似顔絵は
三浦さんに描いていただきました。
似てるか似てないかはご想像にお・ま・か・せ。(^^)
「なにわの掲示板」に ご感想、ご意見を書いていただくとうれしいです。

【1月30日号】【1月20日号】【1月4日号】

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1月30日号



「吉野屋の牛丼」

 とんねるずが司会をしている「喰わず嫌い・・なんとか」という番組をよく見ている。
一億総飽食の世の中、グルメ番組も手を変え品を替え色々ある中、嫌いな料理を食べて見せておたがいに当てあいっこするという、妙な、しかし一度見ると又見たくなる番組だ。
石橋貴さんの、強引でプレイボーイらしい言動、いいとこのおぼっちゃま(特に有名人の二世)に対するあからさまな対抗心と卑下と成り上がり者の優越(彼は今や芸能人番付一位!)がない交ぜになった魅力。
かたや、木梨憲さんのスポーツやアートにすごいセンスを持っている一方、何を食べても一番のほめ言葉は「ごはんに合うね〜!」の気取らぬ庶民感情一筋の魅力。

 この二人の絶妙なコンビの色合いがまたおもしろいのだが、今週の番組の中で憲さんがいつも牛丼の「吉野屋」のごひいきだと話しているせいか、吉野屋の社長から感謝の記念品が届けられたと桐の箱を見せた。その中には吉野屋がいつも使っている丼と湯飲みの、「木梨憲武の銘入り」の陶器が入っていた。
吉野屋にこの丼を持っていくと、「タダで食べさせてくれるぞ!」と貴さんが憲さんをそそのかし、憲さんは半信半疑ながらも、隠しカメラとともにもよりの吉野屋に赴いた。
ちょっと自慢げに桐の箱からマイどんぶりを出しながら、「これに『並』入れてちょうだい!」。
TVの前の我々は、その光景にかたずを呑んで見ていたのだが、吉野屋の店員はけっこークールに言われるとおりに牛丼を盛って出した。まずそこで、私は「おやっ?」と思った。「安く、美味しく、早く」のファーストフード・チェーン店だから、店員はたぶんバイトの子だと思っていたのだ。人気者の憲さんが行くとミーハー気分で少しは反応するかと思っていたのに全然接客の態度が変わらない。そしてみんな板前さんのような白い筒袖を着ていなせなので、「あれ? プロなのかな?」と思った。
憲さんがガツガツと牛丼をパクついている。「あれ? おいしそう・・・。」
空きっ腹を満たすだけの若い男の子向けの牛丼屋さんだと思っていたので、清潔できりりとした店員さんとおいしそうな牛丼で、ちょっとばかし好感度がアップした。

さて、たらふく食べて満足した憲さん、丼と湯飲みも洗ってもらって、「さぁ・・っと」と立ち上がる。
すかさず、「ありがとうございました。400円です。」と店員さん。
「あれっ? お代いるの?」憲さん、社長からもらったという手紙を見せる。
店員達、手紙を読んで、「記念品を贈るとだけ書いてありますから・・・。400円。」
憲さん、しかたなく400円払って出てきました。
テレビの前の私たちはこの成り行きを見て「なんとけちな吉野屋・・・!せっかくの社長の好意が仇になった・・・。フランチャイズはやっぱり隅々まで企業色が行き渡らないんだなぁ・・・。」なんて千々に思いを巡らせた。
けれど後になって冷静に考えるとやっぱり吉野屋は400円取ってよかったと思う。芸能人が来たからといってホイホイと特別扱いするのは公平感に欠ける。おいしそうに食べてたったの400円。インパクトのあるシーンだった。
この番組で吉野屋は、広告料金に換算すると1千万円ぐらいの効果が出たかも知れない。
少なくとも私は、吉野屋に対していいイメージを抱くようになった。全国のこの番組の視聴者はどう思ったのだろうか?
ケチの吉野屋か? それとも公平な吉野屋?



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1月20日号



「振り袖に思うこと」

 1月15日、今年も沢山の若者が成人式を迎え、心を新たにしたことでしょう。
けれど、式典に参加するお嬢さん達の、あでやかな振り袖姿をTVや新聞で見るに付け、私はいつも気になるのです。
何10万、何100万とお金をかけたあの振り袖一式は、15日を過ぎるとどうなるのでしょう?
振り袖は未婚の間だけしか着れない着物なので、多分友達の結婚式の披露宴に、何度か袖を通すだけのことになるのでしょうか? 一番先に結婚すれば、成人式の1回限りということもあるわけです。結婚後、袖を切って訪問着として作り替えて着てもらえば、まだ振り袖もこの世に生まれてきた甲斐があるというものだけど、日本全国ほとんどの振り袖は、箪笥の中で深い眠りについているだけでしょう・・・。絹織物の工芸の粋をこらした芸術品が、箪笥の肥やしとして、かびくさくなって果てるだけの運命だと思うと、胸が痛くなります。

