似顔絵は三浦さんに描いていただきました。
似てるか似てないかはご想像にお・ま・か・せ。(^^)
「なにわの掲示板」に
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12月31日号
「ゆずり葉」
お正月の買い物客で賑わっている通りの屋台で、〆飾りを買おうと見繕っていると、となりの年配の女性が「ゆずり葉ちょうだい」と言って買っていった。主婦業26年、初めて聞く耳慣れない言葉に「ゆずり葉って何?」と屋台のおっちゃんに尋ねた。楕円形の葉がついた小さな枝を見せてくれて「『なんでも融通が利く』『子や孫へ譲って行く』という意味があって、鏡餅の下に敷いたらええねん」と教えてくれた。
「ふ〜ん!」と感心した。今までお鏡の下には、実家でも、婚家でも裏白しか敷いてないがそういう習わしもあったのか・・・。
『融通が利く』というのはええ言葉やと改めて思う。浮き世を生きていくのに、毎日の暮らしの衣食住の融通が利くというのはありがたい。気持ちも融通が利いて柔軟であれば、くよくよ悩むこともなく、争いごともなし、その時その時、その場その場で一番良しと思えるところに落ちつけると言うものだ。う〜んなるほど、「融通が利くというのは心身共に不安のない状態やなあ〜」と昔からの習わしの含蓄深さにおそれいった。
『子や孫へ譲って行く』という言葉も今年はとくに気持ちに響く。というのも6月に母を亡くし、とうとう両親二人ともこの世から去って行った。戦災で焼き出され、ゼロからまじめにコツコツ働いて、一生懸命生きてきた両親が、私達四人の兄妹にささやかながらも家、土地、金品を残していってくれた。私達の育った思い出の残る家や土地は長兄へ、その他株や金品は姉や弟ら三人へと残してくれた。親が残してくれたもので仲の良かった兄妹四人、決して争うまいと、みんなで暗黙のうちに誓い合ってきたことなので、もめることもなく分けられた。
私達夫婦は三人の子供らに譲っていく美田も何もないし、インフレ激しき現在、ささやかな金品とてあてにならないとなれば、何を子や孫に譲って行けるだろうか?
両親が見せてくれた、まじめにコツコツ、一生懸命のの暮らしぶりに比べ、ええかげんに生きてきた私の半生を振り返ると甚だ恥ずかしく、子らはそれを良しとして受け継いでいく見本にもなるまい。人生五〇年を経て、私、ここで慌てる。
子らに私が譲ってやれるもの、一生懸命生きてきたつもりやが、子供達にこれが私達の君達に残してやれるものだ!」という確固たる生き様も信念もない。
慌てながら開き直って思いついたことは、私達の確固たる情報「遺伝子(DNA)だ!」このDNA、意識するしないに関わらず、しっかりと先祖何万年も前からの知恵がつまりにつまった情報の固まりだ。
私達の優性遺伝は男と女のそれぞれ持つ遺伝子が、生きていくのにより強く適応できるようにとの偉大な創造主の配慮から生まれたもの。私達があれやこれやとにわか君子にならず共、しっかり遺伝子に伝えられている。これこそが、「譲っていく」と言うことだ・・・。と
ぐうたらに考えついて、やっと落ちつく。
今年もあと一日。時を経て行く中で、いろんなものを譲って行く。譲って行くことで新たな命がパワーアップして生きて行く。
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12月17日号
「eメールと絵手紙」
例年、この時期になると年賀状の制作に励んでいるのだが、今年は喪中のため欠礼するので、何やら手持ち無沙汰な状況だ。
まとまった枚数を書くのは大変だし面倒くさい、といつも思ったりもするが、年に1回の年賀状だけでつながっている人もあり、相手を思い浮かべながら近況を書きつらねるのも、楽しみと言えば楽しみだったのだ。
独身の時にたった半年間、週に何回か机を並べただけの人とも、その後30年ずっと年賀状のやりとりが続いている。22才の時の彼女の顔しか知らず、年1回だけの賀状のやりとりであれば、それほど詳しい状況なども知らず、ただ、結婚しましたとか、引っ越しましたとか、子供がいくつになったとか、独立したとかそのようなものだけのやりとり。それだけのことながら、あぁ、今年もあの人から届いたと、どこかで安心したりしている。そしてたぶん、お互いその距離を縮めもせず、離しもせずずっとこの感じで、どちらかがどうにかなるまで続くのだろう・・・。
