ではキャラクターカードを交換し合って分厚いファイルに納めている男の子達、 日本のオタク族と変わりません。  アニメやマンガは世界に誇れる日本の文化です。ところがフランスではあまりに日本のアニメが 入りすぎて、フランス文化を損なうとか、暴力シーンやセックスシーンが多くて、フランスの青少年に 良くないとかでテレビ放映も制限するという記事を読んだことがあります。
異文化が入り込むのを防ぐ、あるいはノーガードにする、どちらがいいのか私にはわかりません。 だって日本は今までずっと異文化を受け入れ続けて、いろいろに変容してきた国ですから「防ぐ」という意味がわからない。 (鎖国時代はあくまで政治的な意味が大きかったと思うし・・)

 パリ大学のすぐ北側のセーヌのほとりにアラブ世界研究所というのがあります。 ここの建物は「魔法の館」というので建築を専攻している次男が楽しみにしていたところ! 壁面にはメタルパネルがアラベスクのモザイク模様のように全面に埋め込まれています。 それが太陽光線の加減かコンピューター制御なのかカメラのしぼりのシャッターのようにパネルの1枚1枚が 開閉して、全体の壁面が模様替えし続けているのです。
模様が動く瞬間を見たくてじっと待っているとだいたい12、3分毎に動いているようです。 ランチは最上階のレストランに入ってアラブ料理を賞味しました。フランスは地中海を越えると もうアラブ世界ということで、結構つながりが強いのだナということを実感。 どうりでクリニャンクールののみの市でもアラブ系、アフリカ系の人が多かった。

 セーヌの河べりを少し歩くとシテ島の中のノートルダム寺院がそびえ建っているのが見えました。 ポンピドーセンターに行く前に寄っていこうということに。
ノートルダムと言えば、昔見た映画に「ノートルダムのせむし男」というのがありました。 ノートルダム寺院の塔の鐘つき堂に住む、見るもみにくいせ○しの男が、美しい女に恋をした、 切ない映画だったと思います。
 近くでは、「仕立て屋の恋」という映画もありました。
    
フランスは、せつない大人の味がする!

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5月20日号


ローマ・パリ10日間の旅 珍道中シリーズ 17


ナポレオン気分

 オルセー美術館前の、愛らしい巨大なカバ像がある広場に出ると、霧雨が降っていました。 傘をさす人を余り見かけないのは、パリ辺りは少し雨宿りをすると間もなく雨はあがるからだと、 ダンナ。日本のような「土砂降りの雨の中〜」なんてのはないそうナ。

 映画を見たときの感動に、うまくその土地の風土が描かれている場合がよくあります。 学生時代に見た、「オイデイプス王」は、ギリシャの乾いた砂と太陽が印象的でした。 反対に、2、3年前に見た「ラマン」は、泥が流れているような鈍い色をしたメコン河と、 土砂降りの雨にジャングルの木々がにおい立つように濡れていた風景が、忘れられません。 その風土があるからこそ、その人間ドラマが生まれたみたいなネ。

 ここフランスでは、「シェルブールの雨傘」がありますが、あまり湿気を感じない恋物語でしたね。 日本映画では「7人の侍」がやっぱり土砂降りの中でのたうち廻っていましたが、泥と雨は、 亜熱帯雨林気候の風土(日本の夏の暑さは温帯なんてモノじゃないでしょ!)独特のものなんでしょうか?

 頭にハンカチをかぶり、コンコルド広場を駆け足で横切って、メトロで凱旋門に行くと、 もう雨はやっぱり上がっていました。西の空の雲間から沈みかけの太陽が顔を出していました。

 凱旋門でもカルトミューゼさまさま・さんまのしっぽですぐに入館でき、エレベーターで最上階へ。 階段を登ると凱旋門の屋上、いわゆる1番天辺に降りたった訳で、雨上がりの風がピューピューまともに 当たって寒いの寒くないのって! だけどぐるり全円パリ市街が見渡せて、 おまけにこの門を中心に四方八方に星状に通りが走っているものだから、天下をとったナポレオン気分、 パリのへそ気分を満喫。西の丘に太陽が今にも落ちそう。

 街路樹が太く続いて、ネオンや車がにぎやかな通りは、やっぱりシャンゼリゼ通り。 西方はるかに、パリ副都心の“ラ・デファンス”の新凱旋門のアーチビルがそびえているのが見えてます。 (大阪にも空中庭園で有名な新梅田スカイビルというそっくりなビルがある)

 この間、テレビで日本の少年が紙飛行機を凱旋門から飛ばす実験をしていました。 やっぱり風がきつくて墜落ばかり。許可が下りた最後の一機がとうとう120メートルも 飛行して成功!となりましたが、ほんと、凱旋門は風がきつくて寒かった。

