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2月22日


「学校の選択」

最初から堅い話で恐縮だが、英国の学校には、「学区制」というものがない。
各家庭の教育精神に合った学校を自由に選択することができる。
そして、学校の基本精神や授業の内容を決めるのは、 すべて校長(ヘッドティーチャー)である。

さほど教育熱心でもない私たち夫婦は、子供の学校を選ぶに当たって 授業の内容や方法というよりも、話のわかる、話してお互いが理解し合える 校長の存在を最優先した。言葉もわからない、生活習慣も違う子が いきなり英国の学校へ入り、問題が起きないはずがないのだから。

私と子供がまだ日本で引っ越し荷物に埋もれていたころ、 夫はいくつかの学校に面接の予約を入れた。
娘の小学校(プライマリースクール)の候補は3校あり、 家から一番近い私立校は、夫の同僚の子供さんが通っていて 強く勧められていたこともあって、まずそこを訪れた。
「少人数クラスで、行き届いた個人指導、子供ひとりひとりを家族の ように考える温かい教育・・・」
「ふむふむ、なるほど・・・申し分ない学校だ。」と思ったそうだ。
が、校長をお尻に敷いているフランス人の奥さんの存在が 気にかかったという。

次に訪れた公立校では、190pはあろうかという立派な体格の ヘッドティーチャー、ミスター マーテルが応対してくれた。
大きな体とは対照的な柔和な笑顔と人格、教育者としての高い理想・・・ 夫は5分話しただけで、「この学校に娘をお願いしよう。」と決めた。 別れ際、ミスター マーテルは「われわれは日本から学ぶことがたくさんある。
あなたの大切なお嬢さんをぜひ預からせてほしい。」と言って、 堅い握手を交わしたという。

そして夫の選択は大正解だった。

一方、息子の中学校(セカンダリースクール)は、もっと広い視野から 選択が多岐にわたっていて、夫婦でずいぶん悩んだ。
ロンドンには、日本の私立校が何校か進出していて、英国に居ながらにして 寮生活を送りながら日本と同じ教育を受けることができる。いずれ日本に 帰った時のことを考えて、私の知人の何人かは、子供をその学校に入れている。
しかし、夫は普通のイギリスの子供が通う、普通の学校に息子を入れる ことを強く望んだ。
私は「だんだん難しくなる中学の勉強を、英語でしなければならない 大変さや言葉の壁があるのに友達と良い人間関係ができるだろうか?
ひょっとして、いじめられたりしないだろうか?」などと、うじうじ考えていた。
しかし、12才の子を異国の地でいきなり寮に入れる勇気もなく、結局 「子供は親が考えるより、ずっとたくましい。」という夫の言葉に頷き、 家の近くの公立校に息子をお願いすることにした。

息子は楽しく学校に通っているが、この選択が正しかったかどうか 今はまだわからない。「正しかった」と言える日が来るといいのだが・・・






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2月13日


「言い訳の達人」

ドヒャー又やってしまった。(おおー恥かしやー) ここのところ、インターネットとやらで、英国に 居ながらにして、日本で、いや、世界であかっぱじ をかいている。HPにアップされた自分の文章の中 に、誤字、脱字を見つけた時のショックは、かなり 大きい。

そもそも、この前のは失敗だった。初雪に感動して 「この題材を逃してなるものか!」と一念発起して PCに向かったのがいけなかった。
お昼から、英語学校があることを、トンと忘れてい たのだ。
その上英語学校から直接子供を迎えに行き、そのま まプライベートレッスンの先生のお宅まで送り届け る日だったので、「どうしても、出かける前に送信 しておきたい!」と焦っていた。
おまけに、英語学校の宿題もやってなかったし、耳 を慣らしておかないと悲惨なことになるし・・・ というので、日本語で文章を考えながら、横でラジ オをガンガンかけ、時々洗濯機の監視もするという 八面六臂の離れ業をやってのけた。

