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12月10日


「得たもの、得損なったもの 4」

行く先々で思わぬ歓迎を受け、日本を離れるのが辛くなってしまった。
中でも、Hさんの奥さんの配慮で、バラバラになってしまったかつての息子の チームメイトとの食事会は、思いがけない再会と忘れられない思い出を作って くれた。
それぞれの中学で野球に頑張っている友達を、息子はうらやましく思ったのだ ろう。「どこの国で暮らすことになっても良かったんだけど、ただ、野球がやりた かったんだよなぁ。」とポツンと言った。
また、中学の文化祭を見学に行った息子は、自分の居場所が見つけられず、 居心地の悪さを感じたようだった。1年3ヶ月のブランクは、仲の良かった友達 との感覚のずれを否が応でも息子に突きつけたようだ。

とにかく、わが家の初めての帰国は、息子に数々の楽しい思い出と同時に、ちょ っぴりさみしい思いをもたらした。しかし、これからしばらく英国に暮らす息子に とっては、良い経験だったと言える。

今はまだ、英国で得たものよりも日本で得損なったものの方が、はるかに大きい に違いない。しかし、いつの日か必ず逆転することを信じている。


                       完







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12月10日


「得たもの、得損なったもの 3」

子供たちは12時間の疲れも見せず、大はしゃぎで先を急ぎ、私は一歩一歩 「日本」を踏みしめて歩いた。目に飛び込んでくる看板や聞くとはなしに聞こえ てくる他人のおしゃべりがストレートに理解できる。右を見ても左を見ても、 日本人ばかりの世界。何だかとても不思議な気がした。

実は、今回の帰国は、ある一人のお父さん(Hさん)を除いて、極秘に進めてきた。 そのHさんから、決勝戦当日の集合時間と場所の情報を得、朝7時、私たち家族は、 チームのトレーナーを着て、レンタカーで駆けつけた。

「どうも、どうも」と言いながら、車から降りた私たちの目に、懐かしいみんなの 顔顔顔、点になった目目目、ポカンと開いた口口口が飛び込んできた。誰も 最初の言葉が見つからない。ふと見ると、コーチの奥さんの目に涙が・・・思わず 私の口から出た言葉は「ごめんなさい。ポットの用意ができなかったの。」(子供 のスポーツに関わった経験のある人はわかると思うが、お茶のため、朝、ポットに お湯を入れて持参するのが常識なのだ。)すかさず、「あらっ、言ってくれれば貸し たのに・・・」と、昔と変わらないKさんの冗談が返ってきた。そうこなくっちゃ、とうれ しくなった。コーチの奥さんも泣きながら笑っていた。

「お久しぶりです。」とコーチから挨拶され、夫が「ちょっと、試合を見せてもらいに 来ました。」と応えている。少し離れたところでは「啓介、でかくなったなぁ」「さっ ちゃん、背が伸びたんじゃない?」と口々に言われ、恥ずかしそうに照れている 子供たちがいる。1ヶ月以上も前から、この再会の場面を何度頭に描いてきた ことか・・・それが今、現実となって目の前で繰り広げられている。信じられない 思いと同時に、律儀にも私との約束を守ってくれたHさんの口の堅さに感謝した。

準決勝の相手は、今大会最強のチームで、事実上の決勝戦との前評判だった。
子供たちは鍛え抜かれたきびきびしたプレーを見せてくれ、スタンドでは熱のこも った声援が飛んだ。懐かしい応援歌も聞こえてきた。何も変わっていない、2年前 と同じ熱気がそこにはあった。息子もスタンドの最前列で食い入るように試合を 見ていた。
熱戦の結果、最強チームに勝ち、決勝戦は、楽な試合運びでまさかの優勝を してしまった。あまりにも出来過ぎた成り行きに、天が私に味方してくれたの ではないかと思えた。
優勝の興奮も覚めやらぬその日の夕方、私たち家族は「ご苦労さん会」に飛び 入り参加した。総勢80名、親も子も一緒になって、試合の一齣一齣を振り返り、 飲んでしゃべって笑って、楽しい時間はあっと言う間に過ぎて行った。

思えば、息子のために仕方なくつき合い始めた野球だったが、気が付けば親の 方がのめり込んでいた。今もなお、12時間かけて私を引き戻した原動力は、野球 のおもしろさや子供たちのプレーのすばらしさはもちろんのことだが、ひとこと 言えば3倍にも4倍にもなって返ってくる、たわいのない冗談のやりとり、何の 駆け引きも気取りもないつきあいに他ならないのではないかと思った。








