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5月22日


「娘の学校生活 2」

12月のある日、娘が浮かない顔で学校から帰ってきた。理由を尋ねると 「1 minute's talk」といって、何か自分の自慢できるものや大切にしているもの について1分間みんなの前で発表することになったという。すでに何人か発表 していて、それが水泳大会の優勝メダルだったり、かわいがっているぬいぐるみ だったりしたそうだ。学校に通い始めて3ヶ月、英語を聞き取る力こそ付いてきた ものの、まだ英語を話すまでには至っていなかった娘は、意を決して担任の ミス モーリスのところへ行き「I can't speak English.」と言ったそうだ。すると ミス モーリスはにっこり笑って「あなたは日本のことを話すでしょう。」と言った だけで、それ以上のことが言えない娘との会話は中断してしまったらしい。「私に はみんなに自慢できるようなメダルも賞状もない。大切にしているお人形やおも ちゃはあるけど、それについて英語で発表できない。」というのが娘の浮かない 顔の原因だった。

こんなこともあろうかと、日本から持ってきた着物がまず私の頭に浮かんだが、 娘のリュックに入れて学校まで持たせるにはあまりにも重くて大きすぎる。それ では浴衣にしようか?いやいや扇子の方がいいかな?とあれこれ考えてみたけ れど、できればクラスのみんなが一目で興味を持ち、そこからコミュニケーション が広がっていくようなものがいいに決まっている。頭をひねって娘と相談した結果、 折り紙に決定した。

娘は鶴やテーブル、椅子、帆掛け舟、風船、カメラなどを折って、辞書を引き ながら簡単な英文を作った。そして数日後、ひとつひとつの作品を見せながら、 初めて英語で発表した。発表後、娘は質問攻めに合い、休み時間は「折り方 教えて!」と囲まれ、たちまち学校中で折り紙がブームになった。発表の翌日 には、ヘッド ティーチャーのミスター マーテルが「折り紙の発表をしたんだって? よくやったね。」と誉めてくれたそうだ。

娘の学校では週に一度全校生徒がホールに集まり、各クラスが順番に劇や 楽器の演奏などを発表する催しがある。ちょうどチャイニーズ ニュー イヤー の頃、娘のクラスの番になり、十二支の順番を決めたストーリーを劇と朗読の 2つのグループに分かれて発表することになった。娘は勇気を出して「ストーリー の最後のセンテンスが読みたい.。」と手を挙げたという。そしてミス モーリスは その大役を娘に託してくれた。

家に帰るなり、娘は気が狂ったように練習を繰り返した。日頃英語で何かしゃべっ ても「in English please!」と友達に言われてしまうことがあって、娘の一番の心配は 微妙な発音の違いだった。短いセンテンスではあったが初めて見る単語もあり、 一語一語注意深く発音の練習をしているうちに暗記までしてしまった。

そして当日、娘の朗読でクラスの発表が無事終わった。そしてここでも、 ミスター マーテルが「Sachi Welldone! Excellent!」と叫んでくれたという。迎えに 行った車の中で、後部座席に乗せた娘からこの話を聞いた私は、前方が歪んで 見えなくなり、あわやぶつかりそうになってしまった。ヘッド ティーチャーが 額縁の中の人ではなく、生徒ひとりひとりを把握している英国の教育システムを 私はすばらしいと思った。







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5月11日


「Wedding Party」

わが家より2ヶ月遅れて赴任した同じ会社のKさんの結婚式があり、その パーティーに家族で出席することになりました。

兼ねてから婚約中だったKさんは、突然の赴任命令で入籍だけ済ませ、慌た だしく着任したのが昨年の7月。その3ヶ月後には奥さんも英国入りし、当地で 新婚生活をスタートさせることになったのです。しばらくは二人だけで英国内や ヨーロッパ各地を旅行したい、なんて言っていたのもつかの間、おめでたが 発覚しそれどころではなくなってしまいました。初めての海外生活、初めての 結婚生活、初めての妊娠・・・と、何もかも初めて尽くしで、奥さんの不安やスト レスは相当なものだったのでしょう。数ヶ月間思いの他ひどいつわりに悩まされ、 見る見るやつれてしまい、まわりはただおろおろするばかりでした。
お正月明け「あなたがいないことを忘れて、おせちたくさん作りすぎちゃったわ。 なんて母が言うんですよ。」という涙声の電話には、私も思わずうるうるしてしま いました。そして、つわりも治まった今、晴れて結婚式を挙げる運びとなったの です。