考えてみれば、PCの操作もまだ不慣れだし、 変換キーで最初に出てきた漢字を鵜呑みにしてしま うという、人を疑うことを知らない素直な性格も 災いしたようだ。

何とか宿題も原稿も間に合わせ、車に飛び乗り英語 学校へ行ったが、頭の中は送信した原稿のことで いっぱい。「あんなこと書かなきゃよかった。」とか 「あそこはこう書いた方がよかった。」とか・・・ 帰りがけに先生に呼び止められ「今日はどうしたの?」  と聞かれた。「イヤー今インターネットとやらに はまってまして・・・」と、朝からの一部始終を説明 したかったが、そんな語学力はまだないので、「ごめ んなさい。今日はジャパニーズバージョンなの。」と 答えておいた。
先生には大ウケしたが、英語はボロボロだったし、 とんでもない赤恥をかくハメになり、落ち込んでいる。 以上、私の苦しい言い訳である。

それはそうと、常々私は「英国人ほど言い訳の達人 はいない!」と思っている。どんなに自分に非があ ろうと、決して「アイム ソーりー」とは言わない。 つい先日も、問い合わせた件の返事がなかなか来な いので、催促の電話をしたところ、「自分の担当で はない。明日あたり担当者から手紙が届くんじゃな い?」という返事がかえってきた。その通り、翌日 返事は来たが、郵便の発達したこの国では、ファー ストメールだと翌日配達なのだ。電話を切ってから 投函しても、十分届くのだ。まるで、そば屋の出前 といっしょ。

言い訳を書きながら、私もイギリス人に似てきたか な?と思った。しかし、自分の失敗をネタにまた ひとつ原稿を書いてしまうなんて、関西の芸人の 方が近いかな?

さて、今後どうしたらあかっぱじをかかなくて済む か?考えてみた。
原稿を送る前に他人に見てもらうのが、最良の道だ ということに気づいたが、他人と言っても、夫しか いない。私以上に口の悪い夫に見せたりしたら、 ケチョンケチョンにけなされて、グシュンとなって 断念してしまうのがおちだ。
うーむ、どうしよう?

エーイ、こうなったらこれっきゃない!
「誤字、脱字ご容赦くださーい!」





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2月11日


「住環境について 2」

今朝、目覚めてみると、一面の雪景色。イギリスに来て初めての雪だ。
煉瓦造りの家、手入れの行き届いた庭、みどりみどりした芝生・・・
渡英以来、その美しさにうっとりしていたが、今朝はその上、うっすらと雪化粧・・・

子供の頃、本で見て憧れた、西洋の街並みそのままの光景が、 私の目の前に広がっている。まるで、おとぎの国にでも迷い込んだような・・・
木立の奥に見え隠れする家々は、どの家もみんな煙突のある煉瓦造りで、 中には、蔦がからまったりしている。
木々の緑、煉瓦の赤、そして白い雪・・・
そのコントラストの美しいこと、美しいこと。感動してしまった。

しかし、その美しさの裏には、やはり理由があった。そして、意外な落とし穴も・・・

英国では、仮に土地を所有しても、自分の好きな家が建てられる訳ではなく、 京都の景観法のように、周囲の環境に調和した建物の外観が要求されるらしい。
それが、あの歴史を感じさせる煉瓦造りの建物なのだ。
そして、このルールは民家だけでなく、すべての建物に適用されるらしい。 病院や駅、スーパーマーケット、学校、消防署まで、景観の維持調和のために、 みんな三角屋根の煉瓦造りなのだ。

結果、どれがどれだかわからず、何の建物だかしっかり看板を読まないと わからないという欠点がある。
以前、2人の子供を車に乗せ、ホームドクターの登録をするため、病院に向かったことが あったが、それらしき建物が見当たらず、苦労した経験がある。
ようやく見つけた病院は、ちょっと大きな普通の家だった。
要するに、建物を形の特徴で覚え、さらに横文字に弱い日本人にとって、慣れない土地で、 看板を読みながら、車を運転することは、至難の技なのだ。

では、なぜ「煉瓦」造りなのだろうか?理由を考えてみた。
1)確かに、「煉瓦造り」は歴史を感じさせる。
  わが家は、イギリスには珍しく、新築の家なのだが、
  妙に古めかしく感じさせる「見栄え」は持ち合わせている。