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12月8日


「得たもの、得損なったもの 2」

「TOKYO/NARITA」と書かれた航空券を手にして、初めて「日本に帰るんだ」という 実感が湧いてきた。神奈川の自宅は賃貸にしているため、日本での宿泊先の確保や おみやげの買い物、日本で調達してくるもののリストアップ、学校への欠席の連絡 などで、私は急に忙しくなった。子供たちは暇さえあれば、日本でのスケジュールを 相談していた。修正に修正を重ね、出来上がったスケジュール表には、どこで何を 食べるという食事の予定まで入っていて、家の近くの懐かしいうどん屋さんの名前や コンビニのお弁当名まで書かれていた。

10月上旬、招待大会の初日が終わった。野球のお父さんから「2勝して準決勝に 勝ち進んだ。」というメールをもらい、「よっしゃ」と力が入った。すべて、運を天に任せて 進めてきた帰国計画だが、初日で負けてしまったのでは、試合が見られない訳で、 これでは洒落にならない。とにかく、予定通りの結果にホッと胸を撫で下ろした。

出発の前日、息子を迎えに行った学校で、私は息子のクラスメイト7,8人に囲まれた。 「Keisuke、日本に帰るんだって?」「また、戻って来るんでしょう?」「いつ帰ってくる の?」と、べンが、マフィーが、マイケルが、真剣な顔で口々に聞いてきた。「ホリデ ーでちょっと帰るだけよ。またすぐ、戻ってくるから。」と答えると、みんなの表情が 和らぎ、息子はもみくちゃにされながら、いつもの賑やかな雰囲気に戻った。ちょっと 日本に帰るだけなのに、ダンの提案で記念写真を撮り、握手をして学校を後にした。
いつの日か必ずやって来るであろう、永久にイギリスを離れる時のことが頭を過ぎり、 少し悲しくなってしまったが、つくづく息子は幸せなヤツだと思った。こんないい仲間 がいるのに、日本にそのまま残るなんて言ったら、罰が当たるぞ!と思った。

「日本の写真をいっぱい撮ってきてね。」とリチャードが渡してくれたフイルムをしっかり スーツケースに入れて、翌日私たちは日本へ向けて飛び立った。12時間後には 日本の土を踏んでいるのだと思うと、逸る心が抑えられなかった。








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12月5日


「得たもの、得損なったもの 1」

やはり、このことを書かねばなるまいと思う。
10月下旬、私たち家族は1年3ヶ月ぶりに、初めて日本への一時帰国を果た した。というのも、息子が2年間お世話になった少年野球チーム主催の親善 招待大会の決勝戦が、学校のハーフターム(学期のちょうど中間にある一週間 の休み)と重なったためで、大げさに言えば、この予定外の一時帰国を 決意するまでには様々な思いが交錯した。

1年3ヶ月の英国生活で、息子は野球を忘れた、かに見えた。ところが、この タイムリーな日程を知り、「日本に帰りたい。」「試合が見たい。」と言い出した。 日頃、口数の少ない息子が執拗に訴えてくる様は、尋常ではなかった。かつ ての息子のチームメイトは、今、中学2年生。受験や引っ越しでバラバラに なってしまったが、息子以外はみなそれぞれの中学で野球を続けている。息子 の中には、チームメイトの上達ぶりを自分の目で確かめたい思いが多分にあっ たようだ。

2日間に渡る招待大会は、毎年、市内外の11チームを招待し盛大に開催される。 後援会にとっては、年最大のイベントで、招待チームへの案内から始まり、 グランドの確保、パンフレットの作成、野球道具や機材の借用等々、2年前の私も 準備に奔走していた。大会当日は、歴代の会長や卒業生、その親達がお祝いに 駆け付けるので、日頃どこに住んでいようと、この大会に顔を出せば懐かしいみん なに会える。
私の中で、夏の炎天下の中、また、凍てつくような冬の寒さの中、一生懸命白球を 追う子供達の姿に感動した日々がよみがえってきた。お世話になった監督、コーチ、 一緒に泣いたり笑ったりしたお父さん、お母さん、子供達みんなの顔が頭に浮かび、 離れなくなってしまった。何を隠そう、一番日本に帰りたい、と思っていたのは、 この私だったかもしれない。