 パリ3日目にして、ようやくシャンゼリゼ通りお目見えとなりました。 洒落たカフェやモダンなショーウィンドウ、華やかでよそゆきのパリが並んでいます。 カフェの椅子は全部通りを歩く人を見るためにこちらに向かって並んでいるので、背中を丸めては歩けない。

 シャンゼリゼの表通りに面したレストランとカフェを「賞味せん!」と歩いてみた中で 一番きらびやかなレストラン「ビストロ・ロマン」に入ってみました。 ウェイトレスはみんなミニスカートの美人で愛嬌があったけれど、料理はフランス語だけのメニューのせいもあるけれど、 おすすめ料理は失敗。生肉や生ハムばかりでちょっと降参した。 テーブルも窓際じゃなかったので、シャンゼリゼ通りの道往く人を眺めながら食事をするという設定は幻に終わる。

 よし次なるはカフェでとシャンゼリゼで最も有名なカフェ「フーケ」にくり出す。 白い上着のユニフォームを着て、きびきびとサービスしてくれるボーイさん。コーヒーカップも大き目で しっかり入っている。ケーキはホームメイドのようなドライフルーツケーキ。名実ともに納得のいくお店でした。 ただ計算違いは、夜なのでシャンゼリゼを歩く人があまり見えず、カフェの中の明るいライトに照らされている我々が ジロジロ見られるはめになったということです。


しかし、シャンゼリゼに似合わん家族だわ!

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5月15日号


ローマ・パリ10日間の旅 珍道中シリーズ 16


ヴェルサイユのバラはまだ咲いていなかった

 パリに着いてからというもの、日程は無駄なくラッキーだった。 到着は日曜日だったので、午後からクリニャンクールののみの市に 出かけることができたし、月曜日はヴェルサイユ宮殿が休館、火曜日は ルーブル美術館が休館ということで、月曜日にルーブルへ、火曜日は ヴェルサイユというスケジュールが組めた。

 パリ3日目はRER(高速郊外地下鉄)でパリの南西郊外にある ヴェルサイユ宮殿見学。ツアーなどのオプションで行くと1人7000円 ぐらいかかるけど、地下鉄に乗って30分ほどで行けるし料金は1/10 ぐらいで済む。ぜひ、電車に乗ってテクテク歩きをおすすめします。

 少し曇った肌寒い朝、ヴェルサイユの街に降りました。 馬車が駆けめぐったであろう門から宮殿までの石畳の広場、中央に ルイ14世の騎馬像、マンガ「ヴェルサイユの薔薇」のシーンが 思い浮かんでしまう。(こどもたちもマンガを読んでいるのでやたら ベルサイユ宮殿の歴史に関してはくわしい)観光バスで団体客が続々 詰めかけ、個人旅行者もチケットを買うのに100m以上列を作って 並んでいるのを横目に、カルトミューゼのチケットのおかげで、並ばずに ヴェルサイユ宮殿友の会の専用入口からすんなり入館。

 宮殿の中は、まあ、贅をつくしたというか、これだけよくもギンギラ ギンにデザインできましたねぇと口をあんぐりするしかありませんでした。 マリーアントワネットの寝室は壁や調度品すべて薔薇模様。こんなにぎ やかな部屋で、彼女は安眠できたのかな〜。
夜毎、きらびやかな舞踏会が催されたという鏡の間は今でもその華やか なさざめきが聞こえて来そう。でもこんなあきれる程のぜいたくにフラ ンス革命がおきたのも「無理ないワ」という実感です。

 庭園もすごい広さで向こうの方は霧に煙ってかすんでいる。直線と 円や長方形に規格された池や噴水や花壇はまだ花をつけていなく、 モノトーンの中で整然とたたずんでいましたが、赤や黄色の花が咲く頃 にはさぞかし明るく華やかな印象になるのでしょう。

 とても気に入ったのが高く高く真っ直ぐに伸びた冬木立が両側に続く 並木道です。遠近法がこれだけしっかり見て取れる道はないだろうと 思うぐらい向こうの端の木々は両側から近づいて点になっているみたい。
マリーアントワネットは深い落ち葉を踏みしめて裳裾を露に濡らしながら フェルゼン伯爵との逢い引きの「愛の宮殿」へと秘かにこの道を通った のかも知れない・・・・。

 庭園の奥深く歩き続け、もう周りには誰もいない、静かな森の中で われら5人、長男はクリニャンクールののみの市で買ったアルパカの ごついカーディガン。次男ものみの市で買ったモスグリーンのコーデュ ロイのジャケットに同色のスウェードの帽子。またもや正体不明の 怪しげな風体の5人連れが思い思いに森の中でパフォーマンスを 繰り返しながら、深い森の中をさまよい歩いて、王朝の栄華と崩壊を 心ゆくまでなんのうしたのでありました。

