9月号


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なりゆき



私はアナログ人間なのでインターネットでしゃべるのはとても面映ゆい。
でも複数の人に何か伝えたいと思った時、従来私たちはこんな手法を使っていた。
しかし、どれも実行するには、いろいろ大変なのです。

(1)街頭に立って演説する
★ヒットラーのような名アジテーターにならないと忙しく道行く人々は足を止めてくれない。

(2)チラシを刷る
★原稿を作ってコピーして(ガリ版を切っていた頃に比べるとこれだって断然楽だけど・・・)
配ったところで捨てられたチラシのゴミの山。

(3)新聞に投書する
新聞社のカラーに合わないとか、デスクの目にとまらないとかで、「ボツ」になる可能性大。

(4)歌手や俳優やアーティストになって表現する
★芸がない身には、アーティストになる方がもっと大変。
わたしゃカラオケで精いっぱい。

(5)放送局をハイジャックする(極端な例!)
★まず仲間を集めなくちゃいけない、戦闘訓練もしなくちゃいけない、段取りは1番難しいわりに
成功する可能性は1番少なくて後始末が恐ろしい。

以上 これだけ大変なのに、インターネットといえば・・・こんなにラクチンなものとは
知らんかったワ!いっぱい言わしてもろていいかな?


9月26日号


なにわのオバハンの「あすなろ白書」


おたかさんが再び社民党に復帰?かもしれないという記事が出ている。
「やっぱりおたかさんでないと社民党を立て直すことができない?」
「そうでしょうそうでしょう」
おたかさん、おたかさんと気安いんじゃない?と思われるでしょうねェ。
そうなんです、私は土井たか子さんに個人的な思い入れがあり、
青春がよみがえるのでございますョ。

今から振り返ること30年、私は花の女子大生。
学問への意欲盛んなる夢多き18、9の娘でありました。
関西学院大学 社会学部では「日本国憲法」は必修課目だったと思います。
1F教室はひな壇のある大教室でした。
土井たか子先生は同志社大学の講師をしながら関学にも来校されていたのです。
大教室は200人ぐらい入れる広さです。
殆どの先生はその教室の講義ではマイクを使用していました。
しかし土井先生はマイクを使わず、黒板の前を縦横に歩き回りながら
大きな声で講義されていました。
内容も意欲に満ちた若者を鼓舞させる迫力をお持ちでした。
私はその頃、空しい受験勉強から解放され、世界的視野に立った新風を吹き込むような
講義にふるいたたされたものです。
そして、授業が終わった後、ひな壇を降りていって
「先生、質問があります」とやった訳です。
夢多き、意欲に満ちた学生だったのです。

何について質問したのかもうすっかり忘れてしまったのですが、
一言で答えられない内容だったのでしょう。
先生は「なかなかいい質問だ」とかなんとか言って、
「これから食事をしながら、ゆっくり話しましょう」ということになったのです。

授業が終わった夕方、連れていってもらったレストランは学校のある
西宮甲東園駅近くのたしか「椿山荘」という名前のお店だったと思います。
庭木がうっそうと茂るシックな大人の雰囲気の上品なレストランでした。
1960年代後半、高度成長期も夢物語のころの日本です。
学生食堂の定番メニューはAランチ120円、Bランチ100円、ビフカツランチ85円、
チャンポン麺はたしか65円の頃、いつもはチャンポン麺、はりこんでビフカツランチ、
というのが私のランチ生活でした。
18、9のビンボーな小娘にとって場違いな、背伸びをしなきゃいけない場所で
土井先生と一対一でナイフとフォークを使って食事をしながら
いっぱしに憲法論議をしたのであります。