しかしその一方で、今、日本に帰ってしまうと、息子はもう二度とイギリスには 戻らないと、言い出すのではないか?という不安があった。意識して日本から 目を背け、必死に語学と格闘したこの1年3ヶ月の努力を、どんなことがあって も色あせたものにしたくなかった。
加えて、夫の会社では赴任して1年半経過すると、里帰り航空券が支給される。 わずか3ヶ月足りないばかりに、家族4人全額自己負担という予定外の出費も 痛かった。

こんな諸々の事情から、日頃ノー天気な私も、どうしたものか?と数日間考え 込んでしまった。しかし考えてみたところで、息子が日本で何を感じ、どんな 反応をするのか?誰にも推測できない。ここはひとつ、一か八かやってみるか! という気になった。成るように成れ!いや、成るようにしか成らないものだ。それに、 世の中には、お金には換えられないものがある、と自分に言い聞かせ、私は 航空券の手配をするため受話器を握った。

まだ、招待大会も始まっていない、決勝戦に勝ち残っているという確証など、 どこにもない9月中旬のことだった。








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11月24日


「セコンド・ショップ」

先日、娘の学校では、近くの美術館へ校外学習に出かけることになった。学校 から持ち帰った手紙には、「400年以上前の生活の一部を実際に体験し、その 雰囲気を高めるため、チューダー朝の衣装を着て行きましょう。」とある。「まさか ?」と思い、入念に読み返してみたが、やはりそう書いてある。おまけに参考の ため、数種類の衣装が図解入りで説明してあった。男の子はブラウスにベスト かマントを羽織り、ブルマーのような膨らんだ短いズボンにハイソックス、頭には 羽のついた帽子をかぶり・・・思わず、昔見た映画「ロミオとジュリエット」を思い出 してしまった。女の子は、シンプルなロングドレスにペンダントかエプロンドレスを 重ね、頭にはレースのついたベールか大きなヘアーバンドという出で立ち。両方に 共通した特徴は、ブラウスの襟がじゃばらのようになっている。歴史の本の中で よく見かけるシェークスピアも、確かこのじゃばらの襟の洋服だったような?
しかし、こういう発想は日本にはない。日光江戸村へ行くのに、「みなさ〜ん、江戸 時代の格好をして行きましょうねぇ〜」と言ってるようなもの。しかも、遊び心丸出し のおふざけではなく、授業の一環として、大まじめにおおらかにやってのけようという のだから驚かされてしまう。

さて、困った私は娘の送り迎えの時、よく立ち話をする友達に聞いてみることにした。
ジョールのお母さんは、「自分の若い時のドレスにちょっと手を加えて、それっぽく しようと思うの。」という。ローラのお母さんは、「去年、従姉妹が使ったドレスを借 りることになってるの。」という。自分のドレスも貸してくれる従姉妹も持ち合わせて いない私は、ますます困ってしまい、渡英以来、いつも困った時の最後の砦である ジャンに相談してみることにした。
「OK!セコンド・ショップに一緒に行きましょう。」と、明解な返事が返ってきた。かゆ いところに手が届く、的を得た彼女の反応には、いつもながら「さすがだなぁ〜」と、 感心させられてしまう。

そう言う訳で、私は翌日ジャンに連れられ、隣町の「セコンド・ショップ」を訪れた。 それまで「ブティックだ。」と思い込んでいた店が、実は「セコンド・ショップ」だった ことに初めて気づき、メインストリートの両側にズラーと並んだ、その数の多さに 驚かされた。店内に入ると、洋服だけではなく、靴やバッグ、アクセサリー、食器、 インテリア用品、本、おもちゃまで売られていて、新品と見間違うほどの質の良さと その価格の安さに、目を疑ってしまった。日本のリサイクル・ショップのイメージは 微塵もない。
ジャンの説明によると、公園やスーパーの駐車場などにたくさん設置してある回収 ボックスに集められた品物が、商品化できるものとできないものに分別され、クリー ニングや修理などが施され、店頭に並ぶそうだ。ちなみに、できないものは工場など の機械を拭く雑巾に使われるという。店員さんもボランティアで、売上金はすべて 恵まれない人達のために使われるというから、恐れ入ってしまった。質素で物を 大切にする英国人、お年寄りや身体の不自由な人たちへのやさしさ、深さに触れ、 思わず日本の現状を思い起こしてしまった。