 森から宮殿に帰る途中の森のはずれで、地元小学校低学年の生徒が 約20人、先生の指導のもとに3段飛びの練習をしていました。
長男が手を前で合わせておじぎをしてみんなに挨拶をすると、子供達 も喜んで、手を合わせてぺこぺこおじぎをしだし、中には土下座を しておじぎをする子も出現、パニック状態になってしまい、先生が あわててみんなをたしなめていました。

 宮殿を後にして、ヴェルサイユの街を歩いてみました。観光コース からはずれると人通りもチラホラの静かな町並み。
かわいいケーキ屋さん、ペット屋さん、本屋さん、雑貨屋さん、のどか な郊外のそれはこぎれいなお店が続いています。

 CMによくでてくるような感じで、フランスパン1本をそのまま 手に持ってパン屋さんから出てきた女性をみかけました。店をのぞくと にこやかなマダムが1人できりもりしています。細めのフランスパン にチーズとサラミがはさんであるカスクートがおいしそう。それぞれ に好みのフランスパンサンドを持って、ジュース袋を下げて、小さな 教会の前の公園のベンチでランチタイム。というのもパリに着いた時 にJTBの係員の人が言うには、「ランチは簡単に済ませた方がいい ですよ、お店に入ったら下手すると2時間ぐらいかかってしまうから」 ・・と教えてくれたのです。といっても3月中旬では公園のベンチは まだ少し肌寒い。ウルルルとふるえながら、フランスパンをかじる ランチタイムでした。

 午後からはRERでオルセー美術館へ。カルトミューゼのおかげで ここもフリーパスで並ばずに入館できた。この美術館は1900年の パリ万博の時にエッフェル塔とともにできた元オルセー駅で、あまり に美しかったために美術館に転用されたそうだ。その名残が正面の 大時計にみられる。

 フランスの大きな美術館としてまず古い時代から言うとルーブル、 そして19世紀後半から20世紀初頭の作品がオルセー、そして明日 行く予定のポンピドーセンターの近代美術館が現代美術の展示となって いるので、時代的にすこしづつ近づいてきているということになる。

 オルセーの美術館で印象派のモネ、ドガ、ルノワールなどを見て 正直ホッとした感じがしました。
何せローマからこっち彫刻はムキムキ、ゴテゴテ、絵画は宗教画か 宮廷画ばっかりだったので、少し息がつまりそうだったのです。
19世紀後半になってやっとリアルですっきりとしたラインの絵や 彫刻、宗教や宮廷にとらわれない自由な発想と素材に出会えたからです。

 モネの「光の陰影」、ドガの「動き」、ルノワールの「色彩」 ロートレックの「力強い線」、ゴッホの「タッチ」みんなやっぱり すごい!
長男は美大の造形に通っているものだから、もう感動で“ふるえている” といった感じでした。

日本の国家予算をすべてつぎこんでも買い取れない
すごい作品が1つの美術館に並んでいる。
フランスの文化の厚さに、脱帽!!


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5月13日号


ローマ・パリ10日間の旅 珍道中シリーズ 15


パリのラーメン屋さん

 ルーブル美術館の世界のお宝を1日中見せて貰ったおかげで、眼はジンジン、 足はフラフラ状態。もう降参!という感じで出てきました。
ルーブルの庭みたいなチュイルリー公園で、一時間程ベンチにどっかり座り込 んでのどかな黄昏時を満喫して、ようやく元気回復。となると、お腹がすいて きたぞい!
またメトロに乗ってウロウロ探し回るもめんどう・・・・・・・。
「この辺りでどっかない?」とすこぶる消極的になったわれら一行。 特に口だけは元気なのに体力はからきし駄目とみんなに証明してしまったオバハン。

 日本を発って六日目、何だか醤油系の味が恋しくなってきた・・・。 そこで我が優秀なるガイド、今回でパリ6度目の実績を持つダンナ、 「すぐ近くにラーメン屋があるゾ!」の一声に、全員一致で「そこ行こ!」となった。

 パレ・ロワイヤル付近のラーメンレストラン「大阪」。
「博多」でもなく、「札幌」でもなく、「大阪」なんがちょっと不思議なんやけど。 (大阪はやっぱりおうどんやからね)久しぶりのラーメンとぎょうざ、しゅうまい、 ご飯、つけものに大感激。ただし、お茶はでないし、お水も有料なのが少しつれな かったけど、まさしく日頃なじんでいる味のオンパレードにホッと一息付いた感じ! と周りをみると、店の中の壁という壁、色紙がびっしり貼られている。 郷ひろみ、小林旭、石原裕次郎・・・etc。何故かフランソワーズ・モレシャンも。 パリにきたスターは、必ずここに来るのかしらん?