 末娘も19になり、来年には成人式を迎える予定ですが、去年辺りからなんとまぁ、振り袖の展示会のお誘いDMの多いこと! 親バカの心理をついて、あの手この手の巧みな勧誘が、DMばかりか電話でも連日続き、日中留守をしていると帰宅時間をみはからって夜までかかってきます。
立派に装幀した豪華なカタログを見ると襦袢類や小物類一式揃えで、50万以上かかり、上は100万、200万とキリがありません。成人式1日だけの衣装と割り切るむきには、レンタルも色々と取り揃えられていますが、一泊で20万以上!というのもあります。年々豪華絢爛になって、満艦飾のお人形のおまつり騒ぎです。
娘は和服にまんざら興味無きにしもあらずの様子なので、揃えてやろうかとも思うのですが(もちろん義母の、おばぁちゃんバカも見越してのことです)、成人式のその時限りにならずに和服を愛でて、事ある毎に着続けてくれることを確認してからにしたいと思うのです。

 成人式には、母親が私に着付けてくれたように私も娘に着付けてやりたいと思い、去年から着付け教室に通い始めました。京都・西陣の織り元にも研修見学に行き、絹織物の繊細さ、見事さ、染色紋様の美しさ、贅沢さなど、古くから伝わる伝統工芸の何物にもかえがたい素晴らしさを、改めて感じ入りました。
そもそも、義母の着物の虫干しを手伝っていて、お祖父ちゃんの羽織の裏地の伊達に歌舞いた絵模様の大胆さ、紬の渋さ、初めてみる義母の昔の着物の何故か懐かしい風合いなど鳥肌が立つぐらいの感動を覚えました。私がこの着物達を着てやらなかったら、もうこの美しいもの達は朽ち果てて行くしかない、と思うととても寂しくなり、まず自分で上手に着れるようになりたいと思い立ったのです。
着物にはいろいろなしきたりや格付けがあったりして、自由に楽しむ事が出来ない堅苦しさもあるけれど、それより何より現在の生活に着物の立ち居振る舞いの不便さは決定的だけれど、素材の美しさの、芸術品を身にまとう様な高揚感は、洋服では到底味わえないものです。

普段着の小紋から始まって、1月からいよいよ礼装の留め袖の着付けを習うことになり、実家の母のを借りに帰りました。
納戸にある母の和服箪笥を私は長い間開けたことがなく、引き出しを引くと、樟脳とカビくささの入り交じった匂いがたちこめました。
初めてみる金銀の綾錦、プラチナ織りの帯もあります。礼装用なので、この20年ばかり殆ど身につけられることもなく、薄暗い納戸の箪笥の奥に眠り続けているのです。
萌黄色の鮫小紋、藤色の付下げなど、見たことのある着物も出てきました。お茶やお花を趣味にしていた母だから、着物の数もいろいろありました。今年85才になる母はもう殆ど寝たり起きたりの毎日で、大事にしていたはずの着物にも執着していない様子。今度お天気の良い日に虫干しをして風を入れ、じっくり母の着物も見せてもらおうと思っています。
母や義母の愛した着物に袖を通して、ふたたび命を吹き込んでやるのがこれからの私の楽しみ。
母が縫って持たしてくれたように、私が娘に着物を縫ってはやれなくなってしまったけれど、せめて和服を着続けて日本の着物文化を娘に伝えたいと、思いを新たにした成人式の風景でした。


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1月4日号



「お正月は家族」

 今年も、平和でにぎやかなお正月を迎えることが出来た。
京都と東京に下宿する二人の息子達も帰阪し、久々に家族6人が顔を揃え、正月はやっぱりうれしい。
少し緊迫感があったのは、息子二人がそれぞれ卒業制作のまっただ中で、一人は15日、もう一人は25日締め切りという中で帰阪するのを躊躇しているのを、義母の孫に対するストレートな愛情表現に押し切られて帰ってきたからだった。
母親としては東京の息子に「忙しくて帰れない」と言われれば、いくら会いたくても「そんなんやったら、しゃーないねぇ・・・。卒制の方が大事やから・・・」とあっさり引き下がったのだが、「ちゃーちゃん(義母のニックネーム)が、栄養補給に帰れ帰れ、言うから、やっぱり帰るわ・・!」と次男は30日の夜遅くに東京から帰ってきた。