かと思えば、毎週1、2回会っている友達との年賀状のやりとりなどは、お正月前後2週間程会わない為の「つなぎ」になっていたり、改まってのお行儀の良いご挨拶というところか。
裏表とも印刷だけの賀状も中にはあるが、ビジネスじゃないのに、どういうつもりなんだろ?と味気ない気持ちになってしまう。
直筆のコメントが入っていればいるほど、賀状の作りに手が込んでいればいるほど、やはりその人の熱い思いが伝わってくるっていうものだ。
一方、2、3年前からインターネットの賀状をいただくようになった。
画像がアニメになったり、音楽が入っていたり、かなりのテクニックを要するだろうに、ただただすごいと感心する。12月31日の23時59分辺りぐらいから、ハッピーニューイヤーのメールが続々届き、時間を共有している同時性に改めて感動する。
リアルタイムに送れる即時性、音や映像を駆使できるなど、今までマスメディアにしか持てなかった媒体を個人が自由に駆使できる強みだ。ただ受け手もインターネット環境が出来上がっていなければ、なしに等しい。
そんな折、郵政局がeメールを配達するサービスを始めるという記事を読んだ。
送り手や受け手の最寄りの郵便局宛にメールを送ると、局でプリントアウトして配達してくれるらしい。ポストとメールの両者の利点をうまくつなぎ合わせた折衷案で、さしずめpメールとでも言ったものか・・・。
ただ、同時性、利便性等の点から見るとeメールに勝るモノはないかとは思うが、色々手間暇かけて手作りした絵手紙の、肉感、素朴感は、こんな時代だからこそ、ますます代え難い。アンチ文明の、力強い生命感が躍動して、その人となりをストレートに触感として感じさせてくれる。
eメールで年賀をもらい、その上、賀状でまたもらいと、私は、なんと欲張りな人間。
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11月30日号
「ミレニアムベイビー」
eメールで年賀をもらい、その上、賀状でまたもらいと、私は、なんと欲張りな人間。
梅田・阪急百貨店コンコース前のショーウインドウに、今年もまた「のばらの村のものがたり・ブランブリーヘッジのねずみ達」がやってきた。
8年前から毎年、クリスマスの時期になるとコンコース前の大きな8つのショーウインドウに、のばらの村のねずみ達のクリスマスストーリーが飾られるのだ。
阪急百貨店から阪急電車に向かう広いコンコースを通る人達は、殆どこのショーウインドウのねずみ達の飾り付けを見て、足を止めてしまう。小さな子供達のために、赤いお立ち台まで用意されているので、子供達はウインドウにかじりつくようにして見入って、眼を輝かせている。
ウインドウの中では、雪が空から降り、本物とそっくりの、ミニチュアの家具や調度品、暖炉、食器、野菜や果物、ケーキやおかしなどが並び、15センチ位のねずみ達がそれぞれの衣装もかわいく、電動で動き廻っている。
雪深い森のねずみ達が、クリスマスの準備でいろいろ忙しく立ち働いて、幸せなクリスマスの夜を迎えるまでの物語が、毎年色々な趣向で演出されているのだ。
今年のテーマはどうもミレニアムベイビーのようで、ウエディングのシーンから、次のウインドウでは3匹の赤ちゃんがゆりかごの中で眠っている。さすが、ねずみ達、赤ちゃんが産まれるのも早い! 村をあげての赤ちゃん誕生のお祝いストーリーが、ほのぼのとして、暖かい。
このクリスマスウインドウの前では、老若男女、みんな善男善女になって、ねずみ達の動く仕掛けなどに驚きながら、口元に笑みをたたえて見ている。しばし見とれて、なんだか幸せな気分になって、通り過ぎていくのだ。子供連れの家族はもちろん子供をお立ち台に立たせて、恋人同士は肩寄せあって、仕事の途中ののおじさん、買い物帰りのおばさんもみんな、みんな。
2000年台突入を前にして、明るい未来を願う気持ちが、未来を担う赤ちゃん誕生の喜びの中に込められているような・・・。
今、イギリスではある赤ちゃんニュースでにぎわっているらしい。
それは、民間人のブレア首相夫妻のおめでたニュースで、スキャンダルでケチのついた英王室のかわりをする人気なのかもしれない。
46才のブレア首相と、45才のシェリー夫人との間にできる赤ちゃんは、来年5月に無事生まれれば、首相在任中としては150年ぶりの上に、ミレニアムのファーストベイビーとなるので、報道も過熱ぎみらしい。
私が驚くのは、150年ぶりとはいえ、赤ちゃんが出来る世代の首相がいるということだ。
日本では、孫は出来ても子供が出来る首相が、未だかってあったのだろうか?