 私たちがうれしがってスターの名前を順番に読み上げていると、店のマスターが ニコニコしながらやってきた。そしてしゃべる、しゃべる、私たちが食べ終わるまで ずーっとテーブルの横に立って、来店したスター達にまつわる話を聞かせてくれた。

 その1、
 「マッチ」が来店した時、マスターは彼のことを知らなくて、順番待ちに並んで 貰ったら、一緒に来ていた周りのスタッフがびっくりして「彼は近藤まさひこですヨ!」 と特別待遇を要求したそうナ。店にいたお客さんも、「マッチだ、マッチだ!」と 騒いでいたから、「ああ、有名なタレントなんだ」とは思ったけれど、私はしばらく 日本を離れていて、やっぱり知らないから並んで貰いました!

 その2、
 小沢征爾がパリのオペラ座での演奏会の指揮を取る前に、毎晩この店のぎょうざを 食べて力をつけてから指揮棒をふるそうナ。
たまたま店に来ていたパリに音楽留学している学生たちにとって、彼は神様みたいな人なので、 ぎょうざを食べている彼の姿を見て、直立不動で凍ってしまったとか・・・。

 その3、
 パリで大相撲公演があったとき貴乃花他おすもうさんご一行がこの店に来た時、 小さな丸椅子にはおしりがあふれて坐りにくいため、全員椅子を2個づつくっつけて 坐ったそうな。当然店の外はパニック状態、日本人観光客や地元フランス人がいっぱい
で警官まで出動したらしい。

 その4、
 「ところでお客さんは音楽関係の方?」とマスター。この五人の中で誰がスターか ミュージシャンに見えたのでしょうか?私かな?(ちゃうちゃう!!)
マスターのにぎやかな日本語のお喋りと久しぶりのしょう油系料理にしばし、日本する。

 再びパリの夜の街へとくり出し、オペラ座へ。 夜の闇の中にそびえる豪壮な建物。この中で紳士淑女がきらびやかな衣裳に身をつつんで オペラや演奏会、バレエ公演を楽しむのだ。
黒いスーツを着込んだ上品でハンサムな職員に「入ってもいいか?」と聞くと「ウィ!」と 答えてカバンの中身を調べられた。(爆弾なんか持ってないよ〜!)

 オペラ座のロビーは豪華絢爛、シャンデリアが輝き、正面の廻り階段は淑女達が ファッションショーの為のステージのように演出されている。
ドレスアップしてこういうところに毎夜訪れ、社交界の華を競っていると人の眼を意識 した立ち居振る舞い、なにわのおばちゃんでさえもいやでも洗練されて、優雅な 淑女になっていくこと請け合い!(足の長さは伸びひんぞ!・・)
ヨーロッパ人の姿勢の良さやにこやかな話ぶり、洗練された物腰、ユーモアなどは こんなステージで教育されてきた伝統の賜物なのでしょうネ。

今度生まれ変わったらフランス人になろう!決〜めた!
ちなみにダンナはイタリア男になるそうな。どうせ女性をくどくためでしょう!!


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5月9日号


ローマ・パリ10日間の旅 珍道中シリーズ 14


あこがれの「サモトラケのニケ」に会えた


 パリ1日目に思う存分夜のセーヌ河沿いを2時間歩き続け、突然 現れた光のエッフェル塔を仰ぎ見てこれだけでもう充分パリした気分に なってしまった。

 2日目は昨夜セーヌ沿いで見かけた念願のルーブル美術館へ。
サモトラケのニケやモナリザ、古代エジプトの宝物など写真ではよく 見てきたものを現物で、この眼で見れるのだ!

 思えば、30年程前、ミロのヴィーナスが来日した時は、京都岡崎公園 の市立美術館の周りを何重にも待って、人々は一目見ようと押しかけたもの でした。待ち時間3時間、鑑賞3分といった感じ。
そんな世界中のお宝がゾクゾクと貯め込まれ、一挙に見せてもらえるの だから涎(よだれ)ものです。

 ガラス張りのピラミッドの入口から地下のホールへ入るとさすが、 すごい人。長蛇の列のチケット売場を横目に、“カルトミューゼ”という 美術館巡りの回数券売場へとダンナは行きます。瓦井家ご一家の優秀な ガイド役のおかげで全面おまかせコースのラクチンパターンとなりました。
というのもこのカルトミューゼは3日間有効で(1日券、5日券もある) 3つの美術館に入場すれば元がとれる値段で購入でき、私たちの場合、 オルセー美術館、ポンピドーセンター近代美術館、国立自然史博物館 (ここは割引だけ)、ヴェルサイユ宮殿、凱旋門もフリーパスで、 チケット購入のために並ばずに優先入口から入ることができました。 カルトミューゼはぜひおすすめのチケットです。