当日、娘は自前の白のブラウスに1200円で買った黒のロングドレス、頭にはレース 付きのベールをかぶった。問題のじゃばらの襟は、洋裁上手なジャンの友達に作って もらい、一端のチューダー朝の町民の娘に変身した。初めてはいたロングドレスが 歩きにくそうではあったが、この400年以上前へのタイムトリップを十分楽しんだよう だった。








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10月11日


「照明について」

こうして、夜な夜なこの四角い箱とにらめっこをしていると、目を細め、額にしわを 寄せている自分に気がつく。「いかん、いかん。」と思い、慌てて目を見開き、額の しわを手で伸ばし、再び画面に向かうわけだが、それもこれも、すべてこの照明の 暗さに問題がある。
わが家のオーナーは、建築設計会社のダイレクターで、いわばその道のプロが 建てた家。高い天井、フローリングの床、要所々に施された洒落た造りなど、一般 的な英国の家とはちょっと違い、結構気に入っているのだが、ただ照明に関しては 閉口してしまう。どの部屋の照明も電球一個(それでも、天井に照明が付いていな い普通の英国の家に比べると、天窓のあるダイニング以外は、すべて天井に照明 が取り付けてあるので、まだいい方かもしれないのだが。)で、その上ご丁寧にも、 紙でできた提灯のような傘が付いている。緑の傘の部屋は、緑色の淡い光に包ま れ幻想的ではあるが、蛍光灯の明るさに比べ、明らかに暗く、夜は何もできない。

そこで、他にも照明器具を置く必要に迫られ、お店を2,3軒回ってみると・・・ まず、驚いたことは、蛍光灯を売っていないこと。それから、むき出しのスタンドと 傘と電球とが、それぞれバラバラに売られていて、その数の豊富なこと。こちらでは、 別々に選んで購入するのが原則のようで、星の数ほどある候補から、自分の 好きな照明器具を作り上げることになる。しかし、一部屋に一つ間接照明を置いた ところで、明るさはたいして変わらないので、結局、一部屋に数個置くことになる。 英国人はこうして照明器具を部屋のインテリアとして楽しんでいるわけで・・・確かに、 一つあれば事足りてしまう蛍光灯では、明るすぎて楽しみも半減するというわけだ。

照明で思い出したが、車の照明は、もちろんハロゲン灯で、ロービームにしたとき、 遠くまで照らし出す仕掛けは日本と同じだが、ロービームのときの照射角度を、室 内からコントロールできる(ものもある)らしい。霧の多いこの国では、微妙な照射 角調整が威力を発揮するわけで、これはよくできているなぁーと思う。
それから、道路に照明が付いていない田舎の道では、主要道のセンターラインに 反射板が埋め込まれていて重宝する。
余談だが、高速道路の水はけの良さには目を見張るものがある。日本では、道路 に溜まった雨水の反射が眩しくて、運転しにくかった記憶があるが、さすが、始終 雨が降っている国だけあって、どしゃぶりの雨でも水が溜まらないようによく考えら れている。

最後に建物外壁の照明(防犯用)について。我が家にも、センサーで動きを検知して、 外壁照明を点灯する防犯システムが、玄関と裏庭の2個所に取り付けられている。し かし、しょっちゅう誤動作(風による木の枝の揺れに反応する)するので、効果のほど は分からない。
入居当時は、明かりがつくと心配になって、消えるまで見張っていたこともあったが、 (なんとも間抜け…)、今は慣れっこになって、誤動作しない方が逆に心配。(壊れた んじゃないかとか…これも間抜け!)気休めだとは思うが、付けている家は意外に 多く、空き巣が多い証明のようで、あまりいい気はしないのだが。








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10月6日


「英国の名物料理」

前回の「食生活」に引き続き、今回は「英国の名物料理」について、書いてみたい と思います。

1)ローストビーフ

1番は、やはりこれ。英国人のお勧め NO.1 です。でも、私は食べたことが ないので分かりません。狂牛病が恐いですから・・・
そういえば先日、英国産牛肉がEC圏内で「輸出禁止解除」になる、という暴挙が、 英国の圧力のもと実施されました。これに対する、フランス、ドイツの反応も大きく、 食肉販売業者に原産国表示を義務づける、などの動きもありました。
それにしても、今まで輸出禁止だっただけでも、すごい話だと思います。
つまり、
英国の牛肉を信じないのは、日本人だけではないということ。もっと言えば、先日 友人が子供のバースデーパーティーに数人のお友達を招待したところ、その一人 のお母さん(もちろん英国人)が「うちの子に牛肉は食べさせないでね!」と、 わざわざ家まで言いに来た、なんていう話もあるので、英国の牛肉を信じている のは、一部の英国人だけということになります。