この妊娠のニュースでブレア首相の支持率が53パーセントから5ポイントも上がったそうで、赤ちゃん誕生は明るい希望をもたらし、国民の気持ちを一つにするのに最大の武器のようだ。
このところ、支持率が下がり始めたというわが国の首相には、たぶんこの手は使えそうにないなぁ・・・。
そして、英国民の関心の的は、ブレア首相が育児休暇を取るかどうかという話らしい。
日本では、厚生省が「子育てをしない男は、お父さんと呼ばしてやらんぞ」キャンペーンを
アムロちゃんのダンナさんと赤ちゃんを借りてやっていたが、イギリスではそんなキャンペーンを繰り広げなくても、首相自らが実践してくれそうだ。
2000年はミレニアムで、翌2001年は21世紀の夜明けでどちらも記念的な年。
わが国でも、第3次ベビーブームが来そうな気配がする。少なくとも、この2年間は少子化傾向は、ちょっと足止めかな?
子供達が大きくなって空き巣症候群の中にいる私、卵やひな鳥を抱きたいが、孫の顔を見れるのは遠く何年先かわからず、望み薄。
ねずみの赤ちゃん、ブレア首相の赤ちゃん、そしてひそかに待ってる皇室の赤ちゃん。
いろんな赤ちゃんが、ミレニアムで待たれている。
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11月17日号
「木枯らしが吹く頃は・・・」
体は正直なもんだ。
「木枯らし一号」(ネット仲間のいっせはんが書いているには、木枯らしとは前日から温度が3度下がり、風速8メートル以上吹く風のことだそうな)が吹き始めた途端、朝の化粧のノリが悪くなってきた。
肌が乾燥して、かさついてきたのかファンデーションが思うように伸びない。冬用のオイリー(老いりー?)なものに変えなくちゃぁ。
鏡の顔を見て思う。ちょっと、彩りが足りないなぁ。
夏の間は暑くて火照り気味だった顔が、秋が深まり寒くなってくるうちに、血の気がなく青ざめてきている。頬紅を一捌け、二捌けかけて、やっと顔に温かみがでてきた。
冬の準備に、家の中にストーブやほかほかカーペット、おこたが並べられ始めるのと同じように、顔の上にも、冬が来たって訳だ。
この夏は口紅もナチュラルカラーばやりで、薄めの色が流行していたが、黒や茶、ブラウン等という色が街にしっくりくる頃になると、口紅も深いワインカラーや、レッドブラウン系が似合ってくる。しっとりと落ちついた雰囲気がただよってくる。
そうなると、落ち葉がはらはら散りだし、タートルネックのセーターが無性に恋しくなる。
シャンソンの「枯れ葉」の歌が自然と口をついて出て、昔見た、イブ・モンタンや高英男、美輪明宏さんとかのタートルネック姿が条件反射で浮かび上がってくる。
男の人がタートルネックのセーターにコーデュロイやツィードのジャケットなんか着ていると、粋で、渋くて、ちょっぴりセンチメンタルな香りがして、私は小娘になった気分でついつい腕を組んで歩きたくなる。
サガンの「悲しみよこんにちは」のティーンエイジのパリジェンヌと、渋い中年男性の組み合わせのイメージなのだ。
日本でもよく似た風景がつい思い浮かんでしまう。北海道を舞台にした、原康子の「挽歌」という小説だ。
晩秋の頃の、若い女の子と、美しい妻をもつ中年にさしかかった男性との恋物語だった。
若い女の子の多感な研ぎ澄まされたハートが、胸を打った。セーターを着る季節になると思い出す、北の国の透き通った空気の中で繰り広げられる恋の風景・・・。
化粧のノリが悪くなったと思う中年のおばはんは、中年男のセンチメンタルも実感できて現実味がありすぎるけれど、若い女の子にとって、現代でも落ち葉と中年男の取り合わせは胸キュンなものなのだろうか。
援助交際などという言葉がちまたにあふれ、不景気風が未だに吹き荒れている界隈に、そんなラブストーリーは絶滅状態かもしれないなぁ。
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11月4日号
「ポケット」
ダンナの夏のスーツのクリーニングを、と思い、上着やズボンのポケットに順に手を入れていった。沢山あるねぇ。男の人のスーツには、一体いくつポケットがあるのだろう?