 入口でまず午後1時にここに集合しようと約束して5人は思い思いの 展示ウィングへと別れました。ダンナは私と一緒です。家族の中で 方向音痴で一番迷子になりやすいというか頼りないのは私と踏んだので ありましょう。

 私たちはまず、ドノン翼の“サモトラケのニケ”に会いに行きました。 私は中学の美術史でニケの写真を初めて見てからというもの、ずっと お会いしたかった方なのです。その方は階段を上りきった踊り場に 天井からの光の中、翼を拡げて風をうけながらさも飛び立たんとした 姿で堂々とそびえていました・・・。感動的な出会いでした。顔がもげて しまっているので、余計にその勝利の女神は神秘的で迫力があり、 想像力をかきたててくれます。
古代のギリシャの衣裳のひだの、一筋一筋に動きや流れを感じさせ、 生きているようです。
ちなみにアメリカのスポーツウェアのナイキはニケの英語読みだそうで、 あのビューンと動いていくマークはこの「サモトラケのニケ」の躍動 感と相通じるものがあると納得。

 ニケに会えたので、もうルーブルに来た目的は達して、あとはおつり みたいなものだけど、そこはなにわオバチャン、欲張りなので、1点も 見逃すまいといった感じで見続けもうクタクタ。一時間半もするともう 疲れはて、2階の窓際にあるカフェモリアンで小休止。石造りの壮大な 宮殿の一角、天井の高さや壁の装飾すべてどっしりと美しく、自ずと 日本では東大寺の木造建築と並び比べてしまう。石と木の違い、この 差は大きい。石は冷たい、木は温かい。石は燃えない、木は燃える。 石は重たい、木は軽い。日本に現存する古いモノが少ないのは燃えたり 倒れたり虫に喰われたり、しょうがないネ。木と紙の文化は消失と 再生のくり返し。
コーヒーを飲みながら、西洋文明の真っ直中に呼吸する。

 ナポレオンという人、この人の時代にフランスは世界制覇をしたの でしょうか、エジプトやメソポタミア、インド、あらゆるところから のお宝を沢山持って帰ってきていますネェ。
それに自分自身をヨイショする絵のなんと多いこと。勇猛果敢に戦って いる戦争画や、宮廷肖像画がいっぱい。 とても一日では見尽くせないよお!

 1時に全員集合し、ルーブル内のセルフサービス形式の大きな レストランで、ちょっとみんな放心状態で昼食。
「あれが良かった」「これがおもろかった」子供達のそれぞれの 話を聞いていると「えっ、そんなんあった?」宮殿が一直線の展示 ラインなら見逃すこともないだろうけど、蜂の巣のような部屋並び なので、必ずといっていいほど、どこかの部屋は見忘れている状態。

 昼食後、それぞれが課題を持って気を取り直して再びアタック開始。 ほんと、もう相当な覚悟と気合いが必要な圧倒的な量。

 ナポレオンの部屋を見ていると向こう側からゾロゾロおつきの人を 従えた一団が入ってきました。VIPの人達だろうと見るともなく 見ると、はて、どこか見覚えのある人。どこの首相か大臣かと思って いるとあの面影はチャールトン・ヘストンでは?駆け寄り、側にいた ケビンコスナーとは似ても似つかないボディガードの人に「ひょっと して彼はチャールトン・ヘストン?」と聞くと「Yes he is チャール トン・ヘストン!」
30年程前のハリウッドの大作映画「十戒」や「ベン・ハー」に主演 したシブい役者。もう70過ぎになっているんでしょう、少し足を ひきずって歩いています。
「私はあなたのファンです。あなたの映画よく見ました。」とボディ ガードを押しのけて握手しながら言ってみた(かった。)
ローマのコロッセオを見てきたばかりでベン・ハーのチャールトン・ ヘストンに会えるなんて少なからぬご縁を感じましたですネェ。

 ちょっとしたおみやげ話を持って5時の待ち合わせ場所に。 不幸なことに子供達は彼の名前すら知らなかった!