何を食べたか何を話したか今は忘却のかなた。
だけど「日本国憲法は世界に誇る平和憲法である」ということが
今でも脳裏に焼き付いているのです。

意欲に満ち満ちていた女子学生も今やただのなにわのオバハン。
だから、女子大生亡国論なんていう意見がはびこるのもむべなるかな。

しかし、あの頃の女子学生の就職状況は、求人がほとんどなく、
今の氷河期どころじゃない。
放送会社も女子はアナウンサーしかとらなかった。
アナウンサーでも何でもとにかく潜り込めばなんとかなるだろうと
某在阪放送局のアナウンサー試験を受験。
筆記テストはみごと合格! 次なるテストはアナウンス。放送部の経験もないし、
わたしゃ大阪の標準語しか知らない。
東国の標準語と大阪の標準語ではアクセントはおおよそ反対。
たとえば、クモ。大阪では空の雲はモ、虫の蜘蛛はク
東国とは反対でしょう。
そんな訳で読んでいく文章の単語のアクセントを片っ端から日頃話しているものと
反対にして読んでいったのです。
受かるわけないか・・・・・!。

私を蹴落として入社したアナウンサーは在阪局の看板番組のアシスタントとなり、
二年ほどで結婚退社した。
ぬ、ぬ、二年でやめる位やったら最初ッから受けるなッちゅうねん!!
ちょっと怒りのために下品になりました。

そして丁度、大阪万国博覧会(花博と違うよ。)のパビリオンホステス
(今はコンパニオンと言うらしいが)
の募集があり、某パビリオンにと就職したのです。(身長を2cmごまかして)

高度成長を目前にした日本が世界に華々しくデビューしたEXPO'70。
6400万人という驚異的な入場者数。

敗戦後25年経って復活した日本の一大イベント。
それに参加できたことは私にとって貴重な体験でありました・・・が、まつりは終わる。

その後コピーライターの勉強をし、結婚、出産を経て、細々とながらもコピーライターを続けています。
未来を我が手にと意気込んでいた夢多きあの女子学生は今はどこへ行ってしまったのでしょう。

土井先生はえらかった。
情熱の炎をたやすことなく、ますます「凛」として活躍なさっている。
なにわのオバハンは、土井先生の記事で我が青春時代を思い出してしまいました。
そんな訳で、陰ながら土井先生を応援しているのです。
あの食事の時に先生に借りた本、まだ返していないナ・・・。

テレビに映る土井先生の背後には、私の女子学生の頃の面影がしっかりとのっかかっているのですョ。
土井先生重たいやろネー

注:
  女子学生のイメージとして「あすなろ白書」の石田ひかりを思い浮かべていただくと
  ぴったりなんだけど!

ゴメン!



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9月18日号


「タワーハッカー」恐怖物語

何でもやりたがりの私ですが、身の安全が確保されているときだけ、勇ましい訳です。
だから、海の底とか、空の上とかは、からきしいくじなしです。

姪っ子の結婚式でまたまた上京した折り、土曜日の午後半日、「後楽園ゆうえんち」なるところへ
遊びに行きました。(当然 乗り物券がいっぱいついたご招待券を頂戴したからです。)
こんな都心の真ん中の狭い敷地にゴチャゴチャいっぱいこわがらせマシーンが林立。
あっちでもこっちでも「キャーキャー」「ワーワー」。
みんなこわがるのが好きなんですね。

その後楽園ゆうえんちの中でも一番のこわがらせマシーンは「タワーハッカー」。
何10mかのタワーの上からドスーンと落ちるやつ。あれは見るからに恐ろしそうですね。
で、わざわざ来たからには、あれを見過ごす訳にはいきません。

1時間半ぐらいの行列、みんな黙々と待っています。恐怖感をどんどん増幅させながらネ。
あと15分ぐらいの待ち時間のところでモニターテレビがあって、注意事項をアナウンスしている。
「心臓病の人、手術後間もない人、高血圧の人、低血圧の人、飲酒している人、妊娠している人、
120cm以下の人などはご遠慮下さい」とのこと。
「ここまで待たせて、お断りはないでしょ」って感じで意地になって待っていましたが、
内心、「私、妊娠しているかも知れない」とか言って逃げ出したくなりましたよ。
だって、近くのジェットコースターからは「ワーッ、キャーッ」なんて叫び声がしてにぎやか
なんだけど、「タワーハッカー」からは何も聞こえない。誰も声をあげていない、
声をあげてこわがれる程楽しくないんですョ、きっと。