どれどれ? しめて上着に七つ、ズボンに五つ。おまけにズボンの右には、ポケットの中に、もひとつポケットがある。
直線よりも入り乱れた曲線の方が面白いように、私はバッグでも、沢山ポケットがある方がうれしく、ここにも、そこにもとポケットの数を探って選んでしまう。切符や定期ぐらいしか入らない薄いポケット。ハンカチやティッシュを無造作に放り込めるポケット、ペンをさすポケット、そしてジッパーやボタンで閉じたり、蛇腹で区分けされた小さな小部屋達。
釣りの人が着るベスト、アウトドアのカメラマンがよく着るジャケット等、小さなポケットが至るところについていて、あれなんか着ると究極のポケットマンになって何だか楽しそうだ・・・。
ポケットと言えば、こんなかわいい歌がある。
ポケットの中には ビスケットが一つ
ポンとたたけば ビスケットは二つ
もひとつたたけば ビスケットは三つ
ポケットをたたけばビスケットはふえる
こんな不思議なポケットがほしい
こんな不思議なポケットがほしい
私にもこんなポケットがあると、ビスケットだけじゃなくて、中にもっといろんなものを入れてパンパカ一日中、ポケットをたたいているだろうな。
ドラえもんのポケットなんていったら、もう言うことなし!
人のポケットの中って、なんだか秘密を覗くようで、ちょっとドキドキ。
便宜的に入れて、大事なものを入れて、秘密なものを入れて、ちょっと心に留めておきたいものを入れて・・・。そのときどきによって、ポケットに手を突っ込んだ瞬間が想像される。
忘れた頃にポケットから出てきたものは、どうってことないものか、思い出の美しいかけらか、あるいは悲しい残骸かはたまたドキッとさせる危険な物証か。
どんなものが出てくるか、・・・とダンナのズボンを探っていると、右ポケットの中の小さなポケットからジャラジャラと小銭が出てきた。
やったぁ! 500円玉もあるっ。しめて648円。儲かったぞうっ。私が頂いておこう。
千円札1枚ぐらいなら、黙っていただいている。2枚以上となると、チラッと罪悪感が出て、一応お返ししている。私って、正直な女、なんて育ちがいいんでしょう。・・・っていうか、気が小さいな。
クリーニングを出すときしかポケットを探らないので、ちょっとミステリアスなものが出てきたらどうしょうと、期待半分なのだが、大抵は使い道の知れた領収書だとか、小銭ジャラジャラ。
ドラマのように、女の人からの手紙やホテルの領収書、妖しげな店の名刺など、そう簡単には出てこないものだと思う。口紅のついたYシャツで夫婦喧嘩のタネになるのも、安作りのドラマ、やらせのドキュメント番組ぐらいのもんで、満員電車の中では、よくあることだ。そうそうドラマチックなことは起こらないもんだと、50の大台に乗ったツマは余裕の思いでダンナのスーツを整理する。
ダンナにとっては失礼な余裕と取るだろうか?
「まだまだ恋のチャンスは残っている!」油断すると「若い女が、僕をさらっていくよ!」と見栄でも警告を発したいところだろうか・・・。
「欲しくば〜、あげ〜ますぅ、熨斗つけて〜」と古女房は都々逸をうなりながら胸ポケットへ。ん〜、どこかのラウンジの女性の名刺。こんなのも営業用で、みんなお客に渡すのさ。
もっとミステリアスなものは出てこないのか? もっと、ドラマチックなものはないのか?