 夏休み以来6ヶ月ぶりに会う次男は、金髪のロンゲだった。
ますますベルばらのオスカル様になって、卒制に使うビデオを回しながら玄関のドアを開けて入ってきたので、私の眠くて間抜けな顔が、テープの中に収まってしまった。
次男とは1年のうち盆と正月、それも4.5日いたらいい方なので、ここぞとばかり日頃の彼用のたまりに溜まった母性愛が吹き出し、義母は義母で彼にお構いなく自分の思いの丈を連射するので、うるさがって這々の体で帰京するのがいつもの落ちなのだ。

 それでも若い男の子が二人揃うと、なんと我が家は華やいで活気づくこと!
日頃、大人達に囲まれて若さを吸い取られている娘が、まず、お兄ちゃん、お兄ちゃんとうれしそうだった。
日頃、年増と熟女と、女子大生の女3人に囲まれて嬉しい悲鳴のダンナもいい話し相手が来たとばかりに、うれしそう・・・。 日頃、歯が悪くて高血圧で高脂血症の義母、コレステロールが気になるダンナ、常に減量中の娘を相手に作る料理は、野菜中心の淡泊な総菜ばかり。
そこへ脂っこいものも作った端からドンドンもりもり食べてくれる、食欲の固まりみたいなのが二人も揃ったのだから、「あれ、食べる?」「うん」、「これ、食べる?」「うん」と冷蔵庫の余りものもきれいに食べ尽くしてくれた。こんなに食べれるのに、次男は一日一食の時もあるらしく、やせ細っている。長男は毎週一回帰阪するのでまだいいが、彼は半年ぶりなのでちょっとは太らせて、おいしそうになって帰らさねば。

 台所が活気づくのはもちろん、居間では聞いたことのないミュージシャンのCDが鳴っている。TVや802の音楽番組はだいたい見たり聞いたりしているので、この頃流行りの曲は知っている。彼はTVなんかには出ないそうだ。ファンキーで私はやっぱり感動しない音楽だったが、こんな音楽が彼らに受けているということを知るだけでも、新鮮だった。 二人が話していることも、わからない部分がけっこーある。わからなくても、そんな風なことを彼らが当たり前の事のように話しているということに、刺激を受けた。
新しい世代が確実に育ってきているという実感がした。
そんな彼らがダンナに意見を聞いたり、談笑しているのを見ると、「父と息子」という男同士の縦のつながりが脈々と流れている風景に出くわした。

 盆と正月には依然として、故郷を目指して民族大移動が連綿と続いているが、今年その なぜ?が突如としてわかったような気がしてきた。
全国に散った家族が一堂に集まり、交歓するというのは、飛び立たれて空き巣になった家の留守を守る身には、ほんとに血の騒ぐ、うれしいひとときなのだ。まして、年々弱っていく年寄りを身近に見ていると、若い未来の希望に溢れた、苦しみさえも希望の一つと思える彼らのエネルギーが、眼を転じてくれる。
家族三世代、日頃体の不調を訴えている義母も、そんなことを忘れてしまって、いそいそと元気がいい。手術後二年間、毎日欠かさず飲んでいる薬を元旦には飲み忘れてしまったぐらいだ。若い力が年寄りを元気にさせる。彼ら自身が未来の希望だから。

 二日には私の実家に4兄弟姉妹の家族が集まり、総勢18人となった。
日頃ひっそりと一人で暮らす今年85才の母の元に、東京から、奈良から、香川からと孫娘夫婦や、曾孫付きの家族も含めて集まった。母はもう、孫など誰が誰だか分からない様子だが、それでも、この母がいるからみんな遠くからでも集まるのだ。
東京から結婚ほやほやの姉の娘夫婦、兄の8ヶ月になる孫は香川から来てくれ、みんな気持ちを一つにして、お正月を祝い合える幸せ。
あまり感情も現さなくなった母も、姪っ子のムコに「よろしく、お願いしますよっ!」と しっかり凝視して彼に孫娘を託す表情に、そばから見ていてすごい迫力を感じた。
人気の的は母から見ると、曾孫にあたる「麟ちゃん」。かわいいしぐさはもちろんのこと、未来の萌芽を感じてみんな、幸せな気持ちになった。

 血を一つにした者達の屈託のない安心感や、家族の絆の求心力は拭いがたく、一人暮らしの母への不安もなく、こんな大家族の共同体があればとの幻想が浮かんだ。
これが日常になれば、色々ややこしいことがらも出てくることだろうが、1年に1回、笑顔で幸せを分かち合うために集まったひとときの共同体は、夜更けまでにぎわうのだった。


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