 1日中美術館の中を巡り歩いて眼も足も頭も疲れてフラフラ状態で 外のチュイルリー公園にたどり着く。大きな丸い池の真ん中に噴水が 上がり、周りにかっこうのベンチが並べられている。こういうところが 憎いんですネェ、パリは・・演出が。
黄昏時のこの公園の噴水池のまわりはルーブルから吐き出されてきた パリの高校生らしき男の子達が思い思いの格好でベンチに坐っている。
屈託なく笑いさざめき合っている。金髪や青い眼がいるので、ローマ っ子たちとはまた違った雰囲気。

 私たちも疲れて足を投げ出してベンチで夕陽を眺めながらボンヤリ、 フンワリ。次男はタバコの煙をプカー、プカー。こういう時、タバコ を吸うと気持ちいいんだろうナー。噴水池の中の水鳥が急にバタバタ と高校生の耳元をかすって飛び立ったものだから、またまたひと騒ぎ。

どこの国の子もおんなじ、かわいい!!!

あとでわかったことだけど。
この噴水池の周りのベンチ、
日暮れ後は、ゲイの人達の交歓場所だった!!




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5月6日号


ローマ・パリ10日間の旅 珍道中シリーズ 13


なにわのおばちゃんの投げキッス

 セーヌ河はパリ市内を半円を描くように南東から南西へ流れている。
パリ市街の北の端、クリニャンクールののみの市で買った珍奇なものが 詰まった袋を下げて、一行は地下鉄で南へ下りました。パリ市内の地下鉄 のゴミ箱は不思議とみんなふたが閉められていて開かない。どこかにボタン とか何かの仕掛けで開くのだろうとみんなで四苦八苦試みたけど、 どうにも開かない。あとでわかったことだけども、テロの防止対策だ そうナ。パリは平和そうにみえていても、そういう危惧があるのですね。
もっとも東京の治安もこの間のサリン事件でニューヨークやパリに次いで ポイントが低くなったけれど・・。
(山下さんのAfter the Rainで霞ヶ関のごみ箱復活の話も出ていましたが)

 半円を描いているセーヌの丁度頂点の内側(南側)あたりがサンジェルマン ・デ・プレ地区。ガイドブックの高級レストランのページをとばして “気軽に楽しむビストロ&ブラッスリー”というコーナーに 【・・・150年の歴史を持つ老舗のビストロ。ジョイス・ポールヴァレリー・ ヘミングウェイなどもよくここで食事をしていた。現在はソルボンヌ大学の 教授や学生、セーヌ左岸(南側)の出版社の利用が多く、スノッブで アカデミックな雰囲気・・・】 との説明書きが出ている「ポリドール」で夕食をとろうということになり ました。フランクでにぎやかなところです。ガイドブックに載っているため 我々と同様、日本人の旅行者もちらほら。おそろしくボインでグラマーな マダムがレジに入っています。隣に日本の学生らしき男の子2人が座り ました。やっぱりフランス語のメニューに苦労しています。
私たちは適当におすすめの一品料理を頼んだのですが、彼らはウェイトレス にあれこれ聞くのも気が引けるのか「何を頼んでいいかわからない!」と 言いながら結局コースメニューを頼んでしまいました。一人の方は「コレ 食べたら成田から東京までの電車代がない!どうしよう」「キセルするか」 とかやばいこと言っています。飲み物代は倹約したみたいです。
私たち家族でワイン一本あけられないので、ダンナは彼らに1グラスづつ サービスしました。

 この旅行で男の子のひとり旅をよく見かけました。ローマの食料品店 で「生ハム持って帰りたいんだけど税関大丈夫でしょうか?」なんて 聞いてくる子がいたけど、税関以前の問題として、生ハムが腐ってしまう のんと違うの? とんちんかんなことをして親が側にいたらヒヤヒヤする ようなこと、きっとうちの息子二人も京都と東京でやっているに違いない と改めて思うのでした。(そう、失敗の経験が最高の先生ですよね。)

 フランスのバケットはやはり本場の味。程良くパリッと堅くて、程良く 塩味、小型ギロチン台のようなところでザクザクとバケットを切ってかごに 入れてくれます。腸を煮込んだシチューが少し臭みがあってちょっと不人気 だった以外は、どれもおいしく、ワインも美味でありました。

 お腹がくちくなって、ブラブラとセーヌ河畔をしばらく歩こうという ことになりました。丁度対岸にルーブル美術館が見えます。(明日訪れる 予定)西に向かってしばらく歩くと此岸にオルセー美術館と、ローマの 建物に比べて華やかできらびやかな元宮殿が夜の闇の中に浮かび上がって います。

 セーヌ遊覧船が多くの観光客を乗せて、両岸をライトアップしながら 何艘も行き来しています。船の中の人が手を振って通り過ぎます。 岸辺を歩く私たちにステージのスポットライトを浴びたようなまぶしい光が 当たり、ここで一丁、パフォーマンスをしないことにはおさまりません。
両手を振ったり、投げキッスを送ったり、なぜか旅に出ると人格が変わります。 (かわらへん、かわらへん、そのままや・・)
遊覧船からもヤンヤの喝采を送ってくれましたが、彼らはセーヌの河畔で フランス人の恋人同士が歩いているところを期待していたにちがいありません。 まさか、日本人のそれもなにわのおばちゃんに投げキッスをされるとは 夢にも思っていなかったことでしょう。