招待された私たちおばさん連中にとっては、久しぶりの華やかな席への出席と あって、それはもう大変な騒ぎでした。,「何を着て行こうかしら?」「花嫁さんより 目立っちゃ悪いわよねぇ」(目立つわけないやん!)「パーティー用のドレスの ファースナーが閉まらないの」(ほんなこと誰が知るかい!)「ドレスはみんな 日本に置いて来ちゃったわ。どうしよう?」(ほんとかいな、そうかいな?)などと、 口々におばさんぶりを発揮しながらも、誰もが心待ちにしていた日がいよいよ 今日だったのです。

補習校のある土曜日だったため、ロンドンの教会で行われた結婚式には参列 できなかったのですが、子供連れで出席できるようにとの配慮から、パブの2階 を借り切って催されたパーティーは、日本の仰々しい披露宴とは違い、彼らの 友人達による手作りのパーティーでした。
「お待たせしてすみません。」と言いながら登場したKさんはテイル(燕尾服)に 山高帽、奥さんは白バラがあしらわれたシンプルな純白のドレス。ブーケも 髪も白バラで統一してあって、とても清楚でステキでした。
お料理は立食形式で、ワインと軽くつまめるオードブルやパン、サラダ、デザート などが用意され、数々の質問にユーモアと笑いを交えながらの二人の回答に、 会場は盛り上がりっぱなしで、とても楽しい雰囲気でパーティーは終わりました。

悩みに悩んだ末、英国で出産する決意をした二人。前途は多難でしょうが、 今日の笑顔を忘れないでひとつひとつ乗り越えていってほしいものです。
そして困った時には、この日のためにわざわざ日本から、またオランダから 駆けつけてくれた友人やファースナーの閉まらないおばさん連中が近くに ごろごろいることを思い出してほしいと思いました。おばさん達はあれやこれや 言いながらも、今度は赤ちゃんの誕生を心待ちにしているのですから・・・







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4月30日


「ラウンド アバウト」

二十歳の頃、箱形のスカイラインGTに憧れて、どうしても自分で運転してみた くて免許を取った。初めての車は念願のスカイライン・・・やはりめっちゃかっこ 良くって感動した。次に乗った赤のジェミニは可愛いかったし、すごい馬力のカ リーナ2000GTもよかった。結婚してまたまたカリーナ、子供ができてブルー バード、そして日本を離れる時は、8年間まるで我が子のようにかわいがった愛 車ボルボちゃん(240)と泣きの涙で別れてきた。

日本と同じ左側通行、右ハンドルの英国へ渡るに当たって、車の運転に関して は全く心配していなかった。が、しかし英国にはラウンド アバウトという厄介な 代物が存在していた。つまり、円形交差点。簡単に説明すると、右回りのため、 何があっても右側から来る車が優先。直進したい時でも一時停止して、右側か ら来る車に道を譲らなければならない。車が途切れたところで、すばやく入り込 む。ラウンド アバウト内では左折するときは外側、右折する時は内側の車線に 入り、自分が出たい出口のひとつ手前の出口を過ぎると左折のウインカーを出 して速やかに出るというものだ。

なるほど、よく考えられている。これを考えた人はすこぶる頭のいい人に違いな い。円滑に回れば、信号機に比べ赤や黄色での待ち時間が解消されるはずだ。 円滑に回れば・・・

しかし、言ってみれば信号の役目をドライバーの判断に任せている訳で、当た るも八卦、当たらぬも八卦の世界というか、いつ事故が起きてもおかしくない 代物なのだ。まず、右から来る車が手前で出るのか?それとも、目の前を通 過するのか?その見極めが非常にむずかしい。ウインカーと車の頭の角度で 判断するしかなく、最初の頃は、相手のドライバーの気持ちを読み取り(とは言 っても、相手はイギリス人、しばしば読み間違えたが)、命がけでラウンド アバ ウトに突入していた。

それから、4車線もあるような大きなラウンド アバウトでは、入る前からどこに出 るのか考えて、正しい車線で一時停止しなければならない。出口が何カ所もあ るようなラウンド アバウトでは、これもむずかしく、ボーとしていると、思わぬ所 に出る羽目になってしまう。渡英直後の奥さん達の車での失敗談はよく耳にす るが、その極めつけは、子供を迎えに学校へ行く途中、ラウンド アバウトの車線 を間違えて、高速道路に乗ってしまったという人がいた。後にも先にも高速道路 に乗ったのはこの時だけで、次のジャンクションで出たけれど、初めての土地で 方角もわからないまま何とか学校にたどり着いてみると、子供が泣きながら先生 と二人だけで待っていたという笑えない話もある。