方や英国本土では、いまだに骨付き牛肉は販売禁止です。先日、解禁の新聞記 事が出て、相当物議をかもしましたが、案の定、数日後には、解禁日の延期がア ナウンスされました。ほぉ〜
「食べられない物を、人に売るんぢゃねーよ!」・・・まぁなんと、わたくしとしたこと がお下品な! 失礼しました。つい怒りが・・・

ちなみに、ここ数年、狂牛病対策として何が実施されたか?私は知りません。新
聞を見ても、ヤコブ病との関連記事ばかりです。狂牛病の牛を食べても大丈夫
ですよ〜、との暗示にかけようとしているのでは?と疑心暗鬼になります。要する
に、何も対策していない???

2)フィッシュ&チップス

言わずと知れた、タラのから揚げとフライドポテトです。英国人に、「好きな英国料 理は?」と聞かれたら、食べたことが無くても「フィッシュ&チップス」と答えましょう。
万が一、食する羽目になっても、大丈夫です。
町中に散在する、テイクアウエー(日本ではテイクアウト)のお店には、20種類を 超える魚がメニューにあります。ちなみに私のお勧めは、プレース(カレイ)です。
そう言えば、我が家は「平べったい魚」が好きなようです。目が片側に寄って来な ければいいんですが・・・心配。
面白いところでは、「コッド・ロー(タラコ)」のから揚げもあるようです。行き付けの 魚屋のおじさんのお勧めです。

3)クリスマス・プディング

赤や黄色のドライフルーツがたくさん入った、堅いカステラですが、売っているもの は、食べる前に、長時間蒸す必要があります。がしかし、ほとんどの日本人は、 最初それを知らずに、そのまま食べてしまいます。そこで、後日、こんどは蒸して 食べてみるわけですが、やっぱりおいしくないので、それっきり食べなくなってしま います。そういう訳で、どの日本人も、英国で必ず2回だけ口にする、とても不思議 な食べ物です。
ちなみに蒸し時間ですが、コブシ大のもので40分だそうです。パーティーケーキ サイズだと、6時間は蒸していなければなりません。気の長い話ですが、ほったら かしの英国人には、うってつけの調理(監視するだけ?)法です。

4)ブリティッシュ・ブレックファスト

英国風朝食です。
メニューは最高。目玉焼き、ウインナー、マッシュルームの炒め物、トースト、紅茶 等々。コンチネンタル・スタイルがトーストとジュース、果物だけなのに比べると、 なんと豪華!
デニーズの朝食セットにも引けを取りません。・・・がしかし、(毎度 おなじみの)困ったことがあります。
まず、目玉焼き。そう、卵はあのサルモネラ菌に汚染されている恐れがあります。
ビンゴを引くと大変です。ジンマシン、高熱等に悩まされます。彼らは、この症状 を「チキン」と呼びます。そのまんま・・・
次にウインナー。これは、ふにゃふにゃ、しょっぱい、胃にもたれる、の三冠王です。
最後にトースト。これが、とてつもなく薄いんです。日本のサンドイッチ用のパンより も薄いです。ですから、焼くとカリカリになってしまいます。そういうわけで、多くの 日本人は、パン切り機を買う羽目になります。

5)BLT

これは何だと思われますか?
実は、ベーコン(B)、レタス(L)、トマト(T)を挟んだサンドイッチのことです。なんと 味は GOODです。(といっても、手のかかる調理を何らしていない訳ですから、当然といえば当然。)

6)紅茶

こちらではいろんな紅茶がありますが、(私の知る限り)人気は、
* Fortnum & Mason の Eral Gray
* Whittard の Afternoon Eral Gray
* Fortnum & Mason の English Breakfast 等々です。
ちなみに、我が家は、Orange Pekoe 党です。

変わったところでは、Whittardでは紅茶風呂の素を売っています。
要は、でっかいティーバッグなんですが、我が家で試してみたところ、石鹸臭くてだめでした。









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