今時手紙を送るような手間を掛ける人も少ないだろうし、ポケットからは何も出てこない。
チェックをするなら携帯電話だろう。携帯は「不倫の一里塚」というぐらいだから、連絡、約束、愛のささやきも、し放題だろう。ふふふ、だがしかし、彼は留守電のメモを再生するのも手こずっていたぐらい。新人類のように、マメには使いこなせない。
かくしてダンナのポケットからは小銭が少しだけ。
ポンとたたいて、小銭が倍になれば、しめたものだ。
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10月27日号
「眼は口ほどにモノを見ない・・・」
奈良の山奥にある壺坂寺に、義母のお供でお参りした。
インドから渡来した大きな観音様をもう一度見たいとの義母の願いで、まだ紅葉には早いけれども、澄んだ秋の日差しに誘われてのドライブだった。
壷阪寺は歌舞伎や浄瑠璃でおなじみの壺坂霊験記の、お里・沢市の物語で有名なお寺で、眼の病に霊験あらたかな仏として、人々の信仰をを集めているところらしい。
義母はこのところ、白内障が進んできて来年あたりには、そろそろ手術を・・・と思い始めていた矢先だったので、ここに来たいと思ったのも何かのご縁と、信心深くありがたがっていた。
ダンナも私も、いままで若さゆえの傲慢さ、仏に手を合わせて自身の病平癒のお願いなど真面目にしなかったのに、義母につられてついつい真剣に、観音様にお願いしてしまった。
というのも、この二、三ヶ月、来ているのだ、老眼が・・・。
夏に急ぎの仕事で、一ヶ月間、毎日六時間ぐらいパソコンで原稿を打ち続けた。思えばそれから急に来たような・・・。
電車の一駅でも、乗っている間は本を読まないと気が済まなかった程の活字中毒だったのに、だんだん電車の中で読むのがおっくうになって来た。字の小さな文庫本はもう、お手上げ。
おもむろに老眼鏡を出して読むのが、これが抵抗あるのよね。ダンナのお古を使っているから余計に面白くないのかも知れない。カッコいいマイグラスを持てば、うれしくてみせびらかしたくて、ついつい愛用してしまうかなぁ・・・。
でもいくらカッコ良くたって、老眼は老眼だもんねえ。
50代は、老いのかげりを見せ始めた自分の身体と未だ、折り合わない。
若くもなく、年寄りでもない、悩み多きお年頃。「思秋期」なのであります。
そういえば、思春期の頃は、胸の膨らみ、身体のライン、顔立ちの変わる様を、ワクワク、ドキドキしながら鏡と手鏡打ち合わせ、眺め、すがめつして、きたるべき大人への期待に胸躍らせていたものだった。自分の第二次性徴の顕在しつつあるところを、しっかり観察して大人になっていく姿を、逐一確認していたものだった。
思秋期においておや。
ヒリヒリ、ドキドキしながら、自虐の快感を持って、老いの芽生えを鏡の中に見つけ出す。
明かりのついた洗面所の前に立つと、顔の陰が下向きのラインで入っている。
小鼻の横、口元の横の陰が、ハ、ハと下がって来ている。
なんじゃ?この陰は! 片方のほっぺたを少し引っ張り上げてみる。肌がピンと張り、ハ、ハが無くなった。ははぁ、女優さんはこの手でやっているんだな。10才は若くなった。
右と左、明らかなる使用前と使用後の違い。しわ伸ばしのクリームか、美容整形のCMによく使われている写真の光景なるぞ。
手を離すと、元の黙阿弥。あ〜あ、つかの間の若返りだった。返して〜、その張り! 私は女優じゃないから、ま、いっか。盛大笑って、顔の筋肉を上に上げようっと。
額の生え際、横のビンに白髪が目立ってきた。見ように寄れば、コントラストのきつい真っ黒の髪の色に比べて、少し印象が柔らかくなったと言えなくもない。加齢を重ねて、人間は円熟していくのだ・・・とかなんとか、いい方に取る。ちょっとメッシュが入って、おしゃれじゃん!!とかね・・・。
昨日までみかけなかった筈のシミが、一日で出来上がっていることもある。
鏡を見つめて、一つ一つ現れ始めた老いの特徴を眺めている私。
80のおババになれば、顔のしわの美しさに、歯の抜けたかわいい笑顔に開き直れるやも知れぬが、今はまだ未練たらたら。
この間なんか、ムリして電車の中で文庫本を読んでいたせいか、電車を降りた途端、クラクラッときた。もう、ええカッコしている余裕はなくなってきた。観念して老眼鏡をかけよう。
前回は「歯」、今回は「眼」、老化の順番として次回は・・・。 乞う、ご期待!
