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7月31日号



Hong Kong Boy, Zen

 Hong Kong Boy, Zenはイチローキャップをかぶった9才の日本人の男の子。
 私のYMCA英語学校時代(約28年前頃)の友達の息子です。
友達は結婚して15年、ずっと香港に暮らしている。多国籍の土地柄、Zenは学校では英語で話し、家庭で日本語(少しあやしい)、その他中国語、フランス語、イタリア語などもカタコト話す。  夏休みになって、母親の実家の近く(大阪府豊中市)の日本の小学校に体験入学のため1人で香港から母親より先に帰国し、1カ月ほど小学校に通っていたらしい。

 とにかく幼児の時から野生児で、2才ぐらいの時に我が家に来た時は、入ってきていきなり水槽の中に手をつっこんで20cm近くあった金魚をつかまえようと水浸しになったり、あげくは母の部屋の仏壇の前に行ってチーンと鐘をたたいたかと思うとお供えのリンゴをガブリとかぶりついてそのリンゴをまたお供えして何くわぬ顔をして戻ってきたという香港から来た嵐のような子。

 9才の今はその型破りにますますみがきがかかっているようだ。
 香港の「公文」の教室で国語など別に勉強しているものの日本の小学校の授業は少しむずかしく、おもしろくないようで、隣のクラスに遊びに行って給食を食べてきたりと気ままにさせてもらっていたようだ。

 管理教育の日本ではとてもおさまりきれない様子で、香港にいるからそうなったのかどうかわからないけれども、伸び伸びと個性的に育っている。

 今回はZenの母親、こちらは娘と私とで4人で5時間ぐらいデートをしたのだけれど、彼はその間中ずっとしゃべり放し、動き放しだった。
食事をしながら「イギリスの貴族の食べ方」と言ってとりすました顔をしてキングスイングッリッシュで何やらしゃべりながら演じてくれる。「そしたらイタリア人は?」と聞くとイタリア語で大げさな身ぶり手振り、「フランス人は?」と言えばささやくようにフランス語を話しながらきどったふりをする。 すごい芸達者な子なので(香港でCMタレントもしている)、私もおもしろくて次々リクエストするとどんどんそれに応じてくれる。
次は中国人、オーストラリア人(オーストラリア英語で!)、ニュージーランド人、アフリカ人、アメリカ人、インド人、果てはエスキモーまでやってしまった。 韓国人は知らなかったのかちょっとわかりにくかったけれど、殆どの国のステレオタイプを演じてみせてくれて私は大喜び。各国人の特徴の細かいところを良くつかんでいて、同じ英語でもそれぞれのお国訛りで話す。

 香港で育つとこうなのか、Zenの個性なのか?
娘がテコンドーのブラックベルトと聞くや、今度は「アチョーッ、アチョーッ」とジャッキー・Zenになって飛び回る。

 阪急百貨店の側の石畳の夜の広場でテコンドーを教えてもらい、Zenは走り廻り、飛び廻り、けり廻り、放し飼いの犬の如くはしゃぎ廻っておりました。
「この子のひょうきんなユニークな芽をつまないでネ」まともな日本人になれそうにないと少し焦っている友達に私は思わず言ってしまった。

Zen、又来年会えるのを楽しみにしているヨ!

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7月22日号



これだからやめられない・・・・・。

 無事、ジャズダンスフェスティバルのステージ終えました!
ナニワのおばちゃんダンサー、この4、5カ月の泣きの涙のレッスンは、このステージのためにあったのだと、自分に言い聞かせて、思いっきりはじけましたよ!
 ドーラン塗って、宝塚のようなメイクして、衣裳をつければ、もうナニワのおばちゃんも立派なステージダンサー!
 まぶしいライトを浴びて、割れるような拍手をもらって、ステージの一瞬に命をかけるのだ!

    これだからやめられない・・・・・。(また、来年も出るのかな、もう今年が最後だなんて言っておきながら・・・)

 梅雨がようやく明けて、娘と夏のバーゲンの買い物に出た。
 午前中にあった1学期の三者懇談の帰りにブラブラと天王寺まで出た、という方が正解だろう。天王寺というとミナミと言われる難波より地下鉄の駅で3駅まだ南側にあって、どちらかと言うとローカル色が強いところだったんだけど、MIOや近鉄のラ・セレナというファッション専門店ビルがあって、今や若い子がいっぱい集まってきている。

 今年の夏のファッションは特におもしろい。
まず、チャイニーズカラーや、ジャワ更紗などのエスニック系のファッションがどっと躍り出ている。まさにアジアンパワーが噴出したという感じのにぎやかさでとても楽しい。
 それに加えて「古(いにしえ)の日本」再発見! 昭和2、30年代ぐらい迄の日本の雰囲気が漂っている。
戦後のみすぼらしく見えたプリント地のスカート姿。私たちの世代はいかにそんな服から脱出してファッショナブルに粋に装うかと四苦八苦してきたのに、今の若い子はそんなファッションが新しく見えるのだろう。ゲタやぞうりばきに中途半端な丈のギャザーのペラペラのスカートを着てデレデレと歩いている。髪はヘアピンをいっぱいくっつけてほんと、もう寝起きのままで歩いています・・・といった感じ。もうなんでもありなのネ。

 昔ながらの日本の着物の伝統的な模様、和凧や入れ墨かしらと思うような絵柄などさまざまななつかしいパターンがTシャツにプリントされている。
こんな風に和服と洋服が合体するなんて、おもしろい!