高2の娘はテコンドーを習っていて、大の男をまわし蹴りで倒したりしておそれられているぐらい
の気丈夫なのに、ガンとして「タワーハッカー」の行列に加わらない。
彼女はめちゃめちゃこわがりと見た。
でも、誘惑にのらない彼女の方が正しいかも知れないと内心思う。
でも、「ここまで待ったんだし」とやっぱり意地になって乗りましたョ。

高一の姪っ子みゆちゃんとダンナと三人一列になって坐る。
ゴンドラのシートがタワーのてっぺんに上がっていくと東京ドームの白い屋根が右手下方に
見えちゃうんですョ。
そんな高いところからドスーンですからね。
みゆちゃんは待っている間、何とも勇ましかったのに、シートが上がっていくにつれ、
「こわい〜!! 降りる〜!!」と叫んでいます。今さら降りる方が恐い!
「勝手に降りるんだから!!」とこちらも悲愴。

てっぺんで10秒ほど静止したあと、つり下げていた止め金がはずされました。
たぶん2、3秒程度のあっという間のできごとだったのでしょうが、なんと長く、
永遠に感じられたこと・・・。

映画のスローモーションそのままのイメージ。
例えば、・・愛し合っている男と女がやっと会えた。双方駆け寄って抱きしめ合おうとした
瞬間、目の前で男がピストルで撃たれる。血しぶきをあげながらのめり込む。
「ジェーン!!」とか、何とか女の名をつぶやきながら、男は口もと、目もとには
微笑みさえ浮かべながら彼は倒れる。
最後のクライマックス、2、3秒の出来事をスローモーションでたおやかに美しく、
感動的な動きで見る人の心をふるわせる。つぶさに動きが脳裏に焼きつく------。

あるいは、万策つきた主人公がビルの屋上から飛び降りる。その2、3秒の間に楽しかった
青春の思い出のシーンが次々と浮かぶ。
そして額の髪の毛をゆっくりなびかせて落ちていく----。

そんな風に2、3秒の瞬間が死のイメージでもって妙に長くスローモーションしていました。

それと、空白感、アニメの「アキラ」の核爆発のような一瞬の空白、静寂のあと「ぶぁーっ」
て下から爆風にあおられたみたいな感じ。
下に落ちているのに上がっているというのかナ?。とにかく恐ろしい体験でございましたョ。

降りて、ため息だけが「フーッ」と出ました。
みんななぜか静か。

「タワーハッカー」を体験した人、どんな感じだったか聞きたいですね。

「空飛ぶカーペット」にも乗りましたが、たった2、3m揺れるだけであんなにすごい
揺り返しがあって耐えられないんだから、やっぱり夢はおとぎ話にたよるしかないもんね。

「魔法の絨毯」や「魔女のほうき」はたまたネバー・エンディング・ストーリーの「ファルコン」
にまたがって空を縦横に飛び回っているのは、ものすごいことですョ。

ハイ、今回も感じました。
私は「いっちょかみ」の「いくじなし」だもんね〜。

もう1つ教訓
「ただほど 恐いものはない!」



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9月10日号


東京ピラミッド物語

エジプトのピラミッドの気の遠くなるような積み石や、中国の兵馬俑のおびただしい数の
人馬の克明な面差しをテレビなどでみると「ふぇ〜っ」て感じで溜息をついてしまいますね。
そして建造物のすばらしさに感動すると同時にその当時の一般ピーポーがむちを打たれながら
黙々と労働していた姿がダブってきます。
絶対的な権力を持っていた王様や皇帝、喜んでか悲しんでかわからないけれど一粒の石になって
いった一般ピーポー。
この間、東京へお上りさんした時に、新宿副都心なるところへ行って来ました。
そして、文字どうり都庁へお上りさんしてきたのね。
あの天をつくような二本の尖塔ビルの中に入って、その贅をつくした素晴らしい現代の建造物を
見て感動しました「ふぇ〜っ」て。
でも「一般都民ピーポーの感慨やいかに?」と、ついいらぬ思いがよぎってしまったのですョ。
「このタイル、都民一人、一枚づつ積ましていただきました!ハイ」 って感じでネ。