 あまりに気持ちがいいので、(これぞパリを歩いているって感じ) いくつものアーチ型の橋をくぐりセーヌの河岸を歩き続けました。
夜風はまだ寒いし、ちらほらと人通りがあるだけ、家族五人異国の川沿いを バカを言い合いながら延々と歩き続け「ここまで歩いたんやからホテルまで 歩こう」ということになり、結局二時間程、計6km、地下鉄の駅9つ分を 歩いたことになりました。

 ホテルニッコーはパリ市街の西南にあり、セーヌ川の半円の頂点から 左半分を歩いた様な感じ。河岸はほとんど公園になっていたり、遊歩道 になっていたり、ベンチが並んでいたり、いつまで歩いても飽きませんでした。

 行程の4分の3程来た時、左方に光り輝くエッフェル塔が見えてきました。 側に赤や緑のランプを無数に付けて輝くメリーゴーランドが闇の中で 廻っています。もう夜の9時半ごろだというのに、この光の渦の中で人々が 笑いさざめき合っています。なんだか現実じゃない、おとぎの世界のよう な出来事です。


パリは街全体が演出された桃源郷と見たり




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5月1日号


ローマ・パリ10日間の旅 珍道中シリーズ 12


ローマからパリへ・・

 ローマ最後の夜に無事に20才を迎えた次男、家族でヨーロッパ 旅行なんて恥ずかしくて誰にも言えないと友達にも今も黙っている らしい。聞けば1カ月1日500円の予算でヨーロッパを放浪して きたガッツな友達がいるらしい。そりゃまあ20才になろうかという いい青年が“家族と一緒に旅行”は“お坊ちゃま”すぎてカッコワルイ ことなんでござんしょうネェ。
次回はヒッチハイクだろうと猿岩石だろうとなんなりとして行ってらっ しゃいませ。
でも我々5人、超質素な旅行、足で稼いで得た体験ばかりでござんすョ!・・ 何でナニワのおばちゃん、開き直るとベランメエ調になるのかな?

 翌朝3月16日6:30ホテル出発。空港に向けて発つ。 現地係員、イタリア版武田真治が見送ってくれる。彼の仕事もなかなか大変 そう。 私たちがローマのホテルについた時は夜の11時頃、12時頃まで ローマの街についていろいろ説明してくれたし、今朝は6時頃にはもう 来ていた。深夜、早朝とJTB御用達の係員は多忙だ。

 いよいよローマともお別れ、空港までの高速道路を走る間、窓から見える いとしのローマ、麗しのローマに別れを告げる。
2〜3000年前の遺跡と共に暮らすローマの人々、ローマ帝国の亡骸を 抱きかかえながらの生活は、明らかに近代化から遅れている。でも 「近代化がなんぼのもんじゃい!」と年寄ったじいちゃん、ばあちゃん を大事にしている孝行息子のようでもあり、先祖の遺産で食っている道楽 息子のようでもあり・・・・。 崩れそうな建物を壊してしまって新しく建てなおす方がずっと楽なこと を思えば、フォロロマーノでも街の建物でも修復ばかりしているローマの 工事現場を見て、やっぱり孝行息子の方があったているのかも知れない。 でもローマの若者はこんな荘厳な環境の中で育ってよくも文化の重圧に 押しつぶされないことと思う。
街中にあふれているゴテゴテ、ムキムキのヘレニズム彫刻の中に埋もれて 暮らしていると、ある時スコーンと真反対の美意識に目覚めて、 イタリアンモダンデザインが生まれたんだナと納得できそう。

 パリへの期待よりも、今別れてきたローマへの思いが絶ちがたく、 レオナルド・ダ・ヴィンチ空港の待合室でボーッと上の空で、武田真治が 持たせてくれたホテルの朝食弁当の袋を拡げる。
プチパンとデニッシュ、ジャム、バター、ヨーグルト、ジュース、チーズ りんごとオレンジ・・・ホテルのシェフが詰めてくれたのだろうか。 いつも作る側である主婦にとって、人が持たせてくれたお弁当は何だか うれしい。
 
 アリタリア航空、9:10発でパリに向けて飛ぶ。
ローマからパリへ飛ぶ時、アルプスを越えるのですネ。 知らなかったのですョ。あの辺りの地図。何だか雪をかぶった山々が 連なっているなあ〜と窓から眺めていたのです。それがアルプスだったの。