2)もし、木の家だったら、湿気の多いこの国では、あっという間に
  腐ってしまうだろう。

3)西洋人は、基本的に不器用なので、日本人のように精巧な細工の木造住宅
  など作れない。寒いこの国で、すきま風は大敵だ。

4)地震などありえないので、キツネやシカが体当たりしても崩れないだけの
  強度があれば十分なのだ。
  子供の頃読んだ「三匹のこぶた」の中で、木の家はオオカミに壊されたのに、
  なぜレンガの家は、壊されないのか?子供心に納得できなかったが、
  今、初めて謎が解けた。西洋人には、オオカミの来襲に耐えられるだけの
  頑丈な木造住宅が作れないのだ。 

5)もしかして、再利用に有効?
  先日、偶然家の解体作業を目にしたが、やっていたことは、大きなハンマーで
  力任せに煉瓦を打ち壊す作業だった。がれきは、粉々にして再利用?・・・
  なるほど!細かい技術が不要で、いかにも西洋人らしいと言えばらしい。

以上、好き放題言わせてもらったが、誤解されると困るので、ここで一言断っておきたい。 私は、新築なのに恐ろしく立て付けの悪い、煉瓦造りのわが家が、実はとても 気に入っているし、不器用なくせに、見栄えばかり気にする「ええかっこし」のイギリス人が、 決して嫌いではない。私が生まれ育った山口には、ふるさとのぬくもりがあり、 学生時代、景子さんと過ごした京都には、私の青春が凝縮されている。
結婚後住んだ神奈川は、まわりの人に恵まれ、楽しく子育てできた土地だ。
それぞれに様々な思いがあるが、できれば、思いがけず暮らすことになったこの国を、 いつの日か「第2のふるさと」と呼びたいと思っている。
だから、「もうちょっとだけ手先が器用で、もうちょっとだけ頭を使って、 もうちょっとだけ中身を重視してくれたら、もっともっと好きになるんだけど・・・」 と思うと、つい苦い口を叩いてしまうのだ。





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2月8日


「住環境について 1」

便利で物があふれている日本から、歴史と伝統の国イギリスへ 移り住んでみて、めちゃくちゃ驚いた。見るもの、聞くもの、食べるもの、 触るもの、嗅ぐもの、みんな私を驚かせてくれたけど、極めつけはやはり、 電化製品の品質と性能の悪さだろうか?

中でも一番すごいのが、洗濯機。
日本の洗濯機は、排水の点で使用不可能だが、家具なしの借家でも、 ほとんど備え付けてある。ちなみにわが家のは、イタリア製?の 新品全自動洗濯機(4.5kg)。

日本の乾燥機のように、横からの出し入れなので、上部が使えるという利点はあるが、 洗い上がった洗濯物を取り出す時、どんなに注意しても1つ2つ、 レンガの床に落ちてしまう。
(あーあ、せっかく洗濯したのに・・・)

一度スイッチをONにすると、ドアがロックされてしまうので、日本の時のように、 忘れていた靴下とかハンカチを、途中でポイポイ投げ入れることができない。 (これって、けっこう不便)

給水は、水とお湯の両方が出るようになっていて、モードによっては、 95゜Cのお湯が出せる。
(このあたりの考え方は、日本より進んでいるかもしれない。)

しかし、標準モードで洗濯すると、1サイクル1時間30分かかる。
短縮モードにしても、洗いが20分短くなるだけ。
(日本で使っていた全自動洗濯機は、確か1サイクル30分くらいだったっけ?) 何とも気の長い話である。1日3回も回せば、午前中洗濯で 終わってしまうではないか!

しかし、百歩譲って、時間がかかるのは許そう。ちゃんと洗い上げてくれるのであれば・・・
私が許せないのは、回転の方向に問題があるのか?洗濯物の量がちょっと多いと、 すぐ根を上げて、途中で止まってしまうことなのだ。ということは・・・そう、「監視」が必要 なのだ。
(何と手のかかる軟弱者!!日本の洗濯機は、どんなに酷使しても、 こんなことなかったぞ!)