 そう言えば黒留め袖の和服をジャンパースカートにリフォームして着ている子も見かけたっけ。今、古い日本の着物が1番新鮮ということなのネ。
願わくば、ぺたぺた、デレデレ歩かないで小粋にさっそうと闊歩してほしい。

 ベルボトムにコッポリシューズの子がゾロゾロいて、私の青春時代そのまま。
ベルボトムはヒップボーンで着こなすべしなどと娘に指南している。
眼の錯覚が幸いして、ほんと足長のナイスバディなシルエットになる。この手で、私はあなたの父をゲットしたのダ。

ベルボトムがはやっている時がチャンス、チャンス!

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7月8日号



みみずもカエルもみなごめん!

 朝日新聞に「14才の地図」と題して、東大の汐見助教授が書かれていた記事に、わが意を得たり!と思いました。
 「リアリテイ」と言うことに関して、「美しいことってどんなこと?」と子供に聞かれて「それはきれいっていうこと」と答えても単なる言葉の言い替えで、その子供は美しいことがどんなことなのか、本当にはわかっていない。春の芽吹きとか、海の夕陽とかを見せてこそ、「身体の記憶」として美しいことがリアリテイをもってわかるのだ・・・・といった内容で「身体の持つ可能性」を磨くことの大切さを述べておられました。

 今の日本の受験教育は、やっぱり異常です。
有名幼稚園に入れるための乳幼児教室なんていうのまであって、真剣な面持ちでわが子の授業ぶりを参観しているお母さん達は、最高の喜劇役者のように見受けました!
幼児に受験テクニックを覚え込ませる間に、泥だらけになったり、チョウチョを追っかけたり、草むらに寝転がったりして遊べばいいのに! 人間の五感を全開にしてもっともっと全身で感じ取れる時代をしっかり固めてあげなくちゃあ!
 
 ドイツのシュタイナー学園は、独自の教育の実践で知られています。ここの学校では、テレビやラジオはいっさい使わず、低学年では記号や文字も教えません。自然にあるものを教材にして、絵を描いたり造ったり、外側から見ていると殆ど遊んでいるような学校です。
 ピラミッドの土台のように、広く大きく五感で得たリアリテイの世界を築いてから、一挙に抽象の世界ー記号や文字の世界を勉強するのだそうですが、その後の学習能力は眼を見張るほどだそうです。

 日本の受験教育は、砂上の楼閣を築いているように思えてなりません・・・。
テレビやパソコンにあふれた現代社会に、このままシュタイナー学園の方式を実践してみるのは殆ど不可能に近いと思うけれど、「五感を全開する」基本的な考え方は、いつも肝に銘じておくことは出来ると思います。 バーチャルな世界とリアリティのある世界とを自由に行き来できる幅のある人間、右脳と左脳をバランス良く活用できることが、人間が一番人間らしく幸せに生きていける形だと思うんだけど・・・・。

 見えない、聞こえない、しゃべれないヘレンケラーがサリバン先生に初めて「ウォーター」がこんなに冷たくて、手に流れていく液体の存在のことだと教えられて感動したという話も示唆に富んでいる・・・・。
手に負えないほど凶暴で情緒不安定だった彼女は今まで物の名前を教えられても彼女にとって、何のリアリティもなかったのです。彼女のまわりの世界とつながっていなかったのです。「ウォーター」というものを肌で感じて、飲んでにおいをかいでそのものの名前だと定義づけることができたことを機会に、一挙に全世界が彼女につながる世界になったのです。

 「みみずもカエルもゴメン」といいながら自然に礼をつくして立ちションした子供時代を持つ人は幸せです。
たまごっちや森川君が無二の親友にならないよう警報ブザー「14才のカナリア」が鳴いている・・・・。

堅い話になってしまった・・。

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7月 4日号



アリとくじらとセミ

 日本人の潔癖症についてもう1つ。
アリがいます。ゾロゾロ、ゾロゾロ荷物を運んで行列しています。 なかなかの働き者で、じっと見ていると涙ぐましいものがあります。 感心こそすれ、悪意は私にはもうとうありません。
家の中まで入って来られたら話は別ですが・・・・・。
庭やベランダの植木鉢に住んでいる以上、彼らの生存権は侵害すべき ものではないと思うのです。