(誰が 期待するかっ!)
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10月1日号
「歯は口ほどにモノを言い」
このところ歯医者に通って、ガリガリとやられていじめられた。
白い帽子とマスクをして殆ど顔が隠れている30代らしき先生は、聖子ちゃんのダンナさんでなくとも、なんかカッコ良く見えてしまうが、こちらは大口開けて不細工な口の中を見せているので観念しなくてはいけない。
歯医者通いは随分久しぶりで、振り返ると世代別に波があるような気がする。
歯痛で一番泣いた覚えがあるのは、小学校時代だろうか。歯医者に行く途中、踏切の遮断機が降りているのも、恨めしかった頃があった。
姉は一本も虫歯がないとその頃自慢していたことからも、虫歯は生活習慣というよりも、その人の持って生まれた歯性が大きい様な気がする。実際、我が家の三人の子供の中で、次男は一番歯磨きに不真面目だったのに、虫歯がなくてきれいな歯をしている。
そして20才近くになって、またまた歯痛に悩まされた。
いわゆる「親不知」の登場だ。人類の歯は、32本なのだという証を遅ればせに見せつけてくれる歯だ。この歯は、なぜこのような名前がつくのだろう?
小さい頃は、親は子供の歯が出てくるのを今か今かとしじゅうのぞいているが、この歯が生える20代前後には、もう、親の知る所ではなくなっているからという説がある。
この親不知が生える時、私は頭痛と発熱で寝込んでしまった。
その後、妊娠と出産で歯の状態に大きな波がきた。
3人の子供を産み上げた後気付くと、4本の親不知は全部虫歯になって、抜いてしまっていた。子供の歯や骨になったのかどうかは知らないが、母になることの大変さを、身を持って感じたことを覚えている。
この夏、ガムを噛んでいて右の奥歯のかぶせがはずれ、先日おせんべいをパリパリ食べていて左の奥歯の歯が欠けた。何か食べていて、ガリッと異物を噛んだときのゾッとする感じ、吐き出した中から歯のかけらを取り出した時の、背筋の寒くなる感じ。
あ〜ぁ、ヤダヤダ。初めて白髪を見つけた時のショックよりも大きい。
やっぱり歯は、生きていくための第一の武器であり、道具なのだ。
野生の動物の世界では、歯を無くすということは即ち死を意味することなのだから・・・。
歯はそれに、モノを噛むという機能以上に、いろいろな役を隠し持っている。
歯列矯正の先生の話によると、歯並びや、噛み合わせの悪さから肩こりや頭痛、ひいては姿勢のバランスまで左右するらしい。
スポーツ選手はここ一発という瞬間、奥歯をグッとかみしめて踏ん張る。奥歯が虫歯だとその瞬発力がいまいち出ないらしい。今シーズンパリーグで優勝したダイエーホークスの王監督の奥歯は、ホームラン王時代のバットを打つ瞬間の踏ん張りの為、全てすり減っていると聞いた。
友達の息子さんが重症のアトピーでいろいろ治療しても治らず苦しんでいたが、ひどい虫歯を治療したらかなり経過が良くなったということも、目の当たりにしている。
よく噛むことで、脳波を刺激して脳細胞の成長を促すやら、惚けないやら・・・。
はたまた源平の戦いでは、貴族生活に慣れ親しんだ平家は柔らかいモノを食べ、坂東武者の源氏は固いモノを食べていたので、知力体力に差がついたとか。
たかが歯、されど歯なのだ。
「80代で、歯を20本残そう!」というキャンペーンがある。
76才で10本位しか残っていない義母は、毎日のご飯も普通炊きより少し柔らかくしないと噛み下せない。
私が沢庵をポリポリ食べている音を聞いて、ほんと、うらやましいそうな。
歯の治療中、いかに食べ物がおいしくなかったことか。
ゴボウやタクアン、レンコンをポリポリ食べれる幸せ。
肉や鮑、海鼠をコリコリ噛める幸せ。
当たり前と思っていた幸せは、大事にしないとこれから消えていく。
私、ただいま52才。歯は27本。あと長くて30年、どれだけの歯が残っているやら?
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