その上、見ていると洗濯物をこれでもか!これでもか!と親の仇ほどグルグル回す。 これでは、衣類がボロボロになるのも時間の問題だ。 
 
次に、冷蔵庫・・・一言でいって、「冷えない。」
下半分が引き出し式の冷凍庫になっているので、霜がつく以外は、 それなりに使えるのだが、上の冷蔵庫の方は、昨年の涼しい夏でさえ 数回開け閉めしただけで、「TOO WARM」の表示がつきっぱなし。
(冷蔵庫が冷えなくてどうするんだぁ!)

夫に言わせると、「自分で出す外部への熱を、内部に回しているお間抜けなヤツ!」 だそうだ。「だれやっ?こんなもん作ったんは・・・責任者でてこーい!!」と 叫びたくなってしまう。

そんな訳で、貴重な日本の食料品は、日本から持ってきた冷蔵庫に すべて入れている。

ここにきて、日本の電化製品の優秀さは、外国で初めて実感するものだと悟った。
しかし、このイギリスという国は、歴史を重んじ、頑なに伝統を守って きたために、より良いもの、より便利なものを追求することを忘れ、 その努力を怠っているようにしか、私には見えないのだが・・・

他にも、まだまだ、私を楽しませてくれた物がたくさんあるが、これを書いていて、 とても暗い気持ちになってしまった。実は、部屋の照明も信じられないほど暗いのだ。
この話しは、いずれまた・・・





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2月2日


「私の住む町、キャンベリィー」

「英国在住です。」というと、ほとんどの方が、ロンドンに住んでいると 思われるだろうが、私の住む町、キャンべリィーは、ロンドンから 南西に車で約1時間、緑の多い、小さな田舎町なのである。

毎週土曜日、2人の子供を、ロンドンにある「日本語補習校」に 連れて行くため、夫の会社とロンドンのちょうど中間地点にあり、 尚かつ、ヒースロー空港に近い、この地に家を借りた。
同じような理由で、日本人が何人か住んでいるが、 歩いて行ける距離に、日本人はいない。
もちろん、子供の学校も、日本人はうちの子だけである。

多くの日本人が住むロンドンには、日本のデパートや日本人医師による 診療所、日本食料品店など日本人相手の商売がたくさんあり、 英語が話せなくても、日本人社会の中で、何不自由なく生活できるのだが、 この小さな田舎町では、そういう訳にはいかない。スーパーマーケットでの 買い物は、「ハロー」と「サンキュー」で何とかなるが、タクシーを頼もうにも 家の修理を不動産屋に連絡しようにも美容院に行こうにも、 英語が話せなくては、生活がままならないのである。

ところが、ところが、この私、学校を卒業して約20年、 きれいサッパリ英語を忘れていた。
日本を立つ前、私の語学力を心配してくれた友達に、 「実践あるのみ!何とかなるわよ。」 などと、大きな口を叩いて来たのに、何ともならない厳しい現実に 直面し、私のアフタヌーンティーは、ぶっ飛んでしまった。

恥ずかしくて、今まで誰にも言えなかったことだが、 通い始めた英語学校の最初の授業で、先生に「息子さんは何歳ですか?」 と聞かれ、舞い上がっていた私は、「トゥエンティー」と答えてしまった。 先生は、とても驚いた様子で、「日本人は若く見える。」とか 「とても20才の息子さんがいるようには見えない。」とかなんとか? とにかく私の若さと美しさを絶賛してくれた。それでも私は気が付かなかった。 「イギリス人って、人をおだてる天才!」なんて考えていた。
すると、「それにしても、あなたは早くに結婚したのね。いったい、何歳で結婚 したの?」と言われ、「トゥエンティーシッ・・・」まで答えて、初めて気がついた。 あわてて「ごめんなさい。息子はトゥエロブでした。」と言ったが、顔が真っ赤になった。 先生は一瞬の沈黙のあと、「グッド!」と言ってくれたが、穴があったら入りたかった。 それくらい、私の英語はひどかったのである。

「こうなったら仕方ない。ねじりはちまきでやるきゃあないか!」 と心を決め、私の英語との格闘が始まった。途中、何度も投げ出したくなったが、 ゛松田聖子でも英語をしゃべってる゛と思うと、不思議と力が湧いてきた。
おそらく短いであろう英国生活を、快適で楽しいものにするため、 これからもこの言葉を胸に、英語の勉強に励もうと改めて決心した私である。





