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12月26日号


今年の締めくくりにインフルエンザ!


いや〜参りました。師走の何かと気ぜわしいこの時期に、突然我が家に訪れて
席巻いたしましたインフルエンザ君。

まず、期末試験明けで心斎橋に浮かれて出てショッピングしてきた娘に登場。
毎度の如く、定期考査は一夜漬けで、半徹のような生活が一週間続いた後ですもの、
体力も落ちていたに違いありません。
先週の木曜日から突然熱を出して寝込むこと一週間。
退院してきた母にうつると大変なので、母の隣の部屋にいる娘を引き取り、主人は
娘の部屋へ。二晩一緒にいるうちに、当然のことなのでしょうか?土曜日にはそろそろ
来ましたネェ。何となく体がダルい。日曜日にはもう、ウンともスンとも言えず体中
バラバラになったようなしびれ感と節々の痛さ、娘と二人まくらを並べて討ち死に状態。

でも、たまには病気をしてみるものです。
日曜日の朝8時半と言えばいつもは主人にとって夜中と同じ時なんだけど、その日は
しっかり起きて、資源ゴミの段ボールや新聞を出したり、自治会の掃除当番と班長会議
に出たり、買い物に行って、食器を洗ってとまあ、くるくる動き廻ってくれたみたいです。
中途半端な寝込み方だと「悪いネェ」とか、「ごめんネェ」とか何かと気を使ってしま
いますが、このエンザ君そんな気持さえも言わせないぐらい強烈な奴だったので、
「堂々」と2日間寝込んでしまいました。天皇誕生日の連休サマサマでございましたョ。

んな訳で、私のダンナも能力開発され、立派に“主夫”がつとまることが証明されました。
これで私の老後も安心でございます。

冬休みに帰ってきた長男も「気合い!、気合い!」とか言っていながら、月曜日ぐらい
から熱が出だし、ふらふらになりながらも美術予備校の講師のバイトは休む訳にいかず
死にそうな状態で授業を続行中。
このエンザ君の強烈ウイルスはどこまで飛び回っているか、ちょっと恐ろしいものが
あります。

手洗い、うがいを忘れずに。
みなさん元気で良いお年をお迎え下さい。




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12月19日号


復活!!&変身!!ちゃあちゃん 


退院した母のおもりがてら、2人でこたつに入って久しぶりに針仕事をしながら日がな1日
しゃべくりました。
「女の人の平均寿命が83才とすればあと10年ありますからがんばって手術しましょう」
というDr.岩崎の決断もあり、残りの10年あまりの命をいただいた母は、(Dr.岩崎の手腕
よりも日頃の信心のおかげと母は確信しているのですが・・・・)生真面目で神経質だった
性格がコロリと変わってアッケラカンと明るくなってきました。
(孫には21世紀用の脳ミソに入れ替えてもらったと言って、アハハと笑っています。)

「飛行機に乗るのは絶対お断り」のモットーは「落ちたら落ちた時のことやわ、海外旅行で
も、どこでも行こう!」にひっくり返りました。
この分では、80代でもアフリカや南極まで世界中を飛び回られた斉藤茂吉夫人(斉藤茂太、
北杜夫氏の母上)のような勇敢マダムになることを期待しましょう。

手術を前にしておびえている同室の患者さんには、「あなたの信じている仏さんや、神さん
にひたすらお祈りしなさいヨ」と話して「何だか不安がとれたみたい」とホッとした表情
になった人、そうかと思えばOLを止めて看護婦の見習いをしていた実習生には、生年月日
を聞いて「あんたは看護婦になる天命を持っている、しっかり頑張りや。」とCTスキャン
の検査に行く車椅子を押してもらいながら励ましたとか。彼女はOLはやめたものの看護婦
になろうかどうしようか丁度迷っていたそうで、その言葉を聞いてふんぎりがついたそうです。

1カ月の入院中、そんな訳で726号室(6人部屋)での社交界は励ましあったり、お菓子を
分け合ったり、味付け海苔が飛び交ったり、お互いの人生を語り合ったり、見舞いに来た
家族を紹介したり、孫を自慢したりと、まあ、華やかなことでありました。
(手術後、個室に入っていたときは「早く友達の待っている6人部屋に戻りたい」とうるさかっ
たのです)

12時間に及ぶ手術中とICU(集中治療室)に入っていた日との2日間は、夢か現(うつつ)
かの区別がつかない間をさまよっていたようで、母はそれを「臨死体験をしたから、見たことを
全部書き留めて置こう」と意欲を燃やしています。
転んでもタダでは起きない母です。

人生まだまだこれからよ!



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12月12日号


「公務員は国民への奉仕者」のはずが・・・?


