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11月29日号


ちょっとセンチな、なにわのおばさん


ちょっとごぶさたしてしまいました。
2週間ほどおやすみをいただくつもりでしたが、病院で少しだけ愚痴を
書いてみました。

瓦井の母が先週入院いたしましたが、旦那はその翌日からタイのバンコクへ
出張中となり、文字どおり留守をしっかり守らなくちゃいけない主婦を
しておりました。

男(うちの旦那)は仕事という大義名分をかかげて、家庭内で何があろうと、
そのスケジュールを変えようとしません。
お産の時しかり、子供の病気の時しかり、老いた父親の入院の時しかり。

最近では男親の育児休暇や老親の介護休暇の制度が企業の中で作られて
きているとか聞くけど、日本の男達は素直にそれを取り入れて育児や
介護の手助けをしているのでしょうか?

この頃は、奥さんが妊娠中の時から夫も一緒に母親教室に通って、
ラマーズ法の呼吸の練習やらおむつ替えの練習をする病院も増えてきて
いることなので、男性が手慣れた手つきで赤ちゃんや年寄りのおむつを
替える姿も当たり前のようになってきているのでしょうか?

それでも私は、個人的趣味として、家事や子育てにまめな男性はあまり
好きではないようです。私よりうまく料理を作ったり、子供のめんどうを
見られるときっと私のテリトリーを侵されたような気分になっていたと
思うのです。

仕事人間の我が亭主は女房がそうさせていた、そう望んでいたということに
結果的にはなっているのかも知れません。この期に及んで愚痴るのは
お門違いということかもネ。

それでもこのままの役割分担を50代以降も続けていくことは、実用的、
機能的に問題ありです。

女は子育てをほぼ終え、労力が余っている反面、男はモーレツ仕事人間から
少しペースダウンを余儀なくされる年齢。
男女ともその役割はクロスオーバーさせていくのに丁度いい頃合いじゃ
ないかしら?

男も料理をしたり、身の回りのことを自分でできる能力を開発しておか
ないとこれから女も安心して病気になれないナと思うのです。

病院のそばの公園のいちょうの落ち葉が雨に打たれています。
病院、落ち葉、雨、秋の深まりを感じる出来すぎの道具だてですネ。
ノー天気のなにわのおばちゃんもセンチになる晩秋のひとときです。

我が旦那よ! 聞こえているか?

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11月14日号


色づく秋!


秋が深まり出すといち早くいちょうの木が黄色く色づき始めますね。
新緑が美しい木、葉が落ちてしまったあとの冬木立がとても印象的な木と、
木は季節によってその良さをそれぞれに発揮してくれますが、晩秋のいちょうの
素晴らしさは息をのんでしまいます。

年を経た古木が天高く黄色く燃えている様は、猛々しく、炎を逆巻いている
ようで畏敬の念さえ感じます。

山里の人気のない道の開けたところにポツンと1本立っていた若いいちょうは
はらはらとまあるく廻りに葉を落として、黄色く敷き詰めていました。
子どもがおもらしをして、「しまった!どうしょう」とたたずんでいるような
ちょっと恥ずかしげな風情であったり、ウェディングドレスの裳裾を拡げて
「どう? きれいに葉っぱを落としているでしょう」と気取っているように
見えたり・・
そんな時、「お見事! きれいよっ」と思わず心の中で拍手を送ります。
山や深い森に入ると、確かに「木の精」達の息使いが聞こえるようで、
思わずなでさすってしまったり、心の中で話しかけたりしていしまいます。

宇宙飛行士の毛利さんがおっしゃっていたのですが、「宇宙から見ると
地球の森の緑が虫に喰われたように、ポツポツと穴があいている。
そこは、人間が集まって住み着いている都市部だ」とか。
人間は地球という葉っぱをムシャムシャ食べる虫だったのですね。
これ以上喰い荒らさないようにしたいものです。

「色づく」といえば、雑誌「SINRA」の12月号のニホンザル達2が
おもしろいョ。 半年ほど前に出たスノーボールで遊ぶ子猿たちの写真が
とってもかわいくて、子猿達にそんな知恵があったのかと世界中をあっと
言わせたようですが、そのシリーズの写真です。

交尾期になるとオスもメスも顔やお尻が真っ赤か。
だから人間でも異性を意識しだす頃を「色気づく」とか「色気が出てきた」
とか言うのでしょうか。

でも不思議です。ほ乳動物でも、魚でも繁殖期というのは時期が決まっていて、
その季節以外はオスとメスは素知らぬ顔をしているそうな。
オッパイも授乳期以外は大きくならないという。
人間だけどうしてオスもメスも年中異性を惹きつける努力をしているのでしょう。
「人間は繁殖力が弱いから年中子孫を増やそうとしているのだ。」という人も
いますが、地球にこれだけはびこっている人類を見れば、それはちと、
納得がいきません。ご意見をお持ちの方がいらしたら・・・
誰か教えて!