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1月26日


「突然の海外赴任」

ちょうど1年前の今頃、突然、夫の英国赴任が決まった。全く予期していなかった事態に、 わが家は大きく揺れた。

小学校卒業を目前に控えた息子は、5年から、地元の少年野球チームに入り、 野球に明け暮れる日々を送っていた。

子供の情熱に心を動かされた夫は、息子が6年生だった1年間、後援会の会長を引き受け、 土・日の練習はもちろん、試合の段取りや引率、合宿の手配、講演会の依頼等々、 休日返上で子供の野球に関わっていた。県大会にも出場し、憧れの横浜スタジアムでの開会式、 惜しくも2回戦で負けてしまったが、テレビ神奈川で放映されたその試合のビデオテープは、 今でもわが家の宝物だ。

私は、と言えば、会長を引き受けておきながら、出張続きで、一年のうち3分の1日本に いなかった夫の代理で、これまた野球にのめり込んでいた。プロ野球選手のどんな すごいファインプレーを見るより、息子の三振を見た方がおもしろかったし、 それまで、箸より重いものをもったこともなかったのに、気がつけば、 10キロ入りのグランドマーカー(石灰)を2袋、背中にかついで運んでいた。
今も消えない顔のシミは、夏の炎天下の中、野球に燃えたりっぱな証なのだ。
おっと、話が脱線してしまった。私に野球の話をさせてはいけない。エンドレスなのだ。

こんな親をもってしまった8才の娘は、仕方なく野球につき合うしかなく、 まさに一家総出で、野球にとっぷりつかっていた。

そんな折、突然降って湧いた赴任話なのである。
最初、年明け早々赴任するように上司に言われた夫は、とっさに、 「子供の野球がありますので、3月末まで日本を離れる訳にはいきません。」と、 答えたというからお笑いである。
結局、赴任はゴールデンウイーク明けになった。

息子は、中学入学と同時に、迷わず野球部に入り、秘かに甲子園出場を夢見ていたらしい。 しかし、中学生活を3ヶ月送っただけで、渡英することになった。庭の芝生を眺めながら、 優雅にアフタヌーンティーを楽しむことしか考えていなかった私などには、 計り知れないほど複雑な思いで、野球のない国、イギリスに降り立ったにちがいないのだ。

あれから、1年・・・私にとっては、あっという間の出来事であった。





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1月22日


「NYへの旅 おもしろ体験」

今、思い返してみても、これまでの人生の中で、ベスト3に入るのではなかろうか?と、 思えるような、非常に貴重な、おもしろい体験を、旅行先のアメリカでしてしまった。

1月3日、午後4時。私たち家族は、ナイアガラ1泊2日の観光を終え、ニューヨークに 戻るため、バッファロー空港へ向かうバスの中にいた。
たまたま、日本のツアーだったため、バスの中は、日本人ばかり・・・・・(あきらかに新婚旅行と わかるカップルあり、中年の家族連れあり、老夫婦のフルムーンあり、と言った面々。) 始終和やかなムードであった。

日頃、イギリス人の中にいて、異邦人である居心地の悪さを感じていた私は、 ホッとした気持ちで、豪快なナイアガラの滝や昨夜から降り始めた雪で、 子供と大はしゃぎしたことなどをぼんやり考えていた。
この時、いったい誰が、これから遭遇する出来事を想像できただろうか!