そして最大の問題点は、車が少なかった昔と違って、こんなに交通量が増えた 現在では、ラウンド アバウトがうまく回らず、ラッシュ時などは全く機能していな いことだ。滑稽なことに、それを解消するため、ラウンド アバウト内に信号機が 付けられているところもある。

ところで、英国で運転してみて驚いたことは、ウインカーを出して待っていると必 ず「どうぞ」と入れてくれることだ。日本では、ちょっとの隙に無理矢理入り込んだ り、自分の前には意地でも入れないぞ!というセコイ運転が当たり前だったので、 これは驚異だった。私も渡英間もない頃、この「ちょっとの隙に・・・」をやってしま い、けたたましいクラクションを鳴らされた苦い記憶がある。

ここまで書いてきて、こんなに問題の多いラウンド アバウトが、今なお存在してい るのは、ここが譲り合いの精神に満ちたジェントルマンの国、英国だからかもしれ ないと思えてきた。ラウンド アバウトを安全に通過するためには、英国人になりき るしかなさそうである。







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4月16日


「スイス、グリンデルワルトへの旅 2」

翌日は早朝から3454メートルのユングフラウ・ヨッホを目指した。クライネ・ シャイデックで乗り換えて、登山鉄道でユングフラウ・ヨッホの頂上まで50分 だが、終点のヨッホは地下駅なので薄暗く、急に寒さを感じた。
まずエレベーターでスフィンクス展望台へ。アイガー、メンヒ、シルバーホルン、 そして一番高いユングフラウが目の前にそびえていた。見渡す限り一面の 銀世界でサングラスなしでは目も開けられないくらいのまばゆさだ。山がこん なに美しいとは思わなかった。その後氷河の中に作られたアイスパレスで氷 の彫刻を見たり雪原に出て遊んだ後、レストランで昼食をとることにした。 素晴らしい景色を眺めながらゆっくり昼食を、と思っていたら息子の様子が おかしい。注文したスパゲティを一口食べただけでうずくまっている。顔色も悪 く、そのうちレストランの椅子に座ったまま寝てしまった。どうやら高山病らしい というので、とにかく下山することにした。
列車が下界に下りるにしたがってだんだん元気になり、クライネ・シャイデック から歩いて下山しようと言い出した。元気になったらすぐこれやっ!と思いなが ら一応下車してみたものの、スキーヤーがいっぱいでとても歩けそうにない。 結局、次の日ソリ遊びをするということで納得させた。

行き当たりばったりのわが家にしては珍しく、今回の旅行はヨーロッパの時刻 表まで購入し、綿密な計画を立てて臨んだ。3泊4日という短い旅行だし、移動 は鉄道に頼らざるを得ないので待ち時間のロスを出来るだけ避けたかったから だ。しかし、いつもそうなのだが、予定は往々にして変更される。旅行先で私は 美術館や建造物など、その土地でしか見られない物をできるだけ見たいと思う のだが、子供はそんな物はどうでも良くて、泳いだり走ったり登ったりといった アクティブなことをしたがるので、結局1日は子供につき合うことになってしまう。
どこの家でもそうなのかなぁ?と思いながら、ホテルでひとりへたばっている間 に、夫と子供はソリ遊びをするための情報を仕入れ、ソリを貸してくれる店の下 見までして来た。

翌朝、ソリを3つ借りて登山鉄道に乗り込んだ。アルピグレン駅で下車して次 のブランデック駅までソリで滑り、また登山電車でアルピグレンまで登るという もので、なだらかなところありカーブあり急降下ありで非常に楽しめた。子供も 大はしゃぎで夢中になって滑り、ズボンも靴もビチョビチョ状態。結局私は2往 復、夫と子供は3往復し、最後はグリンデルワルトのひとつ手前の駅まで一気 に滑り降りてホテルへ帰った。

この日の夕食は「身体が暖まるうどんにしよう。」ということになったが、満席で 断られてしまった。渡英以来、例の狂牛病怖さに牛肉を食べていないので子供 たちは他国に旅行する度に決まってステーキを注文する。この二日間共ステ ーキを食べていたので、「じゃ、今日は質素にラーメンでも・・・」といって入った 中華の店が予想に反した高級レストランで、ちょっと焦ってしまった。結局、青 島ビールから始まってワンタンスープ、焼き肉、海老のオイスターソース炒め、 豚肉のブラックビーンズ炒め、チャーハン、やきそば・・・と質素どころではない 夕食になってしまった。このレストラン、味も良かったがお値段も良くて、カード の請求額が末恐ろしい。