 3時間ほどでパリのシャルルドゴール空港に到着。丁度昼時で空港内は ごった返しており、迎えのJTBの人が見つからない。団体さんがいっぱい だし、こんなことならノボリでも持ってくりゃよかった。
その間、早速ダンナはフランに両替している。約20分たつと向こうから スーツにおかっぱ頭の“ムッシュかまやつ”がやってきた。おっと、ムッシュ 千秋(ちあき)、JTBの現地係員。パリのにおいをぷんぷんとさせた 少しきどりんの千秋さん。デルモ立ちで「パリは最高ですよ!」と両手を 拡げながら自慢げにのたまう。
「瓦井ご一家のために立派なバスを仕立てました。」と迎えに来た車は 50人乗りの大型観光バス。
何か手配ミスでもしたのかなと聞いてみたけど、個人旅行のお迎えも このバスを使用しているとのこと、いつもは別の組もあったりして 10人以上は乗せているとのこと。
でも今日は瓦井一家の貸し切り! 当然のなりゆきですが、私たち夫婦は 前方が良く見える最前列、子供達は大型テーブルがあり応接ソファのある 最後尾に陣取り、大型バスを最大限活用。 前後に散らばったためムッシュ千秋はマイクでパリのご案内!

 パリ市内に向かう高速道路から見える風景は建築中の2000年のサッカー ワールドカップの主会場になる競技場やメタリックなビル群。
ああ、パリはローマに比べてえらい近代的なんや。気持ちはまだローマを 引きずっている・・・。

 エッフェル塔が見え、その右側に高層ビルが4棟ほど並んでいる。 そのうちのワインカラーのが我々の宿泊地、ホテルニッコー・ド・パリ。
日航が経営してると思うと幸か不幸かパリに来たという緊張感があまりしない。 親戚の家に泊まっているみたい。
出発前、日本でJTBにホテルの変更をお願いしたが、トリプルの部屋を とれるのはここしかなかったとのことで、あきらめたいきさつがある。

 部屋は息子2人の部屋と内側でつながっていて、1つのファミリールーム 状態。10階からの眺めは素晴らしく、セーヌ川がすぐ目の前を流れ、 けむったような春の日差しの中でキラキラと水が輝いている。
中州の先端には本家の自由の女神像も立っている。(そんなに大きくない)

 今日は日曜日なので、早速クリニャンクールののみの市へ行きたいと 娘が言う。パリ市内は網の目のようにメトロ(地下鉄)とRER(高速 郊外地下鉄)が走っている。
メトロは1〜13号線(支線も入れると15本)、RERはA〜Dライン まで4本あり、大抵のところはこの地下鉄で上手に乗り換え、乗り換え していくとたどり着く。

 そんな訳でホテルから5、6分歩いて6号線とCラインが交差している ビラケム駅に行く。6号線でモンパルナスまで行き、そこで4号線に 乗り換えて北の終点クリニャンクール駅まで乗る。
ドアは自分でノブをひねって開ける。これはちょっとびっくり! 結構力がいるし、コツがいる。日本の朝のラッシュ時じゃあパニック になりそう。

 クリニャンクール駅を上がると道には露店の店、店、店。 アフリカ系黒人、アラブ人、インド人が意外に多いので、ここはパリじゃ ないのか?と面食らう。ナイキやリーボックのバッタもんがいっぱい。
ずっと奥の方へ入っていくと本来ののみの市の骨董店が軒を連ねる 地域に出る。
ルイ王朝様式の家具、や食器、人形の専門店などのアンティック店が いっぱいで目移りがする。 アクセサリーなど欲しいモノがたくさんあったけれど、骨董価値がついて 結構な値がする。もっぱらウィンドーショッピング。 あまりの人いきれに頭がズキズキしてきてもう降参。

駅の近くの喫茶店で休憩。息子達とはこの先の交差点で6時に待ち合わせ しておいたのでそれまでカフェ気分を味わう。

 その間2人の息子は、またまた珍奇なものを買ってきたらしい。 長男は真鍮製の水道の蛇口や鍵、革のショットガンの銃弾ケース。 「こんなもん、何すんねん!??」それにジプシーが着るような 手編みのセーター。 次男はモスグリーンのコーデュロイのジャケットと同色のスウェードの 帽子。

 ダンナが息子たちと落ち合っている間にトイレに行きたくなったけど カフェのトイレは2フランのコインを入れないとドアが開かない自動 有料トイレ。小銭がない。もちろん「小銭に替えて」なんてフランス語 は知らん・・・。
近くに丁度入ってきた日本人の学生らしき子に50円わたして2フラン もらおかナ〜。あ〜どうしょう。「ブルブルブル」。
ようやくダンナと息子達が戻ってきた。


「2フラン頂戴!!」




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