空港に着いてみると、ニューヨーク悪天候のため、予定していた飛行機が、ナント、キャンセル!! 30年アメリカに住んでいるという、よくしゃべるツアコンのおばちゃんの説明によると、 30数名いるツアー客のうち、10名だけ、最終便のニューヨーク行きに乗れるというのである。
まるで、芥川龍之介の蜘蛛の糸・・・・・いやいや、ちょっと古かったか?
今は、そう!タイタニックの方がピンとくるかもしれない。

結局、翌日、国外へ出る人優先で、国内を移動する人は、もう1泊することとなった。
翌日、イギリスに帰る予定だった私たち家族を含め、この日のうちにニューヨークに 帰り着かなければならない人が、ザッと見て、18人。明らかにチケットが足りない。

最初に口をひらいたのは、中年のおじさん。かなり強い調子で、 「明日、どうしても、日本に帰らなあかん!」
と、関西弁で言った甲斐あって、最初にチケットを手にしてしまった。
このおじさん、なんと6人連れのひとりで、
                10ー6=4
チケットを手にするやいなや、6人が手を取り合って喜び、 「よかた、よかった。ほんとによかった。安心したらおなかすいたから、何か食べに行こう。」 と言って、不安顔の私たちを横目に、にぎやかに食事の相談を始めた。

カチン!ときた私は、思わず、 「みんな条件は一緒なのに、自分たちさえよければいいんですか!」と、まるで、高校生のような 青い事を叫んでしまって、ちょっぴり後悔してしまった。
すると、そのおじさん、クルッと振り向いて、「こんなもん、強引にゆうたモン勝ちや!」と、 捨てセリフを吐いて、その場を立ち去ってしまった。

次にチケットを手にした、茶髪のおねえちゃん。彼と2人分なので、
                4−2=2
チケットを渡したあとで、ツアコンのおばちゃんが、 「あらっ、あなた、明日はラスベガスじゃなかった?」と言い出したから大変で、 それまで、黙っていた人も、「ずるいじゃないか!明日、帰る人に譲ってよ。」 と、まわりからさんざん言われたにもかかわらず、その茶髪のおねえちゃん、 胸のところでチケットを抱きしめて、ただただ、首を横に振るだけ。
結局ゲットしてしまった。おみごと!

その後も、おもしろい人間ドラマが展開したことは、言うまでもないことだが、 結局、私たち家族4人と新婚さんのカップルは、ピッツバーク経由ニューヨーク行きと いうことになった。
その新婚のおにいちゃん、唐沢寿明に似ていて、ちょっとかっこいいが、 何とも、不安そうで、「乗り換え便が飛ばなかったら、ぼくたちはどうなるんでしょうか?」 「空港からホテルまで、どうやって行けばいいんでしょうか?」などと、矢継ぎ早に いろいろ質問してくる。とても旅行慣れしているとは言えない私たち家族だけれど、 この半年の海外生活で、日本にいる頃より、度胸だけは座ってきたかもしれないと、 思えてきて、苦笑いしてしまた。

これでおしまいだと思ったら、大間違いで、この話には、おまけがついている。
例のツアコンのおばちゃんが、「人間は、ピッツバーク経由でニューヨークに行くけど、 荷物は最終便のニューヨーク行きに乗せよう。」というので、それはいい考えだと思って、 軽くOKしたまではよかったのだが、 11時、予定より4時間遅れとはいえ、無事ニューヨークに到着してみると、 今度は、なんと、届いているはずのスーツケースがない。行方不明なのだ。
到着便すべてチェックし、気がついたら、深夜2時。
子供は空港の片隅で、寝入ってしまうし、3時間も待ってもらっているリムジンの 運ちゃんにも悪いし・・・結局、クレームの申請だけして、空港を後にすることにした。

翌朝、6時半。私は、一睡もしないまま、イギリスへ帰るため、JFK空港へ 向かうタクシーの中にいた。詰め込めるだけ詰めた、残った1つのスーツケースを持って・・・ スーツケースひとつを代償に、図らずも、おもしろい人間ドラマを垣間見、 いろいろ考えさせられた、わが家のニューヨーク旅行であった。

イギリスの自宅に帰り着いてから、翌日4日、バッファロー空港が閉鎖されたことを知った。
急ぎの旅ではないから・・・と、進んで宿泊してくださった、あの老夫婦は、 翌日どうされたのだろうか?4日、日本に帰るんだけど、朝6時の始発便で間に合うから・・・ と、チケットを譲って、宿泊してくれた若者は、どうなったんだろうか?
今となっては、知る由もない。
今は、ただただ、日本に帰ったあの新婚カップルが、成田離婚なんて事になってないことだけを 祈るしかない。





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