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11月7日号


時代の橋渡し、「団塊世代」


11月始めの連休は子供をダシに、ダンナをアシにして遊び廻りました。
2日は長男の大学の学園祭をダシに京都までドライブ。
私を乗せると必ず渋滞するとダンナから“渋滞女”の名前をいただきながら
名神高速道路をトロトロと参りました。

電車のあるところはできるだけ車に乗らないのがモットーなのに、
京の山奥に住む長男は早く冬のコートを持ってこいとのお達し。
古着屋で買った明治時代の人が着ていたのかと思われるようなトンビのコートがお気に入りなのです。

今や、若かりし70年代に流行ったベルボトム、ピッタリタートル、コッポリシューズが
トップファッションになって巡ってきている。
こんな珍奇なファッションはもう2度と戻ってこないと思っていたのにネ。
上げ底のコッポリシューズで足を長く見せて得意がっていたのもついこの間。
靴を脱いだ途端、パンツが「松の廊下」状態で大人のひんしゅくをかっていたのも
ついこの間でした。

ヒッピーやヴェトナム戦争、学園紛争などを経験してきた団塊の世代であります故、
私たちが大人からひんしゅくを買った程には、今の若い子は親との世代の断絶を感じていないと思う。

団塊の世代が一番、明治、大正、昭和、平成の時代の移り変わりや価値観の変化を
身を持って体験しているような気がします。

私たちの小さい頃は、まだ焼け野原の原っぱが夕焼けに映えて残っていたし、
牛や馬が荷車を引っ張って国道におみやげをポトポト落としていったりしていました。

馬の糞を踏めば足が速くなると誰が言い出したかしらないけれど、近所のワルガキ達と
競い合って踏みっこしていましたっけ。
馬の糞は乾くとわらくずのかたまりみたいのだったけど、牛の糞を踏むとベチャとして悲惨でした。

「かんてき」に「消し炭」などで火をおこして「たどん」や「炭」で魚を焼いたり
豆を炊いたりするのも日常的だったし、「火鉢」に手をかざして暖まったり、
ミカンをむいて白いすじを火にくべていい匂いをさせて遊んだり、
今思うと、たまらなくいい生活を私たちは覚えています。
生活雑器が人間の程良い知恵と美意識で作られており、とてもいとおしいモノであり得ました。

経済の高度成長と「消費は美徳」論、列島改造論と最後の極めつけ、バブル景気で
「美しき、はかなきもの」はとどめをさされました。

粗大ゴミ置き場は、むざむざと殺される生活雑器の死刑場と化してしまった感がありました。

明治、大正、昭和の良きモノがどんどん消えていこうとしています。
私たち団塊の世代は、その古きモノをまだ肌で知っている世代であり、ハイテクの新しい波をも
かぶりながら泳いでいこうとしている世代でもある訳です。

そんなリレーのバトンランナーのような気持ちがする私たち世代の息子がトンビのコートを愛用し、
私の20年前の手垢のついたカバンを探し出してぶら下げている姿は珍奇ではありますが、
「いよっ! 大統領っ」と声をかけたくなるぐらいうれしい訳でもあります。

学園祭では古着市もあちこちで見られ、ソニア・リキエル、ペイトンプレイスなどのDCものが
2000円ぐらいで売られていたりして、買い漁ってしまいました。
新品の安物を買うぐらいなら、古着の良いモノを求めるべしです。

骨董やさんなどをのぞくと古いさんごの髪飾りなど、使わなくても宝箱の中に入れておきたいと
思われるような妖しげな美しいものがひっそり飾られていたりします。

子供の頃のビー玉や色ガラスのかけらを道ばたで拾ってはしまい込んでいたのと
余り変わらない感覚ですが。

3日の日は娘をダシに娘の出場する関西テコンドージュニア選手権の試合を見に行き、
心臓が口から出そうなくらいドキドキものでしたが、
帰り道、大阪市立大学が学園祭をしていたのでチョイとのぞいてみました。
情報センターなるすごいインテリジェントビルが建てられいて、今昔の感を強くしました。
模擬店やシンポジウム、ロックバンドなど若いエネルギーが所狭しとうなっておりました。
ここでもダンナが今や見向きもされないけれど作りは抜群にいい「ハンティングワールド」の
カバンを見つけ、とんでもない値段で買い、カメラカバンとして使い始めました。

2日間連ちゃんで学園祭のハシゴをして、中年夫婦はしかっりと学生のエネルギーを
吸い取ってやりましたです。
団塊の世代に気をつけろ!ですゾ。

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