私は旦那の様にすぐカッとする激情派でもないし、人生行路師匠(関西の人しかわからない)
のようなボヤキを生業ともしていない、むしろ、穏やかな性格だと自他ともに認める人間
なのですが、昨日はちと、カチンときました。

母の退院も決まり、電動ベッドがいるだろうということになり、実家の父が亡くなる前の
半年ほど池田市の福祉課からリースしてもらったことを思いだし、区の老人福祉課に相談の
電話をしました。申請するには納税証明が必要とのことで早速、区の証明発行の窓口に出向
いたのですが、生憎昼休みの時間でした。カウンターには「1時迄お待ち下さい」という
立て札。ひょっとすると昼休みは駄目かなと思いつつ、“いやいや今日び役所は市民サービス
を心がけているからきっと銀行のようにやりくりして窓口に誰か係りの人がいるようになって
いるだろう”と期待して行ったものだから。やっぱり昔のままの状況をこの目でみて、余計に
がっかりしてしまったのです。

しかし、カウンターの向こうのデスクに中間管理職風の方がひまそうにノートで風を扇いで
らしたので、思わず「1時迄待たなきゃいけないんですか?」『そうです!』「昼休みしか
来れない人はどうすればいいんですか?交代要員とか置いてないんですか?」とやってしまった。
決して切口上じゃなく、穏やかにお聞きしたのですが、『大阪市の職務規定でそうなってる。
文句があるならそっちに言うて!』とのたまった。

これが市民へのサービスを旨とする職員の応対のマニュアルなのでしょうか?
民間の企業ではこんな応対ではとてもやっていけませんョ。
誰も昼休みを取るナとは言っていないのです。10人係の人がいるなら、そのうち1人か
2人を昼休みの時間を1時からのシフトにするぐらい、簡単なことじゃないかしらん。
1部、戸籍、住民票などの係は実行しているのですよ。

こんな簡単なことが実行できないなら、政府の行政改革なる道も粘土のぬかるみに足をとられ
ながら進むような大変さを感じます。市民や国民がお上にヘイヘイ頭を下げる時代は過ぎました。
公務員はサービス業という自覚がないのかしら、公務員の試験に受かった人は3カ月程度銀行の
窓口か百貨店のお客様係に実地研修することを新人教育のプログラムの中に入れるといいのにネ。
いや、もっと偉い人から先に研修に行ってもらいましょう。
ちなみに同じ区の福祉事務所の方には親切にご説明いただきました。そして電動ベットのリース
の在宅福祉サービスは寝たきり老人、あるいは重度障害者のみということがわかり、
母にはぜいたくすぎる代物だと判明しました。

チャンチャン。

行政の動脈硬化を手術しよう!



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12月5日号


GREAT JAZZ IN KOBE


母の12時間に及ぶ大手術も無事終え、みごと、ちゃあちゃんは復活いたしました。
73歳とはいえ、人間の回復能力はすごいものです。
いくつになっても人間の能力は開発できる可能性を持っているのですね。

昨晩、神戸のハーバーランドプラザで開催された「GREAT JAZZ in 神戸」でも
78歳のハンク・ジョーンズ、70歳のロンカーターの老練なジャズ・デュオを
聞いてきました(旦那の仕事の関係で)。
軽やかでウイットに富んだハンクのピアノ、ソフトで慈愛に満ちたロン・カーターの
ベースの音色。ジャズがこんなに優しく、快いものとは思いませんでした。

ハンクのピアノの音色を微笑みを浮かべつつ、小首をかしげながら聞き耳をたてて、
「アンタがそうくるなら、僕はこういくョ」と言わんばかりにベースが
「ブン ブン ブン ボワン ボワン」
「おっとそうくるかい、じゃ僕はこういくとしょう」とピアノが
「ポロ ポロ ピロ ピロ ピロロン ポロロン」
二人の巧みな楽器のお喋りに自然と私の身体もおしゃべりしてしまったョ。

個性を前面に出したソロの演奏をしたかと思えば、相手の音を聞きながら、お互いに
歩み寄って1つのハーモニーを作り出したりと、追いつ追われつ、合体したり、
離れたり、ジャズは水の流れのようにさまざまなドラマを演じてくれるのですね。

1920年代に日本で初めて神戸でジャズが演奏されて以来、70年余り。
映画の発祥の地も神戸であることを思えば、阪神大震災なんかに負けないで、
神戸の人達、胸をはって神戸をアピールしてほしいです。

がんばろう 神戸!!

この演奏会、関西地区では1月12日ABC朝日放送TVで放映されるそうですョ。
ジャズファンの人もそうでない人も乞うご期待!!


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