最終日、今度は東回りでチューリッヒまで戻った。途中、列車の待ち時間を利用 してルツェルンで1時間ばかり散歩したりカぺル橋を渡ったりして過ごした。

スキーとは縁のないわが家。「スキーしなくて何しに行くの?」と在英の友人(日 本人)にからかわれて出発した旅行だったが、十分楽しめた。と言うのも、行く先 々で観光客が楽しめるように様々な工夫がしてあったからだ。例えば、ユングフ ラウ・ヨッホへの登山電車は途中で2ヶ所、アイガーの北壁をくり抜いた窓から外 の景色が5分程度眺められるサービスがあったし、ソリで滑り降りたところには レストランがあり、ゆっくり休憩もできた。1日乗り放題の切符も有り難かった。レ ストランや土産物店の店員さんのほとんどが、フランス語、ドイツ語、英語が堪能 なのにも驚いた。できれば今度は夏、是非もう一度訪れてみたいと思った。







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4月13日


「スイス、グリンデルワルトへの旅 1」

ヒースロー空港を飛び立った飛行機は、わずか1時間40分で チューリッヒ、クローテン国際空港に到着した。昨年墜落事故を起こした スイス航空だったためか、無事着陸した瞬間、拍手をする人がいて、 機内が一瞬和んだが、私は「着陸後ドカン!なんてことになったら 洒落にならんぞ。」と思いながら、しっかり停止するまで7:3に構え 身を堅くしていた。

チューリッヒからグリンデルワルトまでは約3時間半の列車の旅。
チューリッヒを出発してしばらく行くと、なだらかな高原にかわいい家が 点在するアルプスの風景が、車窓いっぱいに広がり、まるで絵はがきを 見ているようだった。山のない平坦な英国の風景に比べ、久しぶりに見る山が また新鮮で、飽きることなく私を楽しませてくれた。

首都ベルンから乗車した中東系の顔立ちの初老の男性が、子供が 遊んでいたしりとり(日本語)に加わってきた。片言の日本語を話す外人は 珍しくないので、目で挨拶しただけで、相変わらず車窓の風景に見入っていると、 「音読みでは何て読むの?訓読みは?」などと子供に質問している。
注意して様子を伺っていると、片言どころではない流暢な日本語だ。
その上近くにいた中国人とは中国語で会話をしている。いったい 何カ国語が話せるのか?と尋ねてみると「方言も入れれば10カ国語だけど、 日本語は完全ではないです。音読みと訓読みがあって難しいです。」 と完璧な日本語での答え。
20年近く大学でアラビア語を教え、今はリタイアして小説を書いているという この男性は、世界各国の言語はすべて共通しているので、 関連付けて覚えれば、さほど難しいものではないと言う。言葉だけでなく 日本の文化にも精通し、これだけ流暢な日本語を話す外人さんに私は初めて 出会った。

夕方5時、グりンデルワルトに到着し、まずホテルへ。3970メートルの アイガーが窓いっぱいに迫る部屋でその迫力に息をのんだ。
これが新田次郎が愛したアイガーか!と感慨に浸っていると、 「暗くならないうちに行こう!」と子供にせき立てられ、 村内探検に繰り出すことになった。

駅から600メートルあまり(歩いて10分)がホテルやレストラン、 土産物店が並ぶ村のメインストリートで、その先は人通りもまばらで静かな 通りになった。思っていたよりこぢんまりした村なので驚いた。
しかし、日本人旅行者に人気が高いところだけあって、その小さな村の あちこちに「両替」「日本語案内所」「うどん」「寿司」はたまた 「日本人スタッフがいる店」などと書かれた看板がやたら目につき、 観光収入がほとんどのこの国で、お金をたくさん使ってくれる日本人は 有り難いお客さんなのだと思った。

夕食は村のレストランで一度食べてみたかったチーズフォンデューを注文したが、 味が単調で半分くらい食べると飽きてしまった。チーズの中に入っているワインも 利きすぎていて今一と言った感じ。親しい人たちとワイワイやりながら、ワインを片手に 摘めばおいしい一品なのだろう。おなかはいっぱいなのに満足できないまま ホテルへ帰り、スーパーで買ったビールとワインで飲み直すことにした。
アイガーを眺めながらのスイスビールは絶品だった。







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