京都御所物語

展覧会とか博物館とか、いろいろありますよね。
「見てるだけ〜っ!」「さわっちゃ駄目!」ていうのが殆どで、
そんな時、私はものすごく欲求不満におち入ります。

大阪の本町の問屋街の中に「商品にさわっちゃ駄目!」「しつけが悪い!」とお客をどなる
ので有名な輸入下着のお店があるんだけど、さわるのってそんなにいけないことなのかナー?

「中年のオバハンはすぐにさわりたがる」とオバハンを天敵だと言ってはばからない我がダンナ。
話に興が乗ると、つい肩をたたいたり、腕を持ったりと、なにわのオバハンは特によくさわる。
好奇心旺盛で興味のあるものを黙って見過ごせない。

で、そんな訳で、京都に下宿している息子のところへ荷物を運びがてら、京都御所に立ち寄りました。
広〜い、広い玉砂利が敷き詰められた庭の中、とても姿の美しい楠の木が立っていました。
幹が胸丈ぐらいのところで二、三本においしそうに枝分かれしていて、
丁度「登って下さい」といった風情でたたずんでいるんです。
もちろん私は登りました。(ちょっとお尻を持ち上げてもらわないと足の長さが足りなかっったのですが。)
遠くに皇宮警察のパトカーが止まって監視しているも気にせずに。

かさかさした木肌をこの手でさわり、豊かな葉陰の中で、御所の空の青さを満喫しましたヨ。
バカは高いところへ登りたがるのですが。細い際みたいなところも好きなのです。

で、今度は疎水が流れる溝の向こうに白い五本線の入った美しい土壁のヘイが延々とのびているのです。
この美しいヘイをさわらずに通りすぎることはできません。
この美しいヘイ達とスキンシップをしようと私はポンと50cm程の溝を飛び越えてヘイ際に立ちました。
『ジャ〜ン!!!』
皇宮警察のセンサー警備は完璧なできでしたヨ。
静寂の中、耳をつんざくサイレンと「ヘイに近づかないで!」のアナウンスが流れ、
背後から先ほどの皇宮警察のパトカーがすすっと現れた。
冷や汗かいてそそくさ退散の巻きでした。

『さわらせて〜!!』


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9月1日 創刊号


秋になると、やっと私は薄着になる。これって変でしょ。

酷暑の夏、私は厚手のジャケットをいつも着込んでいた。
電車の中、新幹線(新寒線)の中、超インテリジェントビルの中、
みんな、みんな南極のような極寒地。

コンクリート砂漠を歩いて汗びしょになった体にこれらのクーラーは
「ヒュルリ〜、ヒュルリララ〜♪」の「越冬つばめ」の歌にのって冷えてくる。
おかげでこの夏2回も風邪をひいて寝込んでしまった。
朝のラッシュはそれでも良くても、昼間の空いた電車はとても10分も乗れたもんじゃないですぞ。
電車もビルもワイシャツを着てスーツを着込んでいる男性にしか温度設定を合わしていない。
プンプン!

夏は暑いのが当たり前、スーツを着て厚着をする方がおかしい、(省エネルックはどこへ行った?)
かき氷だってよしず張りの暑いところで食べるからおいしいのに、
冷え切った喫茶店で誰がフラッペを食べる??

過剰クーラーで電力の無駄使いをして、その分余計に地球を暑くしている。
こんな不合理な事をなんでみんな平気でしているのかな?


ふつうの夏を返して〜!!


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tecta@gin.or.jp


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