 ところが、テレビのCMを見ていてびっくりしました。アリの巣の中に その殺虫剤を噴入すれば、アリを根絶やしにできるーというものでした。 なぜ、全滅させるのでしょうかネ。
アリはとてもかしこい虫だと思います。先日のことです。
我が家の居間に夜2、3匹のアリを見つけました。迷い込んだぐらいに 思っていると、翌朝起きてびっくり!ゾロゾロ大行列を組んで居間の テーブルのアイスクリームの箱に群がっていました。誰かが夜食べた アイスクリームの容器をそのまま置いていたのです。
ベランダにいる限り、彼らの居住権は認めますが、私たちの生活圏 に進入するものは見過ごせません。というより、「ゾッ」として手当たり 次第ティッシュでつぶしてしまいました。危険を察知して大慌てで四方に 逃げる惑うアリを一匹も逃がすまいと徹底的にやっつけてしまいました。 (私って残酷!)

 遅れて食料調達にチョロチョロとやってきたアリは仲間の死を察知して、 大ショック! 大慌てであちこちの倒れている仲間の状態をチェックして パニックになっていました。本部にそのことを知らせに帰ったのでしょうか、 それ以後、バッタリ居間には入ってこなくなりました。アリには学習能力が あるのだと思えてなりません。ここからは人間の領域だゾと教えてやれば アリはコリて入って来ないような気がする・・・・。 だから巣の中のアリまで全部絶滅させることはないと思うのですが・・・。

 植木鉢の底にかたまって暮らしていたマルムシ(アルマジロの子分の ような、さわると丸いボール状になるちいさなムシ)を気色悪いと言って 殺虫剤を流し込んで殺してしまう潔癖さも理解できません。 害にならないかぎり(これも人間のエゴではありますが)お互いに 共存していきたいものです。

 でも鯨がかわいそうといって鯨肉を食べない外国が捕鯨禁止にする おせっかいは又別のものだと思うのですヨ。
乱獲しないよう自然のバランスを考えての捕鯨は牛や豚を食べるのと、 なんら変わらないことだと思うからです。

 あらゆる生き物は他の生き物、あるいは生き物だったものを栄養に してしか生きられないんだもの。(植物の大半は除く)

 また、近所の長居公園の整備の話なのですが、「せみの林」とダンナが 勝手に名付けているおもしろい場所があるのです。
公園に散歩に行くとクマゼミの大合唱の林があって、そこらあたりの木の 葉には、まぶりつくようにセミのぬけ殻がいっぱいついているのです。 さぞかしセミの幼虫がその辺りの地面の中にいっぱいこもっているような 気がします。

 ところが、冬木立になっている間に、公園管理局がその林の木の下を 全部掘り起こして何やら緑の草を敷き詰めてしまいました。
見た目にはきれいになりましたョ、でも、でも、あのセミの幼虫達は どこへ行ってしまったのでしょうか・・・・・・。
七年間じっと地中にこもって、晴れて地上に出る七日間を夢見ていた 幼虫達!
この夏、セミの大合唱は聞けるのでしょうか・・・・?

これって、安っぽいセンチメンタリズム?

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7月 1日号



自然の力を大切にしてほしい。

 須磨の事件を機に、公園の生け垣の木があちこちで切られている。
「見通しが悪いと危ない」と言うことらしいが、コレって「熱ものに懲りて、なます吹く」の感じがする。実家近くの公園も、うっそうと繁る夾竹桃の生け垣が軒並み根本からバッサリ切られて、表通りからスカスカ! とても風通しはいいんだけど、「緑を楽しむ憩いの場」という公園本来の目的が飛んでしまっている。
 
 とにかく、日本人は潔癖症なのか、並木なども落ち葉が散るからと、秋になる前に青々と風情好く伸びた木を丸坊主にしてしまう。太い幹の辺まで刈り取ってしまうので、木の骸骨のような無残な姿が立ち並ぶ。
春には美しい花を咲かせてくれ、新緑の頃には眼を楽しませてくれ、夏には涼やかな木陰を作ってくれる木に、落ち葉の掃除ぐらいいやがらずにしてあげなくちゃあ、と思うんだけど・・・・。
 
 人の好みも様々なので一方的には言えないけれど、人の手が入りすぎた整然とした公園は息がつまりそう・・・。
家の近くに長居公園という陸上競技場やサッカー場などが完備された公園がある。今年の秋「、なみはや国体」の会場になるからか、2001年のワールドサッカー会場になるからか、近頃ドンドン整備が進んでいる。地の道がなくなり、人の歩くところはすべてカラー舗装されてきた。見た目にも華やかできれいになってきたのだけれど、何か、おもしろくなくなってきてる・・・。

 こどもの遊具にしろ、デザイン化された計算ずくのものより、そこら辺に転がっている木の根っこの方が、ずっと遊びの創造力をかきたててくれるということもあるし・・・。
計算できない、大きな自然のふところに身をゆだねることがないと、今の子供達は窒息してしまいそう。  人間の浅知恵で管理しないで、もっと自然の力を借りればいいのにね・・・

本末転倒、自然に罪なんてない!自然こそが母なんだ!

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